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金印にかいてある漢字

歴史のことで質問なんですけど1世紀の半場ばに倭の双国の王が漢に使いを送り、皇帝から金印を授かりますがこの金印には漢字が書いてあると思いますがなんて書いてあるかわかりません。なんてかいてあねか教えてください。お願いします。

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  • ベストアンサー
  • hoo
  • ベストアンサー率17% (57/319)
回答No.3

印面には、「漢/委奴/國王」の5文字が彫られています。つまみ(鈕・ちゅう)は蛇がとぐろを巻いた姿で、ひもを通す孔(あな)/(鈕孔・ちゅうこう)には紫色のひも(綬・じゅ)が結ばれていたものと考えられています。 中国の歴史書「後漢書」倭伝(かでん)に「建武中元(けんむちゅうげん)2年(57)倭の奴国貢(なこくみつ)ぎを奉って朝賀(ちょうが)す。・・・光武賜(こうぶたま)うに印綬(いんじゅ)を以てす。」と書いてあり、弥生時代に最も栄えた国のひとつで福岡平野にあった奴国の王が、後漢の都・洛陽(らくよう)に使節を派遣(はけん)し、光武帝から贈られたのがこの金印です。  金印は、大切な公文書(こうぶんしょ)や手紙の封印(ふういん)に使われました。封印の方法、文書や手紙を入れた 筥を紐(ひも)でしばり、その結び目に付けた粘土に押して封をしたもので、文書の秘密を守るカギの役目を果たしています。この金印は、一世紀の日本と中国の交流を証明する貴重な文化財であり、福岡市博物館に常設展示されています。

その他の回答 (3)

  • tatsumi01
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回答No.4

定説では「漢委奴國王」の「委」は「倭」と解釈し、「漢の倭の奴国の王」と読みます。1993syu さんが小学生、中学生、高校生だったら、そういうように理解しておいて構いません。 しかし、歴史というものはそのように定説だけがあるわけではないということを書いてこきます。頭が混乱するかも知れませんが、算数のように答えが一つに決まるものではないのです。 民間歴史学者の古田武彦氏は上の定説に疑問を呈します。中国の古い印を調べ、他に「■の●の▲国の王」という書き方はない、全て「■の★国の王」というように二段になっているとします。「■の●の▲国の王」という書き方だと、天下を支配する■帝国の下にある広さを支配する●帝国を認めたことになり、■皇帝からは到底受け入れられないというわけです。 したがって、古田氏の説では「漢委奴國王」は「漢の委奴国の王」と読みます。「委奴」は「イト」で現在の九州の糸島半島と関連するだろうと見ます。 なお、このような二段読み説は昔からあって、古田氏が発見したわけではありませんが、定説の三段読みに押されて下火になっているために尽力しているわけです。

noname#40706
noname#40706
回答No.2

サイトがありました。

参考URL:
http://www.fjct.fit.ac.jp/yama-lab/tanbouki/main.htm
noname#40706
noname#40706
回答No.1

漢委奴國王(かんのわのなのこくおう のことですか? 上の語句で検索してみてください。

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