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自然な日本語に添削していただけないでしょうか(同卓の君)

 日本語を勉強中の中国人です。好きな詩を日本語に訳してみました。友人にお贈りしたいので、自然な日本語に添削していただけないでしょうか。 同卓の君 あした君は思い出す? 昨日君が書いた日記を。 あした君はまだ気にかけている? 以前一番泣き虫の君を。 先生たちはもう思い出せない、 質問に答えられなかった君の姿を。 ぼくも偶然にアルバムを捲ってはじめて、 同卓の君を思い出した。 だれがセンチメンタルな君をもらった? だれが君の日記を読んだ? だれが君の長い髪をまげに結った? だれが君にお嫁の衣装をこしらえたんだ? 君は以前いつも非常に注意深く、 ぼくから半分の消しゴムを借りていた。 うっかりぼくと一緒にいるのが好きとしゃべってしまったこともある。 あのとき空がいつも青くて、 日の経つのは遅い。 君はいつも「卒業はまだまだ遠いよ」と、 あっというまにそれぞれ自分の道を行く。 だれがセンチメンタルな君に出会った? だれが泣き虫の君を慰める? だれがぼくから君への手紙を読んだ? だれがこれを風に捨てた? 以前の日はぜんぶ過ぎ去った。 ぼくにもぼくの妻が来る。 ぼくは彼女に君の写真を見せ、 同卓の君のことを彼女に語る。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.4

awayuki_ch さん こんにちは。 体調が元に戻りつつあるようで安心しました。 また、過分なるお褒めのお言葉を頂戴し恐縮しています。 さて、非常に難しいご質問をいただき、しばらく考えてしまいました。 詩とか歌は、多分に言葉の遊びの部分があります。 韻、強調、強弱、次の部分へのつなぎ、その時の気持ち、その他にも言葉を選択するきっかけのようなものはたくさんあろうかと思います。 特に、私はプロでも何でもありませんので、詩を作るうえでは気分のようなものが大きく作用していると思います。 ご指摘頂いた二つの言葉の間にどれほどの差異があるかと言われますと、ある意味で、お答えのしようが無いという感じです。 1.文末の「君の姿は」という表現と「君の姿を」とのニュアンスは、どのように違うのでしょうか。 ⇒ほとんど変わらないと思います。 ⇒私が「君の姿は」という言葉を使った、漠然とした理由は以下の通りです。 *「答えられなかった君の姿を」とすると、「答えられなかったときの君の姿を一生懸命思い出そうとしても思い出せない」というニュアンスが漂うような気がしたのです。 *これに対して「答えられなかった君の姿は」は、「答えられなかった君の姿」だけでなく、「いろいろな場面での君の姿の中の《答えられなかった君の姿》」というニュアンスで、ピンポイントで「答えられなかった姿」に絞ったのではないというニュアンスです。 2.「偶然にも」と「偶然に」の違いは何でしょうか。 これもあまり変わりは無いものと思います。 *ぼくも偶然にアルバムを捲ってはじめて、同卓の君を思い出した。 ⇒「偶然に」Aをして、Bをした。 この場合、「偶然」は「Aをして」に掛かるような気がしたのです。 ⇒「偶然にも」Aをして、Bをした。 この場合は、「偶然」がAにもBにも掛かるような気がしたのです。 ⇒「偶然」アルバムをめくって、偶然君を思い出すことになった。というニュアンスです。 「懐かしい」にはいつかの意味があるようですが、次の辞書のどの項目に当てはまるのでしょうか。 ⇒これも難しいご質問です。 敢えて4っつの中から選択するのであれば【1】+【2】でしょうか。 「懐かしい君のこと」 昔のことを思い出すと、様々な思い出が走馬灯のように次から次へと目に浮かんでくる。あんなこともあった、こんなこともあったと昔を思い出し、心が惹かれる状態になっているということですから、【1】だけ、【2】だけというのではなく、両者を兼ね備えたような意味合いになると思います。 3.「~のは誰なんだろう」と「誰が~なんだろう」とのニュアンスはどのように違うのでしょうか。 ⇒これもあまり変わらないでしょう。 awayuki_chさんは文頭に「誰が」を持ってきたのに対して、私は「文末」にもってきたという程度の差異です。 ⇒「だれが」が文頭にある場合の方が、ある行為をした人が誰であるのかを追求する心情が強調されると思います。 次の二通りの文のニュアンスの説明。 ・何が彼の言った苦中作楽の真意なんだろう。素晴らしい詩を読んでわからなくなった。 ・彼の言った苦中作楽の真意はなんだろう。素晴らしい詩を読んでわからなくなった。 ⇒ほとんど差異はありません。 基本形は後者の方だと思います。 前者は英語的な言い回しの感じですね。 *彼の言った苦中作楽の真意は何処にあるのだろう。 *何処に彼の言った苦中作楽の真意があるのだろう。 この文章も同じです。 語順を変えることで、読む人へのインパクトが変わることは事実です。何処に強調点を置くかなどを考えて語順を選択すべきではないでしょうか。 ・何が特別な人なんだろう。 ・特別な人はなんだろう。 ⇒この二つは、日本語としては少々未完成というか理解しにくい文章です。 夫々別の意味が読み取れる文章です。 最初の文章は、 *人は彼のことを特別な人と言うけれど、何が特別な人なんだろう。彼の何処が特別なんだろうか? *特別な人ってどういうことなんだろう? *特別な人っていう彼は何をやっている人なんだろう? などなど。 二番目のほうは特に理解しにくい文章です。推測すると以下のようになりますが・・・。 *特別な人と言われてる人は何をやっている人なんだろう。 *特別な人ってどういうことなんだろう?(この場合は、「特別な人とはなんだろう」と、人の次に「と」が入っている方が判りやすいです) *特別な人とはどのような人のことを指すのだろう? この二つの文章は語順を変えると意味合いまで変わってしまう例になります。 4.懐かしい同卓の君のことを妻に話すだろう。という文末を「話す」とした場合のニュアンスの違いについて。 ⇒awayuki_ch さんの文章は「語る」=「話す」という終わり方をしています。これはこれで良いと思います。 ⇒この「語る」という終わり方も、未来のことを言っています。したがって、「語る」つもりだ。「語る」と思う。「語る」ことになるだろう。このように「語る」の後に将来のことを表現する言葉が隠されていると考えても良いと思います。 その中の一つが「語る」だろう。=「話すだろう」であると考えてください。 ⇒もちろん「話す」「語る」と終わっても構いません。しかし、「話す」「語る」として終わった場合、後の残る感じは、非常に強い意志を表明しているようなニュアンスを与えます。 私は、この「語る」「話す」にはそれほど強い決意のようなものが含まれてはいないと思いました。もしかしたら「話さないかもしれない」程度の気持ちではないかとも考えられると思ったのです。 ⇒そのような不確定なニュアンスを込めたので「話すだろう」となっているような気がします。 もちろん、awayuki_ch さんが誰が何と言おうと、妻になる人に「話す」と決めているのであれば別ですが。 しかし、このようにふり返ってみると、何となく使ってしまっている言葉が多く、あらためてその違いとか比較とかを質問されると答えられないものであることがよく判りました。(勉強になりますし、こんな答えで良いのかも自信がないのですが・・・・)

awayuki_ch
質問者

お礼

shigure136さん、こんばんは。丁寧なご返事ありがとうございました。体調はもう大丈夫だと思います。心配しないでください。私は外国人なので、日本の方の気持ちや日本語の微妙なニュアンスを理解できたかどうかいつも悩んでおります。「素晴らしい」という言葉は皮肉にとられるおそれがあるので、前回補足させていただきました。 今回のご説明はどれも非常に参考になりました。「は」のニュアンス、「偶然に」と「偶然にも」の使い方、「懐かしい」の意味はよくわかりました。「走馬灯」という表現も久しぶりに見ました。確かに懐かしいですね。文頭に「誰が」を持ってきたのは単なる中国語に影響されたと思います。 shigure136さんの「人は彼のことを特別な人と言うけれど、何が特別な人なんだろう。彼の何処が特別なんだろうか?」の「人は」という箇所があるので、好きな例文とは言えないと思います。私の表したかった「特別な人」の意味とは違います。私は自分の目で見たこと、自分の耳で本人から聞いたことを信じる気持ちになる人です。この詩歌を読んで自分の目で見たことと違うものが「?」という形でいくつか残りましたが、詩歌はやはり人に考えさせてしまうものなのだと痛感しました。 おっしゃるように、詩歌を作るうえでは気分のようなものが大きく作用していると私も思います。その気分は偽りのものなのか、本物のものなのかによって出来上がった詩歌もずいぶん違うと思います。私は今回中途半端の偽りの気分で訳したので、自分の訳が気に入りませんでした。人は何よりも自分に自信を持つのがいいことだと思います。日本語の勉強、がんばります。

その他の回答 (3)

回答No.3

「同卓の君」とても素敵な詩だと思います。 ほとんど直さなくても良いかもしれません。 でも、私なりに。 君はあした思い出すだろうか 君が昨日書いた日記のことを。 君はあしたもまだ気にかけているのだろうか 以前自分がいちばん泣き虫だったことを。 先生たちはもう思い出せないだろう 質問に答えられなかった君の姿は。 僕は偶然にもアルバムをめくっていて 懐かしい同卓の君のことをはっきりと思い出した。 センチメンタルな君を貰ったのは誰なんだろう? 君の日記を読んだのは誰なんだろう? 君の長い髪をアップに結ったのは誰なんだろう? 君に花嫁衣裳を着させたのは誰なんだろう? 僕から半分に割った消しゴムを借りるとき 君はいつも注意深かったね。 でも僕と一緒にいるのが好きだと うっかり口に出してしまったこともあったね。 あのとき空はいつも青く、 時間の経つのは遅かった。 君はいつも「卒業なんてまだまだ遠い先のことよ」と言っていた。 でも、あっというまにそれぞれ自分の道を行く日を迎えた。 センチメンタルな君と出会ったのは誰なんだろう? 泣き虫の君を慰めることが出来たのは誰なんだろう? ぼくから君への手紙を読んだのは誰なんだろう? そしてその手紙を風に捨てたのは誰なんだろう? 以前の月日はすべて過ぎ去ってしまった。 いつの日にかぼくにはぼくの妻が来る。 そのときぼくは君の写真を妻に見せ、 懐かしい同卓の君のことを妻に話すだろう。

awayuki_ch
質問者

お礼

素晴らしい例文をありがとうございました。日本語のニュアンスは難しいですね。外国人の私は時々苦労しています。詩のニュアンスをよく理解したいので、もう少し説明していただけないでしょうか。 1. >先生たちはもう思い出せないだろう >質問に答えられなかった君の姿は。 文末の「君の姿は」という表現と「君の姿を」とのニュアンスは、どのように違うのでしょうか。 2. >僕は偶然にもアルバムをめくっていて >懐かしい同卓の君のことをはっきりと思い出した。 「偶然にも」と「偶然に」の違いは何でしょうか。 「懐かしい」にはいつかの意味があるようですが、次の辞書のどの項目に当てはまるのでしょうか。 http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%B2%FB%A4%AB%A4%B7%A4%A4&kind=jn&mode=0&base=1&row=0 3.「~のは誰なんだろう」と「誰が~なんだろう」とのニュアンスはどのように違うのでしょうか。また、似たようなもので、次の二通りの文のニュアンスも説明していただけないでしょうか。 ・何が彼の言った苦中作楽の真意なんだろう。素晴らしい詩を読んでわからなくなった。 ・彼の言った苦中作楽の真意はなんだろう。素晴らしい詩を読んでわからなくなった。 ・何が特別な人なんだろう。 ・特別な人はなんだろう。 4. >懐かしい同卓の君のことを妻に話すだろう。 文末の「だろう」の有無は文意の理解に支障があるのでしょうか。

awayuki_ch
質問者

補足

時雨さん、「素晴らしい」は正真正銘の感動された「素晴らしい」です。風邪は日々治っておりますのでご安心ください。

  • TEiRaT
  • ベストアンサー率69% (9/13)
回答No.2

自分は、ほぼこのままで良いような気がします。 特に違和感のある言葉の使い方をしていないし、何より 過去の「君」を思い返しながら、今の「君」に、呟きのように 語りかけるという切ない距離感、そういうのが上手く 日本語化されていると思います(解釈が違ったらごめんなさい・・)。 「クラスメイト」を「同卓」とするのも、詩全体で意味はわかるし ちょっとした異国情緒があって、好きです。 あえて変えるとしたら、 >君は以前いつも非常に注意深く、 >ぼくから半分の消しゴムを借りていた。 >うっかりぼくと一緒にいるのが好きとしゃべってしまったこともある。 ここがちょっとクドいので   君はいつも遠慮がちに   僕から半分の消しゴムを借りていた。   ぼくと一緒にいるのが好きと   しゃべってしまったこともある。 にするのはどうでしょうか? それと、 >君はいつも「卒業はまだまだ遠いよ」と、 >あっというまにそれぞれ自分の道を行く。 ここはこのままでも個人的には好きですが   「卒業はまだまだ遠いよ」と言った君も、僕も   あっというまにそれぞれ自分の道を行く。 に変えると、より自然じゃないでしょうか? とにかく素晴しい訳詩だと思います。気に入りました。

awayuki_ch
質問者

お礼

 ご回答ありがとうございました。

  • acchipoo
  • ベストアンサー率44% (175/394)
回答No.1

同卓というのが主に日本では麻雀を同じ卓で囲むという意味になってしまうので、 詩の意味から「同級生の女の子」のイメージなんですが、どうでしょうか? 「同級生の君へ」 明日の君は思い出すのだろうか 昨日の君の日記のことを 明日の君は気にかけているのだろうか 昔の泣き虫だった君のことを あの頃の担任の先生達もきっと忘れてしまっていることだろう 質問に答えられなかった君の姿を 僕だって偶然手を伸ばしたアルバムで 君のことを思い出したんだ 誰が子供っぽい君と結ばれることになったんだろう? 誰が君の日記を読んだんだろう? 誰が君の髪の毛を婚礼用に結ったのだろう? 誰が君の花嫁衣装をこしらえたのだろう? 君は昔いつもこっそりと 僕から消しゴムを借りていたね ついうっかり 僕と一緒にいるのが楽しいと 口を滑らせてしまったこともある あのころの空はいつでも抜けるような青空だった気がするよ 時が流れるのは速いものだね 君はいつも「卒業なんてまだまだ先の話よ」なんて言っていたが みんないつの間にかそれぞれの道を歩んでいってしまった 誰が子供っぽい君と出会ったんだろう? 誰が泣き虫の君を支えるのだろう? 誰が僕から君宛の手紙を読んでしまったんだろう? 誰がそれを風に流してしまったんだろう? 日々は全て過去へ流れていってしまった 僕も結婚した 僕は妻に君の写真を見せて 君のことを語って聞かせたのさ 切ない詩ですね。 私も今は結婚して2人の男の子達のママをやっていますが、 久々に高校生の頃に付き合っていた男の子のことを、 あのころの自分のことを思い出しました。

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