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バターン死の行進について

buchi-dogの回答

  • buchi-dog
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回答No.8

No3の者ですが、No6さんのご回答に補足させて頂きます。なお、「ガダルカナルやインパールの戦闘は、仮に米軍であれば責任者が軍法会議にかけられるべき『日本軍による日本兵の殺害』である」と言うご意見には同感です。 「餓死が待っているような戦場に親族を送り出した、一般の日本国民の意識も異常となっていたように思います」 内地の家族に、自分の身内がどこでどのようにしているのかは一切知らされません。戦死した場合に、戦死公報と言う形で伝えられるだけでした。それもしばしば遅延や漏れがありました。 昭和17年の時点で、太平洋戦線の少なくとも3つの戦場では飢餓が発生していました。 1. アリューシャンのアッツ、キスカ。占領早々に米軍の封鎖が始まり、餓死者こそ出たと記録されていませんが、多くの輸送船がアッツやキスカの近海で沈められ、守備隊は2分の1、3分の1の減食を強いられました。アッツ玉砕から奇跡的に生還した兵士の手記では「上陸の直後から米軍の空襲に曝され、まともな兵舎は最後まで作れなかった。補給はほとんどなく、まともに食ったこともなかった」と記されています。 2. ニューギニアのポートモレスビー攻略を目指した南海支隊。昭和18年に入り、この部隊の生き残りはブナ周辺で玉砕します。 3. ガダルカナルの将兵。 日本にいる家族は誰も 「自分の夫や父や息子が補給を絶たれた島で餓死しつつある」 なんて知りえません。どこで戦っているのかも、通常は知ることができませんでした。兵士が家族に居場所を知らせようとすれば、軍事郵便のハガキに検閲を潜り抜ける形で書くしかありませんでしたが、そんな兵士は普通いません。下手すればスパイとして摘発され、軍法会議ですから。 さらに、日本陸軍の兵士は、「召集解除」や「帰省休暇」なんてことはありません。中には、支那事変(昭和12年)の最中に召集されて、昭和20年まで家に戻れなかった兵隊さんもいたくらいです。米軍では一定期間前線に出れば一定期間は後方での休養、慰労休暇を与えられましたが、日本陸軍の常識にそんなものはありません。「動員されて戦地に出れば、戦争が終わるまで生きては内地に戻れない」のです。 #日本海軍の場合、軍艦が内地に戻った際はある程度帰省が許され、戦争の実情が家族に漏れることがあったようです。 ガダルカナル戦の後も、生き残りの将兵は、例えば仙台の第二師団は内地には戻らずにマレー方面に駐屯、次いでビルマに転戦します。 第2師団 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC2%E5%B8%AB%E5%9B%A3_(%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%BB%8D) ガダルカナルで生き残った第二師団将兵で、その後のビルマでの悲惨な戦闘をさらに生き残った人は実在したようですが、家族がガダルやビルマの悲惨な飢餓、米英軍との絶望的な戦闘の様子を知ったのはあくまで戦後のことです。軍事郵便では「自分が生きている」ことしか伝えられず、本人が帰省して自分の口で話すことは論外なのですから当たり前です。 なお、戦闘を重ねれば兵士は死傷して、あるいは病気で減って行きます。ですので、上記の第二師団の場合は、支那事変以来常に外地を転戦し、確か「数十回」の補充を受けています。死んだり重傷で戦えなくなった兵士の補充は常に内地から戦地の一方通行ですが、重傷で召集解除となって戦争継続中に内地に戻れた兵士がどのくらいいたのかどうか?この辺は識者の方にお願いします。軍隊での重傷とは「四肢を一本以上失う、両目の視力を失う」というくらいのものです。

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