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永訣の朝

宮沢賢治の作品、永訣の朝ですが、 Ora Orade Shitori egumo の部分・・・。 何故頭文字でeだけ小文字なのでしょうか? オーとエスは大文字でも小文字でも形は変わりませんがそれも何かのからくりなのでしょうか・・・・? それと、 銀河や太陽 気圏などとよばれたせかいの の所で、この文が示すせかいとは何なのでしょうか? 詩歌なのである程度解釈に差が出るかと思いますが・・・。

みんなの回答

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.3

推測でしかお答えできませんが、 1、 「妹 としこ」の心情を慮れば、この部分は弱々しくつぶやくように発音するだろうというイメージになったのではないかと思います。 音楽で言うとピアニッシモといったところでしょうか、そういうニュアンスを小文字で表現したような気がします。 2、 「銀河や太陽 気圏などとよばれたせかいの そらからおちた雪のさいごのひとわんを」と続くわけですが、「せかい」は端的に言うと「宇宙」というイメージでしょう。 雪の生まれた場所を単に「空(そら)」とするのではなく、 大気圏、太陽系、そして銀河系というように限りなく広がっている果てしない宇宙につながる空、と認識することで「雪」に永遠性、神秘性を付与させているように思います。

  • toko0503
  • ベストアンサー率36% (886/2437)
回答No.2

全くの私見ですが 「おら おらで 一人行く(逝く)も」 ってことで、"一人"に続く術語としての egumo なのでは? って気もします。 「私は私で、一人で行きますよ」 今までいつも一緒に生きてきた兄妹だったのが とうとう、妹が一人で先に逝くという事態になり、 深い信仰心を持ちながら寄り添って生きてきた二人でしたが 最期だけは無念にも別々に行く(逝く)のだ、という この詩の核心を突く言葉なので、 ここはローマ字にしたのではないかな、という気がします。

  • purunu
  • ベストアンサー率42% (518/1214)
回答No.1

賢治はドイツ語を知っていたので、それにならって「名詞を大文字にした」のかな。

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