- ベストアンサー
「巨人、大鵬、卵焼き」の卵焼き
1960年代、子供たちの好きなものとして、 「巨人、大鵬、卵焼き」といわれていたそうです。 この卵焼きですが、これは目玉焼きでしょうか、 それとも出汁巻き卵でしょうか? また、どうして卵焼きがそんなに人気があったのでしょうか? 本当は肉とか、バナナのほうが好物だったのではないですか。 よろしくお願いします。
- みんなの回答 (8)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
- ベストアンサー
なんだか皆さんのご回答を読んでいますと、出汁巻き卵か否か・・・といった感じで、とてもほほえましく感じました。 もともと日本では、卵は病気にでもなった時ぐらいしか食べさせてもらえなかったほどの貴重品でした。それだけに子供たちにとっては大好きだけれど憧れの一品。 しかし、その後ブロイラーと呼ばれる鶏の飼育法が普及したことから卵の出荷数が一気に増し、その結果、卵はどこでも手に入る安価で手軽な食材になりました。また、その結果、珍しく長年にわたって価格が変わらない食品とまで言われるようになったことも皆様ならご存知のことと思います。 そうしたことを背景にして、さすがに「巨人、大鵬、卵焼き」と言われた昭和30年代では卵も簡単に手の届く食材にまでなっていましたが、それだけに、今度は子供たちには嬉しいおかずの定番。 なにしろ大鵬関が現役だったこの時代では、子供たちが大好きなハンバーグもまだ冷凍食品としては普及しておらず、ウインナーですら今日のような本格的なものは少なかったものでした。 第一、今日のようにスーパーやコンビニといったもの自体もまだまだ普及していなかったし、ファミレスですらそう沢山はなかった時代ですから、子供たちにとって、玉子焼きは大好きなメニューのトップを飾っていたものだったのでしょう。 それでは、どんな焼き方か・・・といえば、それはもうそれぞれの家庭のスタイル。つまり#2さんがお書きになった「お母さんが焼いてくれる卵焼き」、これに尽きます。 逆に考えれば、あの頃は、お母さんが工夫を凝らしながら美味しくて栄養満点のメニューを一から作り上げてくれていた時代。今のようにスーパーで買ってきた冷凍食品で手っ取り早くおかずを作り上げることが多いとなると、なんだかあらためて反省したくなります。 あとは、一種の語呂合わせでしょう。日本人の大多数がこよなく愛するジャイアンツと大鵬関、そして玉子焼きというわけ。しかし、そこには、ある面で「定番」でありながら、その他方で「常識的過ぎて当たり前で普遍的で面白みに欠ける」といった皮肉も含まれていたようです。
その他の回答 (7)
No.3です。 目玉焼きでなくて卵焼きですが、出汁巻き卵か否かは地方によって違うかも(笑) 関東って関西より出汁巻き卵率が低いと思います。 うちは関東なので、出汁巻きでなく、甘い卵焼きです。 厚焼き玉子も甘いです。
- tachiuo
- ベストアンサー率32% (92/279)
懐かしい言葉やなあ。因みに「阪神、柏戸、社会党」というのもありました(弱いものを並べた)。もっと後の時代ですが「江川、ピーマン、北の湖」(嫌われ者)というのもあります。 私の子ども時代がまさに「巨人、大鵬、卵焼き」の時代ですが、私は阪神ファンで、相撲はアンチ大鵬(大鵬が負けると喜んでいた)なので、この二つは当てはまりませんが、「卵焼き」は弁当に欠かせないものでした。「出し巻き」のような上品なものではありません。醤油味のただの卵焼きです。目玉焼きではありません。おにぎりと卵焼きというのが、当時の行楽弁当の定番ですよ!
- hunaskin
- ベストアンサー率30% (1854/6060)
そのころの日本では今ほど肉を食べなかったですね。 学校給食で出る肉は多くは鯨肉でしたし、豚肉は今ほど美味しいものはあまりなかったのです。 バナナは高級果物だったので手が届きません。 好物、と言えるほど親しみのあるものではありませんでした。 卵焼きは...地方によって味付けが違いますね。 関西では甘い卵焼きはあまり食べないようですね。 当時は卵は手の届くご馳走あつかいだったのです。 クセのあるものでは無いし子供にも食べやすいですし。
- Ryokucha
- ベストアンサー率25% (115/450)
卵は出汁巻卵です。 バナナは高くて、めったに手に入れられませんでした。 肉も食べないわけではないのですが、洋食の料理法自体が 一般家庭にさほど普及していませんでした。 そもそも「巨人、大鵬、卵焼き」というのは 家庭が裕福であろうが無かろうが、誰もが好きだった 物の代表です。 貧しくても、応援や選手の話とかは出来るし 卵なら手に入りました。 それに、卵焼きって砂糖が入って甘いでしょ? だから人気があったんだと思います。
私の生まれた時代はもっと時代が後なのですが・・・ 昔はただの卵も庶民にとってはごちそうでした。 お弁当に卵焼き。それで素晴らしかったのです。 http://ryouichi.jugem.jp/?eid=238 http://www.mie-hosp.org/01top/05noto/oji.html 卵は庶民には贅沢なものであった。 高度成長時代で生活が豊かになるにつれ、だんだんポピュラーになった・・・。 大鵬さんが子供の頃はぜいたく品、昭和38年になると子供達の人気の品。 毎日お弁当に入っているような馴染みのおかずに。
卵焼きは出し巻きではなくて お母さんが焼いてくれる卵焼きです。(形態には出し巻き)。 当時、牛肉はとても高価で頻繁に食する事はなかったのでしょう。バナナも同様に高価でした。卵なら肉よりは手頃に買い求める事ができ、しかも栄養満点で病気見舞いに持っていくほどだったそうです。ホカベンもなく色のないお弁当に黄色の卵焼きが入っていると子供たちはご飯を沢山たべました。 どこの家にもあり おいしいという点で代表になったと思います。
普通の卵焼きです。 当時はバナナは高級品で子供がホイホイ食べられるものじゃありません。 肉もそこまでいきませんが、今ほど頻繁に食べていないでしょう(どちらかというと魚中心)。 そんななか、卵は今と変わらず安価で入手しやすかったので、頻繁に食べられたと思われます。