• ベストアンサー

もし、日本に原爆が落とされていなかったら…

もし日本に原爆が落とされていなかったら、日本の未来はどう変わっていたでしょうか。立て続けにif質問で申し訳ありません。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • suicyo
  • ベストアンサー率43% (83/193)
回答No.3

空襲で大都市を軒並み焦土にされても有効な反撃すらできず、ご丁寧 に地方都市までもこまめに襲われていた訳ですから、多少の兵力は残 っていたと言っても、敗戦時の日本の戦争遂行能力は崩壊寸前と言っ て良いでしょう。 敗戦直前までは、本土決戦が叫ばれていました。しかし、沖縄戦のこ とを聞く限り、アメリカに大部隊で侵攻されて以降、一般住民ですら スパイ呼ばわりされて自国軍に虐殺・暴行されたり、軍は撤退し住民 は置き去りにされるようなこともあり、一億総玉砕などと言って軍民 ともにゲリラ戦で抵抗するどころか、そう言う組織として抵抗する力 は地方戦レベルでも、もはや日本にはほとんどなかったと思います。 本土決戦などと言っても、掛け声だけで絵に描いた餅です。 ですから、原爆投下がなくても、日本の敗戦は決定的でした。ただ、 終戦が遅れるほど、空襲やら本土決戦やらで、被害が増大していった ことに間違いありません。神風特攻隊などと言う理解不能な自爆行動 を、本土決戦で住民レベルにまで強要される、なんてことにでもなっ ていたかも。アメリカ兵もそんなタチの悪い相手と戦っていた訳です から、本土決戦を回避するためにも原爆投下を急いだという主張も、 あながち嘘ではないと私は思います。 あと、日本の戦後処理の案として分割統治案もありましたし、終戦が 遅れれば、現在北方4島をロシアが実効支配しているのが北海道にま で及んでいた可能性もあり、ぞっとします。分割統治されたドイツの ように冷戦の最前線に置かれたり、朝鮮半島のように戦争が再発し、 先の見えない分断国家となったり‥  原爆投下を肯定する気にはなりませんが、かといって、これ以上終戦 が遅れていたらろくなことにはならなかったのは明白なので、複雑な 感情ですね。

nyahoe
質問者

お礼

同感です。いっぱい書いてくれてとても参考になりました。ありがとうございました。

その他の回答 (6)

回答No.7

大勢の方々がご回答を寄せられ、しかも確りとしたご指摘が多いので、小生などが嘴を入れる余地は無いかも知れませんが、第二次世界大戦末期の、B29爆撃機編隊からの、爆弾と焼夷弾の投下による空襲と焼け野原の情景が幼少の思い出となっている中での、最も若い世代の一人(1歳下の昭和17年生まれの同僚たち及びそれ以下は記憶に無いと言って居たのでこの判断となっています)の立場で一言この問答に参加させて下さい。  小生は、昭和20年8月15日のポツダム宣言受諾(天皇陛下のありがたい御言葉があると聞かされていた)に関る玉音放送を実際に耳にしています。快晴下の猛暑の中、月遅れ盆の中日でしたが、藁草履を履いて町で一番良い音のする小学校のラジオを聴きにぞろぞろと出かけました。音が雑音紛れであったことと、余りにも難しい言語であった為に集まった人の殆どが(子供は勿論のこと)、チンプンカンプンの様子でした。昭和天皇の厳かなお言葉(大部分の国民は天皇陛下のお声をこの時初めて肉声で聞いたそうです。)が終わると、町の顔役だった小生の祖父と、街医者の先生、寺の住職の方丈さんの3人が、戦争は終わったよ、要するに負けたんだ。と言ったら、泣く人、座り込む人など色々でしたが、中にはほっと安堵感を露わにする人も多かった様な記憶があります。  当時の日本では、一億火の玉、とか本土決戦だ!などと勇ましく、新聞やラジオ(NHKしかなかった)が騒いでいましたが、降伏勧誘のビラが毎日のようにばら撒かれ、B29,グラマン、ロッキード、パッカード等の重爆や戦闘機、哨戒機、偵察機が我が物顔で日本の空を飛んでいたし、たまに迎撃機が飛んでも、多勢に無勢で勝負になりませんでした 子供達や高等科1~2年生のお兄ちゃん達も其れを見ていて、大体の彼我の勢いの違いを目撃していました。 拾って読むと手が曲がり片端(かたわ)になるぞ等と脅されていても空から降って来るビラを子供達は、木の枝で作った箸で摘んで読んでいました。だから『要するに負けたんだよ。』と言う大人たちの話を聞いても別にどうと言う感想も無かったような記憶があります。もう61年も前のことです。 広島・長崎に落された強烈な威力(下瀬火薬の何百倍とか)のある爆弾が『原子爆弾である。』と言うことを一般の国民が知ったのは、大分後になってからだったと記憶しております。  アメリカの原爆投下が『もし無かりせば?』の設問は余り意味がないと思います。ローズベルト大統領の日本蔑視やアジヤに於けるUSAの脅威論、其れを彼の死後受け継いだ忠実なる行政マンであるトルーマンの立場からすれば、マンハッタン計画の遂行こそ我が使命、と思っていた為に、最近知った話ですが連合軍最高司令官のダグラス・マッカーサー陸軍大将(後に元帥)でさえも直前までこの作戦(新潟、広島、長崎等に投下すると言う計画)を知らなかったと言われています。    小生は、この原爆投下が無かったとしても、ポツダム宣言受諾のご聖断は下って居ただろうと思います。アメリカ(連合軍ではなくて)政府の方が、原爆投下以前に日本のポツダム宣言の受諾をさせえないで引伸ばす様な、考えを持っていたような節すらあります。  戦後を睨んでの対ソ連向けの示威行為としての意味もあったかも知れません。しかし、私達が知って置かねばならないことは、一体ヨーロッパ戦線(対独逸戦線)がもう少し膠着していたならば、つまり、原爆の完成と実験とが間に合って居たとすれば、白人国家の独逸に対して、原爆投下に踏み切れただろうか、と言う点。日本は、戦争当事国とし唯一被爆国家となった訳ですが、東京大空襲(1945/3/20)、広島の原爆投下(1945/8/6),長崎原爆投下(1945/8/9) この3っつの『非戦闘員大虐殺』とは、敵国意識だけではなく、黄色人種蔑視の意識なくしてやり遂げられるものか。と言うことです。 もし、原爆投下なかりせば、日本の敗戦は時期的に余り変わらなかったと思います。7月27日の段階では既に政府内には、一部に宣言受諾の 検討が始まっていた様です。本土決戦などと騒いでいたのも、死に場所探しとして、現実の戦闘経験の無い近衛師団の若手将校程度で、武器弾薬の物量・兵站に於いても既に戦闘は不可能なことを昭和天皇はもとより、師団指令官の多く、作戦参謀の中の可也の部分は承知をしていたと 当事陸軍大佐(参謀本部でキスカ島撤退作戦立案に参加した方)であった方(会社の大先輩)に聞いたことがあります。当事のわが国には、戦争継続能力は殆ど無くなっていて、『降伏』の言い出しっぺを誰が演ずるかと、天皇制に依る国体の護持は可能か、の2点だけが問題であっただけですから、早晩受諾をしていたと思います。  原爆投下無かりせば、日本の未来はどう変わったか、の問いに対してですが、戦後以来の今日までと、これからの未来と少し異なりますが、経済中心の技術立国路線は変わらなかったでしょう。気になるのはソ連軍の侵攻を何処で食い止められたかの問題です。スターリンは北海道の半分を欲しがっていたようですし、今の北方領土の占領程度に留まったかどうか。ロシアは対日戦の戦勝記念日を9月4日としている様で、あと半月(9月までと言う意味)も伸びると厄介なことになっていたでしょう。  戦後から現在、此れからズット続く被害の問題は、日本人の多くが、原爆被害のトラウマに掛かって、ポツダム宣言を受諾したことが無条件降伏と思い込んでしまって、戦時国際法に則っての堂々たる敗戦諸手続が出来なかったことや、国際法違反が明らかな東京裁判のマインドコントロールに引っ掛かり、占領政策の中でも民主主義国として最も恥ずべき『検閲制度』に依る、言論の封殺行為を通じて、わが国の戦後世代の左翼化を助長し、反戦平和を叫ぶだけで安全保障問題の正常・健全・真面目な論議を封じ込める作用を世論に強制している結果となっているのが、原爆投下と国際法違反の東京裁判、検閲制度で持って、如何にも自主憲法の振りをさせてわが国の憲法を強引に押し付けたこと(占領体制の下で、非占領国の基本法の改廃に占領国側から介入してはならない)と3点セットで、わが国国民をして『無国籍人間化』しようとした占領政策のバックボーンに『核』への恐怖感と言う柱が出来てしまったことは、被爆国としての大きなハンディキャップを背負わされたことになり、日本が外交政策の面でも、安全保障の面でもアメリカの植民地乃至は保護領と言う世界的評価を払拭できなで積年の手枷足枷として残るでしょう。  力の無い正義ほど傍迷惑なものは無い。戦力や力のブラフ無しに、外交交渉が成功した例がない。核保有の議論すら封殺されて、された側が『言論の自由』の権利を盾に抗議もしない国になってしまったのも、 核兵器どころか核の平和利用すら論議封殺するナイーブな勢力が現存するのも、世界常識から見て異常であり、被爆国ならではのことです。 わが国の核武装化を恐れている国の中には、同盟国(大国)アメリカが入ることを忘れてはいけません。わが国の反戦平和や核廃絶運動の中には、反米思想の意に反して、アメリカの安全保障政策の片棒を担ぐ、お利巧な集団であることを忘れてはなりません。  元々『核への感情』も左翼もアメリカの占領政策の当初から、種まきされ、今日に到っている占領の残滓見たいなモノです。 それにしても原爆投下に依る後遺症は、患者の肉体的苦痛のみならず、精神面での国民的後遺症まで、甚大な被害となって長引くものですね。  又別の機会に堀り下げた議論をしたいですね。議論を回避することが最善の安全保障政策だ。と言うのでは余りにも無責任ですものね。

参考URL:
http://www.okwave.jp
nyahoe
質問者

お礼

アメリカの原爆投下が『もし無かりせば?』の設問は余り意味がないということですが、今時の大学には、IF~みたいなことを考える授業があるんです。意味のないことといえばそれまでですが、歴史というものはどこでどう変わっていくかわかりません。もし~だったらということを考えることで、歴史をより深くみていくことができるし、未来につながるなにかがあると思います。 戦時中の人の見方と、戦争を知らない現代人の見方とでは大きく違うところがあると思います。とりあえず、最後の一文は私も同感です。参考になりました。ありがとうございました。

noname#32495
noname#32495
回答No.6

原爆を投下したのはソ連への牽制や、#4さんのおっしゃる(初めて聞きました)自国民へのアピールのためでしょう。実際のところは「降伏してしまう前に落とさなくては」という焦りがあったようです。つまり降伏は時間の問題だったのですね。 日本が完全に降伏方針を決めたのは、原爆投下が理由ではなく、ソ連の参戦によるほうが決定的です。ですので原爆がなくても歴史はさほど変わらないと思われます。 あえて言えば、核保有国になった可能性もあります。

nyahoe
質問者

お礼

ご意見ありがとうございました。

  • sudacyu
  • ベストアンサー率35% (687/1961)
回答No.5

 朝鮮半島は全体が、ソ連の衛星国家になっていて、日本はソ連とアメリカの分割占領で、今の過去のドイツのようになっていたのではないかと思います。

nyahoe
質問者

お礼

質問に対し、簡潔にお答えいただき、ありがとうございました。参考にします。

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.4

聞いた話だと、もう日本はボロボロでもう持たずに敗戦を宣言しそうな感じだったそうです。 従って日本の敗戦決定に原爆はいらなかった。 ところがそれじゃあ困るのがアメリカ政府。 軍事費や核開発のため、アメリカ国民に重税を強いていたわけですが、だんだん国民は不満に思って政府を支持しなくなった。 このままでは国民から税金をたらふくとれない。 どうすればいいか。 ボロボロでもう立つ気力も無いという日本の情勢を伝えず、「原爆により一気に悪者の怪物日本を退治しました。あなたがたの税金により悪が倒され正義が勝つこととなりました。あなたがたの忍耐をして税金を納めてくれたことに感謝します。今後も悪を倒すために政府に協力してください」 こんな構図だったようです・・・・・ 従って原爆が落とされた理由は悪の日本を倒すためじゃなくて、アメリカ国民の支持率を上げて税金を取り続けるため。 アメリカ国民に政府が国民に対して諜報活動することを支持させたいきさつも、「諜報により今まで本土攻撃を防げてきた。 WTC爆破の前にも何度も攻撃はあったが諜報り未然に防いできた」となり、アメリカ国民に国民の電話の諜報などもやっていいといことを一気に支持させたらしい。 日本に原爆が落とされていなかくもて もうボロボロでしたから、アメリカじゃなくても他の国に侵略され植民地とされていたかもしれません。 アメリカも最初は日本を植民地にするつもりだったと思います。 それを防いだのがメーソンだったんじゃないかと。 ちなみにマッカーサーはメイソン。 従ってマッカーサーが失脚するまでは、メーソンによる計画により日本は再建されたんじゃないかと。 アメリカが日本をとらなかったらソ連や中国の植民地の日本だったのでしょうか。 どうなっていたでしょうね。 香港みたいに独自の地域になっていたのか。 文化は相変わらずで、のんびりとした農産国になっていたのか。 アメリカは極東の軍事基地として日本をどうしても欲しかったと思います。 だからどうしても他の国に向かって「日本はもらった」ってしたかったと思います。 だから原爆を落としたんじゃないでしょうか。

nyahoe
質問者

お礼

それぞれの国で色々ありますよね。戦争中にしろ、結局は人間と人間です。国のトップもひとりの人間ですよね。原爆を落とした背景には色々あったと思います。人ごとのようですが、アメリカにとって原爆を落としたほうが、色々都合よかったのでしょうね。もし落としていなかったら、現代のようなアメリカにとって都合のよい国にはなっていなかったはずですから。 ありがとうございました。

  • a-koshino
  • ベストアンサー率23% (102/441)
回答No.2

アメリカの戦略爆撃調査団の結論では、原爆やソ連の参戦がなかったとしても、1945年10月いっぱいで、日本は降伏せざるを得なかったとなっています。 爆撃、機雷による港の封鎖、潜水艦の通商破壊などで、日本の産業基盤は崩壊していました。肥料の不足で凶作は避けられず、本土決戦をやっていたら、大量の餓死者が出ていたでしょう。 ソ連が北海道へ侵攻する前に降伏したかどうかで、日本の未来は大きく変わります。昭和天皇が無条件降伏を決断したのは、広島の惨状を知ったからで、天皇が積極的に動くまで、日本政府に降伏の決断はできませんでした。日本に原爆が落とされなかったら、米ソが分割占領していた可能性が高いと考えます。

nyahoe
質問者

お礼

参考になります。とりあえず、北海道が残ってくれて、本当によかったと思います。ありがとうございました。

  • hirokazu5
  • ベストアンサー率16% (308/1836)
回答No.1

某国人の主張によれば、 「原爆を落としたことで日本の戦意を喪失させて 早期の無条件降伏を実現し、結果、多くの日本人の生命を救った」 ということであります。 東京をあれだけ空襲しても降伏しなかったわけですから。 さて、話を戻しましょう。 原爆が落ちなかったなら→代わりに通常爆弾が落ち続ける→ それでも日本は降伏しない→本土決戦がはじまる… みたいな流れが考えられます。 「もし、本土決戦があったなら」という仮定の物語(漫画・小説)は、 そこいらじゅうにゴマンと転がっていますので、 片っ端から読まれてみることをオススメします。

nyahoe
質問者

お礼

了解です。本を探して読んでみます。ありがとうございました。

関連するQ&A

専門家に質問してみよう