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高齢の大学院生
法学部を卒業したのですが、在学中から哲学・歴史・民俗学と、どう考えても文学部領域の内容に興味を持っており、個人的に勉強していました。 今は仕事があるのですが、40歳や50歳になってから、 もう一度大学院に行って、哲学等を勉強したいと思っています。 もちろん法学部で法哲学はやりましたし興味もあるのですが、純粋な哲学をやりたいのです。 実際の大学院の状況としては、高齢(?)の院生というのはどれぐらい存在するのでしょうか?? また、そのような人たちはどんな風に思われていますか?? 別に他人になんと思われようが行きたかったら行くんですが、少し気になったもので・・・・・ とにかく、よろしくお願いします。
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30代で社会人学生を経験したものです。 >実際の大学院の状況としては、高齢(?)の院生というのはどれぐらい存在するのでしょうか?? 大学や研究室によってかなりの差があります。 たとえば、関西では、関学や関大や京都大学では社会人を対象として、とくに中高年層にターゲットを絞って学生を募集しています。 また、私の場合は教育系大学院でしたが、教育学専攻にA,B,Cと三つの専攻科があり、そのうちABは学卒あがりの学生ばかりでしたが、Cは社会人ばかりで主婦や定年退職をした院生が中心でした。ですので、中高年の年代の社会人学生は、大学や学部によって偏在しているという状況のように思います。 >また、そのような人たちはどんな風に思われていますか?? 社会経験がある分、実社会と実体験にもとづいて考える傾向があるように思います。はっきりいって、学卒上がりの学生と研究者は実社会に身を置いたことがないので、抽象的な思考は洗練されているものの、論理だけの世界に留まりがちです。その分、ある程度の年齢になって、入学してくる社会人学生は、実生活の感覚をもって考える人という側面で、おおいに尊敬され、歓迎されています。 ただ、社会人学生の悪い点は、うえに書いた良い点の裏返しなのですが、自分の経験から発想するという思考の傾向があるために、理論の理解が苦手で、抽象的な思考がなかなかできず、いつまでたっても一個人の経験のひとつの実例という範囲に留まってしまう傾向があることが欠点です。 おそらく、一番苦労されることは、入学後の指導体制です。 入学制度でも社会人対象としたものが増え、社会人学生が増えてきているのですが、実際の授業では「社会人向けの授業」というものがありません。大学院は「研究者養成」のための授業です。そのために、これまでの人生経験から深めていくような研究をと思っていても、まずは理論を叩き込んで・・というような研究者養成型の研究体制のあり方のみしかなく、そしてまた、それについてくためのフォローなどもありません。 ですが、興味があるならやってみましょう!一度きりの人生です!! 質問者様が、いつか大学院で、興味のある勉強がはじめられることを祈っています。
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- kigurumi
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直接の回答ではないのですが、、、 純粋な哲学ってなんでしょう? 純粋は哲学者っていたでしょうか? わたしが知る限り、哲学だけやった人はいないと思うのです。 科学・医学・神学・教育・天文学をやりながら、その発展の助けとして哲学が自然に必要になった。 そして相互作用で両方を発展させていった。 など。 名前は失念しましたが、ある哲学者は弟子達が「あーだ こーだ」と盛んに議論しているのを見て、「答えはこの教室の中ではなく外にある。ここでくだらない事をやってないで、さっさと世の中に出て行って答えを見つけろ!」と戒めたそうです。 わたしが興味を持っている人に、エリオット・アベカシスって人がいます。 クムランという小説を書いた人で、27歳でこの作品を発表した時点で、大学教授の資格を持つという哲学者でした。 「へー 小説家じゃなく哲学が本業か」と思ったのですが、彼女は映画も製作していてカンヌに出品していました。 「映画監督でもある???」 ある書評は「ピンナップガールの容姿を兼ね備えた若きアグレジェ(大学教授資格者)」と称した。 女優顔負けの超美人です。 ただ、頭がよくて美貌の持ち主だったからそれで本が売れたのか? 彼女の出した本を読むと、ものすごい破壊力を持ってました。 これがみんなが魅了された理由か・・・ 何千年とかかった建物を一瞬にしてハリボテだと破壊するほどの力を持つ。 その彼女の研究対象は「悪」 その研究成果として小説や映画を作っているようですが、それだけにとどまらないようです。 今度のクムランシリーズは、日本が舞台だそうで、どのような破壊力を見せてくれるのでしょうか・・・・ (といっても彼女が日本の宗教の実体をどれほど知って書いたのか。ヘタすれば失敗作になるかも はらはら・・・) 哲学者ですので、それなりの根拠を示すだけで、読者に「今まで信じていたものは実は人間が作った幻ではないのか」「本当に自分は真実を見ていたのか」「自分は真実を見る能力があるのか」など気づかせる書き方をする。 というわけで、哲学をやるには、いろいろな材料を必要とすると思えるのです。 法学だって哲学が不可欠です。 医学だって、教育だって、哲学が必ず絡んでくる。 哲学の本を読むより、世の中の「何故」を解読しようと試みているうち、必要な哲学がにじり寄ってくるような気がするんですが・・・ いや、過去の哲学に新たな修正を加えることになりかもしれない。 放送大学は通信講座ですので、あらゆる年代の人たちがいるらしいです。 が、純粋な哲学科はありません。 しかし、大学というのは一方的に学ぶ場ではなく、自分でいろいろな本を読んだりして研究していかなければ進めないですよね。 哲学へのとっかかりの講座はあるようですから、やっていくうち、何故?が芽生えたら自分で研究していけばいいのではないでしょうか。 直接講義に出なければならないこともあるようで、直接指導を受けたり、どの方面を探せばいいかアドバイスがもらえると思うし、進路相談にも乗ってもらえると思うので、ひとまず1科目だけでも受講してみてもいいかもしれません。 あとですね。。。 http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1005.html この人の後についていくという手段もあります。 松岡正剛の千夜千冊。 高くて私は手が出ません。 http://encul.impress.tv/host/pj/sgb/ に1から16まで無料でお話を聞ける講座?があります。 (アドレスが代わったことで、11-16まではリンクが消えているようですが) 彼の千夜千冊の中には、哲学系の本を登場します。 しかも小説にしながら、哲学をはらんでいる本を題材に読み解くので、退屈しない(眠くならない)んです。 彼の開いている「編集学校」。 やって見たい気もするのですが、お金が・・・苦笑 人がバラバラのものを編集し、形作り、それが世に出て一般化すると、それが常識となり、それがあたかも真実であるとすりかえられるような気もしますが、、、。 編集を間違えると大変なわけですね。 別物になって世の中に、あるいは後世に伝わってしまうので。 私だったら、大学院に行くより、こっちの方が落第せずについていけそうな気がするんですけど・・・・笑 ただ、ここでは子どもじみた理論を言うと、相手にもされなさそう・・・
お礼
『クムラン』という小説、非常に興味を持ちました!! どんな本でも読むのは大好きなので、是非読みたいと思います。 作者のエリオット・アベカシスさんは美人さんだということで写真を検索してみたんですが(笑)、残念ながら見つかりませんでした・・・・・・ 松岡正剛さんという方は知らなかったのですが、HPよくみさせてもらいます!! 哲学以外にも色々勉強しておくことで、面白い発想につながるといった内容のことをおっしゃって頂いて、すごく嬉しかったです。 本当にありがとうございました!!
お礼
実際に大学院に行かれていたということで、 非常に詳しい説明で判りやすかったです。 いっそうやるぞ!!という気になれました(笑) ありがとうございました!!