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なぜ人は人を嫌うのか?
快・不快なら快の方を得たがるものですが人情だと思いますが、嫌いという感情はなぜ生じるのでしょうか? またなぜそれをもつ必要があるのでしょうか? 「嫌悪」というメカニズムについての答えが知りたいです。
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世の中には、生理的に嫌いな人物も存在します。 世の中には、性格的に嫌いな人物も存在します。 これは、人間が感情を有しているので当然のことです。 メカニズムは、一言で言えば学習メカニズムと思います。 例えば、我が家のハスキー犬は、先住犬に対して嫌悪感を持っていませんでした。 捨て犬でしたが、どの犬に対しても友好的でした。 が、ある日、突然に保護した柴犬が噛み付き耳を根元から裂いてしまいました。 ハスキー犬は、それでも、ただ立ったままで微動だにしませんでした。 2度目は、さすがに反撃しました。 3度目も、さすがに反撃しました。 以後、ハスキー犬は、柴犬に嫌悪に近い感情を持ったと推察します。 柴犬が近寄ると、鼻に皺を寄せてウーッとやっていたからです。 この嫌悪の感情は、一種の学習の賜物と思います。 さて、このハスキー犬は、時々、シーズーを相手に遊んでいました。 大人しくて甘えてくるシーズーに対しては、好意の感情を持っていたようです。 この好意の感情も、一種の学習の賜物と思います。 まあ、人間も、成長する過程で、嫌悪の感情を持って接すべきタイプを蓄積することでしょう。 まあ、人間も、成長する過程で、好意の感情を持って接すべきタイプを蓄積することでしょう。 まあ、それぞれがそれぞれの個性によって、この2つのタイプにある傾向を与えるのでしょう。 その蓄積したタイプが、さらに、同様のタイプの蓄積を促進しているのかも知れません。 ともかく、嫌なことを避け好意ある事象を選択していく為の不可欠の学習です。 ところで、人間と犬との差は、生理的・性格的に嫌いなタイプも許容する理性をも育てる点です。 理性は、嫌悪の感情、好意の感情も、狭い人生経験に基づくものでしかないと認識します。 そして、この理性と感情がある水準でバランスを保っているのが実情だと思います。 思うに、嫌いのメカニズム云々よりも、理性の比重を増やすことに関心をおけば良いのでは・・・。
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体力と相談して なるべく長生きできるように 酒も煙草もやめてやらぁ
そんな人なら全身全霊をかけて参加する. のだけれど.
本当にその人がその職を大切に思っているなら
使命に燃え,仕事が忙しくてその人の家の軒にぺんぺん草が生えていようとそんなことをとやかく言うつもりはない. でも仕事はきっちりやっていると思われる人について それをまねびて生きたいとは思う. 人手が足りなくて仕方なく質を落とさざるをえないのであれば 人が入ったらまずその質と環境を整えようとするのが筋だと思う. 予算はなくても掃除くらいはできるだろう. オールを任せられない=嫌悪しているなどと考える前に
今の僕は あまり人を感情として好きか嫌いかで見ないほうだと思う.
No.3です. 知らないんなら黙っていろと最初に怒鳴られなければね. 知らないことを聞いてだめなら なるべく黙ってやるしかないでしょう. そこにいる意義を何かしら見出すなら. それでその人総てが嫌いかと言われればNoである. だから キライというのとはちょっと違うと思う 僕の中では 前にも似たようなこと,人に出会ったことはあるがその人はオールを任せてもいいと思える様な人だった.同じように怒鳴り散らすけどね. 他人だけど親のようだった. 仕事ぶりも 心意気も 身を任せるに足る人となりであると思う. では好きかといわれれば総じれば好きである. しかし嫌いと思うことはしばしばあった. オールを任せられないと感じる理由は後に書いてあります.
しかも人が入ったときに 環境を改善するという方向より 更なる拡大を目指すあたり 一生身を置くには嫌悪感というより 留まり続けるところではないかなと思ったりはする. 人間味はあっても. 人間味 そういうところが一番まねびたいとは思うが.
理性的に まねぶというあり方からは 怒鳴られたりすることやその時は嫌がらせ的に思えることも 一旦受け入れ 後になってみて”ああ相手はそれを伝えたかったんだ”というのもある. それが解ればその相手は嫌いになるどころか 自分にとって大切な人なんだと思うが. 生産するための装置作りに対する技術はあっても 肝心の生産するものの質に対してはどうなんだろうという. 手広く受け入れすぎて 全体の環境が粗雑になっていってしまうといった... しかし そこから学ぶものは沢山あるのは確かなんだ.
- himara-hus
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基本的に、意識、無意識にかかわらず、自分にとって害となるものを嫌うのだと思います。 例えば、 食べ物だと、おいしいと感じるものは好きですし、おいしいと感じないものは嫌いです。特に体に合わないものなどは非常に嫌いになります。 また、おいしいと感じるものは体に良く(食べすぎは別ですよ)、おいしいと感じないものは体に良くないようです。 人だと、自分に優しくしてくれる人や好意をもってくれる人を好きになります。また、自分にとって得したり、良い気持ちになれる、良い人(優しい感じの美男、美女)を好きになります。 危害を加えられそうな人、自分を嫌う人、一緒にいて不愉快になる人などは嫌いになります。 偉い人が、周りにイエスマンばかり集めたがる傾向は理解できます。 だから、努めて苦言を呈する人をそばに置く様にしないといけないのでしょう。
- H240S18B73
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多分主が問題にしてるのは 生理的嫌悪による『嫌い』とかいうのじゃなく もうすこし上の方の心理からくる『嫌い』なんだと思う これは『自己嫌悪』ってものにおける 『嫌悪』を考えるといいんじゃないかな ことばのまんまなんだけど 『自己嫌悪』の『嫌悪』って 『悪』に対する拒絶なのよ 『統一』『集団の連携』ってのを『望ましい』って強く思う人は 『空気読めない人』『みんなと違う事をする人』が『嫌い』になる 『自由』『束縛されない個』を『望ましい』って強く思う人は 『真似ばかりする人』『自分を何かで縛る人』が『嫌い』になる それぞれの思い描く『理想』における『悪』に対する拒絶 生存において望ましくないものを拒絶するのが生理的嫌悪ならば それぞれの理想的社会を築くにおいて望ましくないものを 拒絶しようとするのが主が問題にしている『嫌悪』ではないかと ちなみに、ここでまた『自己嫌悪』について考えてみると 自分を嫌いなひとはみんなにも嫌われやすい あるいは自分の嫌いなひとばかり集めてしまう 自分が好きなひとはみんなにも好かれやすい あるいは自分の好きな人を集められる って傾向が成り立つのではないかと思えるのね 自分を知り、自分を愛せるように行動すれば 自然と自分の好きな人に巡り会える ということがいえるのかもしれない
お礼
ネットで調べてたら嫌悪の理由のひとつが「感染」に対する恐怖感だそうです。でもそれは生理的嫌悪だと思うんです。 >『空気読めない人』 これってまさに日本人的な俗語だと思うんです。とても流行り言葉とは思えません。「ムラ社会」の標的は個性の強さ、異端排除です。 >自分を嫌いなひとはみんなにも嫌われやすい 自分を好きな人を嫌いになる場合もありますよね。なぜならば自分が嫌いだから、と言う人もいます。 >あるいは自分の嫌いなひとばかり集めてしまう 自分の内面、例えばコンプレックスなどの反映であり、克服しなければならない課題だと無意識に思っているから、嫌いな相手なのに固執してしまうということもあると思います。 嫌いと言われてもブレない自分になりたいです。
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お礼
>学習メカニズム よい観点ですね。 ワンコも自分に好意をもつ相手に対しては同じ感情を持つなんて素晴らしい発見ですね! 人間も同じように、最初は好悪に関しては無知な状態なのでしょうか。しかし相手のリアクションによって「学習」する。自分に好感を持ってくれていないと感じれば自分への好感、自己肯定感も低下する。・・・人は自分の反映だし、自分は人の反映なんですね。 >人間と犬との差は、生理的・性格的に嫌いなタイプも許容する理性をも育てる点です。 社会や文化、文明、そして遺伝子を継承していくためでしょうね。