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ほにゃらか形而左右学
仏の顔も三度まで、と申します、これでこのテーマは終了します。 自然の中に矛盾はあるだろうか、どうもなさそうな気がする。 そうすると、矛盾はわれわれが勝手に作って勝手に困っている、厄介なもの。 今回はカントのアンチノミーを拝借して矛盾について考えてみます。 と思ったのですが、カントの定式は、文字数の関係でとても制限内に収められません。 一気に予定していた、最終兵器の投入です。 「クレタ人は常に嘘をつき、邪悪な獣で、食べ物に無関心」 この言葉が「クレタ人」から発せられたときだけ矛盾・逆説を生むのは何故でしょう。 自己言及があるからというご回答ではなく、 自己言及によって、どうして矛盾が起きてしまうのかを、 うまく説明できるのでしょうか。 お礼が遅れ気味になりますが、宜しくお願いします。
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おはようございます、fishbowlさん。 (*^^*)>゛゛゛ 「人それぞれ」と、いうお言葉に誘われいそいそと… と、いうよりも「てんもうかいかい」と、お題があがっているのに捨ておけますかいな。ハンター×ハンターンアニメ好きのlittlekissとしましては。謎を追え!コナン、君の出番だ!とばかりにコナンモードにスイッチオンするわけです。『てんもうかいかい そにして もらさず』うーん、「そ」は「粗」だけれど後に続くもらさず…漏れるだけれども…何が漏れる?ん?ヒソヒソ話。ヒソとくれば、そりゃあれあれでしょ。ヒ.ソ.カ。MAEJIMA HISOKA。もありましょうがハンター×ハンターのキャラクター「ヒソカ」にちょい登場してもらいまして追ってもらいましょうか。ANo.30のお礼の中で紹介していただいた参考URL。いいですね~♪メモリがたまらなくセクシー。お気に入りに。 で、タイプ繋がりでもう一点 http://www.rehab.go.jp/ri/rehabeng/stenopcon/stenoj.htm いつぞやニュースでみみにはしていたのですが、速記者が自動化の波にのまれ窮していると。ここでもアナログとデジタルがデジタル一方向へ傾きつつあるようですね。で、おもうのですが方言の理解がもう少し深まればというか速記者の身に備わればいま瀕している状況からぬけだすあしがかりになりはしないかと。 一般の人も裁判にかかわってくるこれからの流れ。だれもが裁き裁かれる側にくるくるとその身が置き換わる時勢。まさにクレタ人がいっぱい。誰が誰なのか。言葉のすりあわせがより大事になってくるのではないでしょうか?速記者の知識と一般人の生活の知恵を絡めていけば、いまあるであろう誤解もいくらかほぐれてきやしないかと。 國語元年
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- littlekiss
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こんばんは、fishbowl66さん。 ごめん、ANo.28,29にあげた参考URL開いたり開かなかったりANo__の番号間違いと…なんやかや。訂正メールを管理サイドにすぐさま送り、連絡を入れておいたので後日(週明け)訂正してもらえるかと。マジ、仏の顔も … うぅぅ …と、、、 m(_ _)m かんにんやで ごめん。 -ー-ー-ー-ー-ー-ー-ー-ー-ー-ー- 夜明けのミュー、きみが泣いた~♪ 泣いてへん! と、ボケたところで P31のお話をあと少し その前に、お約束のはな歌をひとつ あさぼらけ ありあけのつき みるまでに よしののさとに ふれるしらゆき~♪ ねぇ、これ黒塗りしたところから白があらわれる blackink painting おっと、また話がとめどもない方へ転がって行っちゃいそうだからひとまず『秋止符?』うぅーん?果ては手は手な? 左利きのあなたの手紙~♪右手でなぞって真似てみる~♪いくら書いても書きつくせない~♪白紙の行がソコにある~♪ (^O^)/ほ~い~♪ ソコにありました。ちょいえっちらほっちらソコ掘ってきました。ここ掘れワンワン。 ここです。 ↓ QNo.434517 黙秘で刑が重くなるのは憲法に違反しないか? http://oshiete1.goo.ne.jp/qa434517.html P31 → P38と、ひとまず。 で、白紙の件に関しましては… 『白紙委任状』ここいらあたりに、同様の問いがあります。 http://kw.allabout.co.jp/glossary/g_estate/w004902.htm 委任状の行使は認められている。が、その一方で『代理人は、5人以上の組合員を代理することができない』 ↑ 5人『も』,5人『までしか』これ、をどうみるか?手にあまりある? ー続.雲を掴むようなお話ー http://o-kan.web.infoseek.co.jp/page_folder/gallery_folder/gweap07.html ざんまい~♪
お礼
「天網恢恢」と言う言葉がありますが、 法律は詳細に網を張ることで、結果的に穴が明らかになる。 これも不思議なことですね。 マルセル・デュシャンの既製品を使った御礼のジョーク、 使い方を、間違えてしまったのかな。 いつも感謝しております。 いろいろな矛盾点を掘り出していただき、楽しんでいます。 雲のお話、 う~ん、木製と言う所が、うれしいのですが、 福原 愛 選手も、「不好」たぶん役に立たない。 知識ではなく、知恵、工夫と言うのでしょうか、 以下は、凄いですね、人間の能力に、ただ、畏怖の念を抱くばかり。 http://homepage2.nifty.com/kanachantankenki/planim/prytz.html littlekiss様は、確か女性ですよね、いまごろなにお、と言う突っ込みはなし。 夜更かしはいけません。 http://www.torontoshokokai.org/trillium/200312/-who_12.htm 自然の中で、楽しんで、夜はゆっくり眠りましょう。 尤も、人それぞれですが、ご回答有難うございました。
- littlekiss
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ANo.28のlittlekissです。 ANo.28の参考URLの一部訂正加筆を行います。 http://o-kan.web.infossk.co.jp/page_folder/gallery-folder/gweap07.html 麻雀の得点計算
- littlekiss
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こんばんは、fishbowl66さん。 ●どっちの P31が 重要なのか あーた、いまごろ何いってんの? 『どっち』とたずねられりゃあ。それはそれ、あーた、あれ、あれでしょう、あれでしょうに。だから、『らいん』だってば。だってばといったからってバッテラじゃないよ。いい?そこんとこをちゃんとおさえておいてもらはなドンならん。そやさかい聞き間違えちゃ困りまっせ。大は小を兼ねるっていうじゃない。『in』。そそ、マトリョーシカやね。『いれこ』。くみこみしき。くみとりしきやおまへんで。もういっんだけいいまっせ『くみこみしき』、ここで聞き間違えられるとあとあわわ…でっさかいきぃーつけて。ここまでは、よいですか?はい、それでは次いきます。 次にいくまえに練習問題をひとつ。 加山雄三さんの歌 『君といつまでも』 ↑ この歌の歌詞、もう、突っ込みどころ満載! 一例:『…僕は死ぬまで君を離さないぞ…』 ↑ あーた、離さないぞって… 黙秘かよー 金八先生もよくにたような言葉を発せられてましたね、『ボクはしにましぇ~ん』と、←生ある者はみないつかは死にます。だからって、竜頭蛇尾っといったとて蛇尾が荼毘には伏されません。かぶせるとしたら足袋になろうかと。 まー、これこのように日々の特訓が大事かと。そこでP31、ジゲン愛用の特別練習マシーンをはこんできました。よっこらせ、どっこいしょ。えっちら、おっちら、おっとっと。続いてどはどば飛んできます。 http://o-kan.web.infoseek.co.jp/page_folder/gweap07.html いきます! これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関 (蝉丸) さて、『逢坂の関』は? 計算はこちらでパオ ↓ http://www.weblio.jp/content/ 解説はこちらで ↓ http://www.asamiryo.jp/tre3.html で、はじめにもどって 『大は小を兼ねる』 アウトのようでイン 判定は?セーフ?アウト?ヨヨイノヨイ~♪ P41「個人の尊厳の選択」と統治原理 「息をつくスペース」 弁財天 免罪符 ~♪ イのせ~♪ イのき~♪ 関~♪ 1.2.3スリパーホールド ふぅー ひと息つきます? (*^-^)b
お礼
花の絵を描くのは、少し苦手なんですね。 特に、白い花は、お手上げ。 鉛筆一本で、どうやって白い花を描くんだろう、 しかたがないから、影を描きます。 周りを真っ黒に塗りつぶして、白い花を描きます。 PAINT IT BLACK PAINT IT BLACK PAINT IT BLACK PAINT IT BLACK ふぅ~って、一息ついて、遠目で見ると、 白い花が、現れます。 なんちゃって。 有難うございます。
- stomachman
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ANo.22へのコメントについてです。 > まず、最初に言い逃れをしておきます(笑。 > 言語学・論理学に詳しくありませんし、個々の学者の説を彼是する気は有りません。 > チョムスキーの言葉を借りれば、重要なのは、「あなたのいうことは本当ですか」ということさ。 いやー、実に良いセンスだと思います。何がってもちろん、この文脈で、こういう多重に自己言及的な冗談を言うイタズラ心がです。その上、 「あなたのいうことは本当ですか」と訊かれたら、「はい」と答えようが「いいえ」と答えようが、「本当です」というメッセージを伝えることはできない。わはは。すばらしい傑作ですねえ。 > さて、今回の相違点は、 > 「ラングに論理が含まれている。」「ラングは主観的価値の混入により、非論理的」 > この相異は、別の表現ができると思います。つまり > 「ラングは文法を含んでいるのか否か」前者は含んで、後者は否定します。 なるほど、仰るように言い換えることもできるでしょう。そして、それを「相違点」と呼んでいらっしゃる。(あれ?ここは議論の場でしたっけ?ともあれ、)ということは、キン鉢先生は、「ラングは非論理的である、論理と相容れない」と仰ってる、ってことでしょうね。 もしそうなら、ラングを使って物事を論じても、そこに論理が入る余地などないのだから、論じたと見えて実はせいぜい連想ゲームで言葉を並べただけだということ。そのゲームの中では「したがって」だの「なぜならば」という言葉も、いつでも使える間投詞に過ぎない。数学がまるで出来ない中学生の答案みたいに、それらの単語をテキトーに並べることで(他の、論理を含むような言語における論証の)格好を真似しただけで、実は好き勝手に囀っている。何を言ってもせいぜいフンイキ以上の意味を持たない。いやはやよくまあそれで、言葉を発する気になるもんだ、ってことになりますでしょう。 > それ以外の、ご回答の後半は複雑になりそうで、これをまず解決したいのですが。 ラングが論理を含むと思う者から見れば、全然複雑じゃない。なぜなら後半は、「ラングは非論理的である、論理と相容れない」だなんてまさかそんなことはない、ということを前提にして書いてある。従って、もしその前提を否定してしまうのなら、後半部分はまるごと無意味になるからです。 ところが「ラングは非論理的である、論理と相容れない」と思う人にとっては、前提を否定することと、後半部分が無意味になることとの間に論理的な繋がりなどある筈もないのだから、そんな繋がりは了解できない。となるとなるほど、「ご回答の後半は複雑になりそう」というフンイキだけを感じ取ってもおかしくありません。そしてもちろん、このリクツ自体も、その人に了解されることはないでしょう。 No.21へのコメント: > 今回stomachmanの葛藤を私に憑依させようとしたな、断定。 がははは。stomachmanは葛藤などしていませんが、キン鉢先生こそ言いたい事をなかなか言えずに葛藤しているように「見えた」もんですからね。過剰に自己規制せずに、もう少しラクにやっても宜しいのではないかと思ったのですよ。それで削除されたら、削除された時のことです。
お礼
あら、キン鉢先生て誰のことかと思っていたら、私の事。 ようやく、判りました、ふくろうもへびくんも、ある意味比喩的ですよね。 キン鉢先生も、やっと、共通のラングを繰り返されたことによって、生成されたようです。 このキン鉢先生は、前回の使用方では、何を指示しているのかが、明確ではなかった。 今回の使用方は、明確に私を指示していますね、その様な文法に沿って表現されています。 つまり「キン鉢」には、論理的理由は何も無く、stomachmanの主観的・恣意的表現では。 前回お話したように、比喩を繰り返すことによって、上手く着地できたわけです。 私が考えていることは、論理は「ラング」にあるのではなく、文法(もしあるとして)に有るのでは、 「ラング」が論理的だとすれば、私たちの主観的世界は、ラングによって余すことなく、重なり合うことなく、論理的に分節されていなければならないのではないでしょうか。(断定を避けつつ) ところが実際、私たちのラングの世界は、矛盾や逆説のように、たがいに浸透してしまう部分が有ると思うのです。 議論ですか?もちろん、ナンタラ王国では禁止ですよ。 諸行無常(突然気が狂ったか)。 赤はいつまでも赤ではない、AはいつまでもAではない。 AはAである、と言う論理的表現は、運動を空間化してしまっている・・・ 此処まで行きたいのですが、きっと、無理かもね。 ご回答有難うございました、敬称略
>自己言及によって、どうして矛盾が起きてしまうのかを、 うまく説明できるのでしょうか。 うまく説明できる自信はないのですが、 勝手に信じてることに 自己言及でもお忠言でも 仮説の真偽は普遍妥当性を有するか否かで、 今日は成り立ったが明日は成り立たないとか、 ここでは成り立つがあそこでは成り立たないとか、 立場が入れ替わった場合に「それじゃ困る」 なんてことになったら矛盾した見解ということで クレタ人が誰に対しても、何処でも同じことを言うかどうかで 真偽を判断するべきでしょうね。 矛盾が起こるのも可能性の一遍が実現したもので 固定観念の呪縛こそ実現しなかった矛盾だったかもと気付けるかもだし 逆説は矛盾してるようで、世の中が矛盾ばかりなら 逆説が自然な考え方に成り得ますよ。 ツァラトゥストラの(詳しくはないですが) 「自らに有利な賽の目が出た時、自分は何か不正をしたのではないかと訝しがる人」 になることを考慮しないといけないらしいです。
お礼
>「自らに有利な賽の目が出た時、自分は何か不正をしたのではないかと訝しがる人」 今回の一連の質問の中で、これは、光ってます。 逆も真でしょうが、作用反作用に介入できる、 この介入がなんなんだろうか、 自然は、そのままですよね、介入しません。 ケセ・ラ・セラ ご回答有難うございました。
- littlekiss
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ANo.24のlittlekissです。 参考URLの一部を訂正します。 http://www.iii.u-tokyo.ac.jp/pblc-achv/bulletin/67/yamaguchi67.pdf ↑ P31 (*^^*)>゛゛゛手入力なもので…
お礼
お手数をお掛けしました、 またまた、お手数をお掛けしてしまいますが、 ページ数が、いわゆる、ダブルスタンダート どっちの、P31が、重要なのかな。 手が空いたときで、いいですよ。 有難うございました。
- littlekiss
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こんばんは、fishbowl66さん。 「おもしろくて やめられない」と? やめられないとまらない… …ウララ ウララ ウラ ウラ ? で、 次は? 『ブラインドデート』 結構、呑んでます。ひっく 今宵のあては『源氏パイ』をご用意しました。ひっく これじゃ足りない? そうですか、ほな、ちょいとみつくろってみましょうか?ひっく http://www6.airnet.ne.jp/tangent/Air/HN/birago/n1.html http://www6.iii.u-tokyo.ac.jp/pblc-achv/bulletin/67/yamaguchi67.pdf ↑ P31 http://www.natureinterface.com/j/ni04/P030-033 http://www.amazon.co.jp/dp/4791759958 飲みすぎたのはあなたのせいよ~♪ (*^^*)ポーっ ご参考になればなによりです。
お礼
>(*^^*)ポーっ ほほが赤くなるのは、 血管の血の巡りが活発になるのか、 黒田の「麗子像」が、思い浮かぶ・・・ 本当に思い浮かんだのかな。 シュタイナーの経済学、確か三元論、くわばらくわばら。 メタモルホーゼスと言うと、筒井康隆だけど、 何か関係があったのか、さっぱり判らない。 記憶の整理に役に立ちましたね。 >飲みすぎたのはあなたのせいよ~♪ 一度言われてみたかったのですが、 現実は「ウィスキーの小瓶」の世界ですね。 先のナンタラ王国の質問へのご回答、後で読んでみます。 有難うございました。
- stomachman
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またまた、ANo.17の補足についてです。 > 或いは、ご回答者様は、論理をチョムスキーの生成文法(比喩的に)のように、考えておられるか? と仰るのは、ANo.17でstomachmanが論理というものについて、 >> (個別のラングどころか、ランガージュの中に包含されている根源的な知の一部かも知れません。) と思いつきを述べたことに対して質していらっしゃるのでしょう。このご質問を契機に、もうちょっと深く考えてみました。 以下とっくにご承知のこととは思いますが、 チョムスキーの言う生得的な生成文法(が本当にあるとして、それ)は、赤ん坊が世界を認識し言語(ラング)を学ぶためのブートストラップシステムとして位置づけられ、確かにこれは、ソシュールの言うランガージュの概念と概ね重なると言えますでしょう。 仮に、何か同じパターンの刺激を繰り返し経験しても、それを「同じ」と認めて他から区別するということが、赤ん坊には出来ないのだとする。すると、同じ物を見ても同じとは分からず、同じ音を聞いても同じはと分からないのだから、物と語の対応を学習する事などそもそもできない筈だ。まして、音が幾つも連なったものを語に分けて聞き取るなど出来る筈がない。逆に言えば、そんなことが出来るのは、何も教わらなくてもそういうことが出来てしまう機構を生得的に持っているからではないか。赤ん坊は、この機構をラングを学ぶための足がかりにして、語彙や文法規則をだんだん追加・修正して行くことによってラングを身に付けるに違いない。 と、こういう説を前提として、 <「間違えない論証の形式」を抜き出したのが論理、と思っていたけれど、実は、逆なんじゃ?論理もまた、生得的であるランガージュの中に既に埋め込まれているのかも知れない。それがラングに反映されたものを、改めて整理してみてるだけなんじゃ?> という話です。この着想を敷衍すれば、「すると、現在使われているラングはどれも、共通な、論理系に相当するなにがしかの系を含んでいるのではないか」という仮説を立てたとしても、さほど無茶でもないでしょう。仮定法を持たないラングや、「嘘」という概念を持たないラングがあれば、反例になるんじゃないか。面白そうです。 ところで、 > 自分のミスを、棚上げして、ここまで開き直れると良いですね。 というなぞなぞ、いろいろ考えたんですが、一向に分かりません。 こりゃきっと、stomachmanが何かミスしたのに開き直ってる、と仰ってるんでしょう。でも、何をミスしたのかなあ。ひょっとして、ANo.17の「社会的で、本質的なものだけが論理の対象だと仰るんで?」が早とちりだ、と仰ってるのかとも思いましたけれど、それじゃ棚に上げようがないから辻褄が合わないなあ… と言う訳で、わかりません。降参しますから教えてください。ぐう。
お礼
ご回答有難うございます。 前回のご回答同様、ラングと文法の問題を解決しないと。 >と、こういう説を前提として、 以下は、矛盾の原因とも関係しそう、 ただ、このご回答に関しては、一先ず、コメントを差し控えます。 最後の部分、あれは、自己言及です。 皆、自分には無関係なことを、自分に関連して理解する、 これも面白いテーマですが、この件はカット。 さて、前に進みますかね(笑。
- stomachman
- ベストアンサー率57% (1014/1775)
今度はANo.17への補足のコメントについてです。 > 混入物を引くことが、論理的考察には重要であるとともに、それがなかなか成し難い、と > 裏の裏は、表。じゃなくって、論理の対象と言うより、条件として、語の意味の正確な共有か必要だ、と。 > ラングには既に価値観が、分け難く浸透しているのではないのか、そこで、上記のように、論理的に切り離したくても、簡単にはできない。 ってことは、ええと、 用語の意味を共有していることを前提として、それに頼って話をするのが普通の会話だけれども、すると、使われる単語や言い回しの数だけ、社会が共有しなくてはならないものがある。で、まさにその共有しなくては「話にならない」ものをラングと呼ぶ。しかしながら、ラングは常に変転している。明確な定義を持っている学術用語ですら、それこそ「ポストモダン」あたりの手に掛かると、好き勝手にねじ曲げられてしまう。まして、大抵の言葉には明確な定義などないから、変化しないではいられない。そして、「矛盾」という単語も「逆説」という単語もまたラングの中にあるのだから、その意味が変転しても当然だと、こう仰っているように思います。なるほどそうでしょう。 ところで、「それがへめごもすであるならば、それはへめごもすだ」という言明は、「それがへめごもすである」がどんな意味であろうと真でしょ?ってのが論理です。「それがへめごもすである」という句の意味は無視され、従って詮索の必要がない。ただ、「Aならば、Aである」という格好をしたパターンだけが残ります。言語(ラング)のうちから、価値観が入り込まない部分だけを切り出す、というのはこういうことを言ってます。そして、論理の体系は、そういった僅かな数のパターンだけから成っています。 で、論理の体系について語る際に、これらのパターンをいちいち示す代わりに、短い名前で呼ぶことにした。つまり、名前(学術用語)を定義した。 トートロジーとは、「Aならば、Aである」というパターンのことである という定義です。 同様に、「Aであり、かつAでない」というパターンを「矛盾」と呼ぶ。これらの少数の用語(定義を伴う学術用語)を共有することで成り立つのが、論理学です。 ですが、これらの論理学用語は、論理そのものにとっては必須という訳ではないんです。 あるラングの中で、いつしか「トートロジー」と「矛盾」という語を別の意味で(例えばそれぞれ「無意味」と「誤り」という意味で)使うようになってしまったとしましょう。それでも依然として「AならばAである」や「Aであり、かつAでない」というパターンがラングの中にあるということには変わりないとしましょう。 すると、今や変質してしまった「トートロジー」だの「矛盾」だのという用語を注意深く避けて、面倒でもいちいち「AならばAである」や「Aであり、かつAでない」というパターンに立ち返って論証すれば、何も問題はないでしょう。論理そのものは成り立つ。論理学用語がなくても、論理は消滅してはいない訳です。(歴史的には話は逆で、「これらの論理学用語が定義される以前から、ラングの中に論理はあった」と言うべきでしょう。) 一方、「トートロジー」「矛盾」という論理学用語を本来の定義に沿って使ったいくつかの論証が、ラングがそんな風になっちゃう以前の昔に書かれたとします。ところが、それを読んだ後世の者が、「トートロジー」とは「無意味」ということだと思い込んでいて、よもや「『AならばAである』というパターンのことだ」なんてついぞ思わなかったとするとどうでしょうか。 その者は、論証を読んでも分からない筈です。チンプンカンプンでありましょう。ですけれども、分からなくても幾つも論証を読む経験を繰り返すうちに、ふうんこういうのが論証なんだ、じゃあ俺もやってみよ(まさにラングを学ぶのはこういうプロセスですよね)、となったときに、体裁や用語だけを真似たスカタン論証が書かれることになります。 その作品に対して「辻褄が合っていないぞ」と言われて、「いやそんな筈はない。だって俺はいろんな有名な学者の書いた有名な古典をうんと沢山読んで学んだのだ。あれも読んだし、これも知ってる」と胸を張ってみても、なにしろ基本的な学術用語をうっかり別の意味だと思い込んで読んでいたのであっては、気の毒なことに、ちっとも学んだことになっていなかった、という訳ですね。 むしろ、「トートロジー」だの「矛盾」だのという用語の定義を知らない人であっても、そんな知らない用語を見よう見まねで振り回したりさえしなければ、上手に論証が出来たかも知れないでしょう。 > いつぞやは、不完全を楽しんでいたstomachman これはおそらく、「完全性」と「無矛盾性」とを、「不完全性」と「不健全性」とを、あるいは「不完全」と「混沌」とを混同していらっしゃるのではないかと思います。
お礼
まず、最初に言い逃れをしておきます(笑。 言語学・論理学に詳しくありませんし、個々の学者の説を彼是する気は有りません。 チョムスキーの言葉を借りれば、重要なのは、「あなたのいうことは本当ですか」ということさ。 さて、今回の相違点は、 「ラングに論理が含まれている。」「ラングは主観的価値の混入により、非論理的」 この相異は、別の表現ができると思います。つまり 「ラングは文法を含んでいるのか否か」前者は含んで、後者は否定します。 それ以外の、ご回答の後半は複雑になりそうで、これをまず解決したいのですが。 先が長いですから、この件についてご同意いただけるでしょうか。 御礼の内容が、補足そうろうですが、あしからず、ご回答有難うございました。
- stomachman
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これまでのお話、そしてANo.17へのコメント > 矛盾、逆説、偽りの混同を問題としています。 を拝見して、「矛盾」と「葛藤」の混同ということも視野に入れてはどうか、と思いました。 たとえば「議論禁止、批判禁止という規則の下で哲学を語れ」と要求したとします。すると、規則と「哲学を語れ」が矛盾して見える。充足不能な要求のように見えます。しかしです。この「矛盾に見えること」を、現実になんとかやり抜けているという「逆説的」な状況にある。これは一体どういうことか。 答は簡単で、「議論禁止、批判禁止」および「哲学を語れ」の判定基準が厳密には定まっておらず、あくまでも人の主観によって判定される恣意性を持っている。このために規則が自動的・機械的に適用できるものではないからです。その恣意性を「運用」することによって、一見「矛盾に見えること」も乗り越えることができます。 =========================================== 質問を的確に記述する事こそが最大の難問、と言われるのが哲学です。このため、質問者の持つ、まだうまく言葉にできない問題意識を、質問者と回答者が協力して探り当てることが、回答の一環として、どうしても必要なのです。すなわち、回答は単なるコタエではなく、「回答するという活動」に成らざるを得ない。それが哲学なのです。 問題意識がさっぱり掴めていない方には「意見表明や議論」に見えてしまうかも知れません。しかし、Q「新宿界隈のおしゃれなラブホテル教えて」というような質問ですら、回答と補足をやりとりをするうちに知識が増えた結果として、A「新宿なんかつまらないですよ」Q「じゃあ、新宿じゃないとすると、どこがいいんでしょうか?」A「おしゃれ、ってどういうのがおしゃれなんですか」Q「そりゃ人によるかもしれませんけれど…」と質問が変化するのは、当然のことではないでしょうか。まして、哲学カテゴリーでは、「本当のところ何を知りたいのか」を質問者自身が掴みきれないでいるからこそ、質問が行われるのです。従って、回答者との間で行われる対話は、「お前は間違っている」「いーや俺は正しい」という類いのギロンではなく、遥かに発見的で創造的な対話なのです。 =========================================== これはある質問がまるごと削除されたこと(で、その後どうなったかはキン鉢先生もご存知の筈でした)に抗議して先日stomachmanが管理部に送った文章の一部ですが、一例として引用しました。ここに見るように、現実の「規則」と「要求」の間にあるのは「本物の矛盾」ではなくて実は「葛藤」であり、従って判定の基準の恣意性ということがまさに焦点になる。(ところで、ふくろうくんとへびくんは、嘗て起こった同じような「事件」を切っ掛けに、 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa78352.html と共に生まれたと言っても良いでしょう。そして結局、数多くの興味深い質問・回答を残したまま、もう4年も前に新しい ちへい? を求めて飛び立ってしまったようです。) 上記の「矛盾にみえること(葛藤)」も論理上の本物の矛盾ではなく、「逆説的」状況も本物の逆説ではありません。日常で用いられる「論証」の多くはこの程度のものしか扱っておらず、従って穴もあり、「逆説的」状況は容易に生じます。大抵の人にとって、ホンモノの「論証」・「証明」を見聞きしたり扱ったりする機会は(数学などを学ぶ時を除いて)滅多にないのでしょう。 「~かもしれない」「~なくない?」のように断定を避けた表現は、主張の責任からの逃避手段であるとしばしば批判れますけれども、それは同時に、主観の危うさを自覚するがために「論証」には(ホンモノであれニセモノであれ)安易に近づかない知恵、ということなのかもしれません。(<って、断定を避けてなくなくない?)
お礼
大変お待たせしました。ご回答有難うございます。 さてさて、何処まで行ってしまうのか判りませんが、一先ず進みます。 >「矛盾」と「葛藤」の混同ということも視野に入れてはどうか、 どうなんでしょう、無いものねだり、かも知れませんし。 ナンタラ王国のお話は、面白いのですが、全部読むのは・・・ このご質問者様には大変お世話になっていますし、帰ってきて欲しいキャラですね。 それでも、noname#1317はすでに「私の中の他人」かな、知らない人は知らないし。 この辺の、記憶の重心の恣意性、時間の流れの濃淡でしょうか。 okWaveの存在論・認識論・倫理論といった感じでしょうか。 ただ、この時点で、このナンタラ王国で、どんな圧政が行われたのか、 その事件が、どんな物かを知らずに、尻馬に乗って、彼是言えませんね。 今回のご回答の内容、ご意見は同感ですが、 問題は、過去に一時期あった形式(葛藤)ではなく、現在の内容。 この質問を通じて、問題点を掘り下げることが可能か、 ちょっと、私には荷が重いですが、もう少しお付き合い下さい。 断定しないのは、此処での生活の智慧、だったりして。 そもそも、専門家も判らない、問題の場合もありますし。 今回stomachmanの葛藤を私に憑依させようとしたな、断定。
お礼
うん~天網恢恢から、コナンですか。 これも不思議ですが、矛盾とは一味違う。 来月の、ほにゃらか形而左右学、良いヒントになりました。 いろいろな工夫が在って、面白いのですが、 本当のお礼は、来月の質問ができたことです。
補足
時間ですよ、と言う事で、締め切ります。