• 締切済み

普遍性をなぜ否定できるのか?

 宗教や神、哲学の話になると突然議論がかみあわなくなる人がいます。  宗教などインチキだ。神などない。普遍的真理などない、と断言するのです。  問題は普遍性を否定する人が、なぜ「そんなものはない。」と  断言できるか? です。  私はそこまでは分からない、というならこれはこれで立派な態度ですし、  ある種の悟りを得ていて、「神はある。」と断言できる人なら  その理由は何か、あるいは「神がいるならなぜ悪があるのか?」  などに議論が発展していくことが可能です。    ところが「普遍性などない」と断言する人は、その場で「断言」するだけで  その根拠までは、さっぱり明らかにしないのです。  不思議でしょうがありません。  どなたか似たような経験や疑問をお持ちの方の回答をお願いします。  もちろん反論でも結構です。

みんなの回答

  • pyon1956
  • ベストアンサー率35% (484/1350)
回答No.10

>ところが「普遍性などない」と断言する人は、その場で「断言」するだけでその根拠までは、さっぱり明らかにしないのです なぜなら、こういう断言は、論理的な結論ではなくて直感的な洞察であり感情であるからです。つまり、論理的に「普遍性というものがあったとするとこうなる、しかしその場合こういう矛盾が・・・・」というような思考に基づくものではなく、ある種の宗教(とくに宗教団体)に対する胡散臭さを感じるのと同様に「何かよくわからないのだが、自分の生活実感からすると変な気がする」ということを「普遍性はない」ということばで表現しているに過ぎないからです。 これはある種宗教的思考停止に対する感じ方でもあるわけです。私はまわりにかなりの数の宗教信者がいる環境で仕事をしてきましたが、この種の話になるとはっきりいって「空しさ」を感じます。つまり相手がまともに議論する気が無いからです。 本気で議論するのなら下らないディベートみたいなものではなく、お互いに何が正しいのかを求めるという点で一致し、かつ結論が自分の信じていたことと正反対の場合もしっかり受け入れ自分の意見や考え、行動を改める、という覚悟が必要ですね? ところが、宗教信者のかなりの部分は、宗教的問題について自分の意見を改める気がありません。そういう相手と議論しても空回りするだけですね。 ですから、正確には「普遍とものがあるかどうかはわからないが、とりあえず『これが普遍なのだ』というところから議論するのはやめようね」という「感情」なのです。 無論これは「普遍性はない」ということばで表現すると乱暴であり、また非論理的ですが、本当にいいたいのは「普遍的なもの」を主張する人・団体のいかがわしさや嘘っぽさなのだと思います。

arakan
質問者

お礼

この種の議論をまともに論ずる気がない!  やっぱりそうですか?  まともに論じる気がもともとないわけですか?

  • reikasuzu
  • ベストアンサー率30% (4/13)
回答No.9

まず「普遍性はない」と断言する人に対する揚げ足取りから。 ー「普遍性はない」という命題は、あらゆる状況、場合を考えたときに「普遍性」なるものは存在しない、という意味で、この「あらゆる状況、場合を考えたとき」にすでにある種の普遍性を前提として話を進めている、だから自己矛盾であるー  一般的な命題を扱った場合、必ずある種の普遍性を想定せざるをえない、気がします。すると「普遍性はない」という意見は普遍的にありえない、と考えたほうが言説内での整合性(真理のひとつの定義)が取れることになると思います。 普遍性=キリスト教の神、と捉えるなら、神様がいるのかいないのか、という決着のつかない議論に陥ると思います。 そもそも普遍的な=universalというのはカトリックの語源であります。つまり、「真理」「普遍性」というのはキリスト教文化の中でセットで考えられ、発展(といっていいわかりませんが)してきた言葉です。 そしてこうした思考方法は非常に説得力があり、現在でもその猛威は世界中に広まっています。 しかしながら、東洋人にとっては普遍的な神様に対する、自然な反発があるのでは。 しかし、普遍性~真理の言説装置の中で議論すると、見事に負けると思います。 ただ、そんな知性的、論理的に捉えられないものがあるのだ、という自己矛盾をはらんだ文学的言説として「普遍性はない」という言い方はできるかもしれません。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.8

#6です。ご返事ありがとうございます。 読み違いでなくて安心しました。 であれば、私の回答もそれにそって述べたつもりですが、ちょっと表現不足だったかもしれません。 具体的な回答としてまとめると、 神の存在を以って「>普遍性の証明を語ろう」とすること自体が方法論として誤りだから、 ということになります。 ただ、これだけではなぜ方法論として誤りなのか、という疑問が生じるでしょうからその説明を付与したわけです。 そういう理由で『否定』されるだけであって、普遍性自体を否定する人は殆んどいないのではないか、ということをお伝えしたかったのです。

arakan
質問者

お礼

 いや、たいがいの場合「神」を否定する人は普遍性自体を  否定します。(話のいきがかり上、そうなるのかもしれませんが)  ついでに言えば、そういう人は数学の公式さえ否定します。

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.7

認識力の差なんですね。これはなかなかかわらないんですね。むしろこの世界の常識ではわからないようになっているのでほとんどの人には通用しないということなのではないかと思います。例えると、金魚鉢の金魚は金魚鉢の中が世界だし、その中でしか生きられないようになってますね。たまたま金魚蜂から飛び出た金魚が外にも世界があることを知って金魚鉢に戻り、他の金魚にその話をしても笑われるだけでしょう。それと同じ様なものなのですね。普遍の真理があるとしても今日生きていくことには関係ないので、気にもしないし、考えもしないということですね。あるないということではなく必要としないので拒否するということですね。それが普通の人々なんです。ありに進行方向に丸ビルがあることを説くようなものかな。逆に真理を追求するものにはすみにくい世の中なのでしょうが、いつの時代にも必ず本物はいますので、そのときまで耐えるしかないんですね。参考程度に。

arakan
質問者

お礼

やっぱり認識力の差ですか。  金魚鉢の例のようなもので。  ついでに言えば、普遍性を否定できる人間はある程度のインテリでもあるのです。  そのインテリがどうしてもう一歩踏み込んで、  たとえば数学の公理が経験則を超えて成り立つのかまでを  思い及ばないかが不思議なのです。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.6

私の読み違いかもしれませんが、ご質問の趣旨が、「神=普遍的真理」という命題を真として発せられているように思うのですがいかがでしょうか。 以下そうだとして私見を述べてみますが、趣旨が違っているようでしたらスルーしていただければ、と思います。 ◇ 「神とは普遍的真理である(A)」というのと、 「普遍的真理とは神である(B)」というのは似ているようで全く違う考え方のように思います。 私はAは許容できます。 それは普遍的真理を神という代名詞で呼ぶことは差し支えないだろう、という程度の解釈が可能だからです。 しかし、Bの場合は、神という存在があって、それこそが普遍的真理であると述べているわけですから、これは解釈云々以前に、非論理的な命題ですから明らかな誤りと位置づけられるしかないものでしょう。 なぜなら、普遍的真理を人類は神と名付けたのであって、神がいて普遍的真理を創出しているわけでないことは論を待つ必要がないからです。 ◇ そういうわけで、「神こそが唯一の普遍的真理」という主張をされると、「普遍性の代名詞を神とすることに異論はないが、神自体が普遍性ではない、あるいは普遍的真理としての神という実体は存在しない」と断言せざるを得なくなります。 普遍性を否定する人はおそらくそういうことを言ったのではないでしょうか。 その場合、根拠を明らかにしないわけではなく、神が普遍的真理であるという「妄信」を否定しているだけでしょう。 つまり、あまりにも明らかなので根拠を述べるまでもない、ということだと思われます。 人間の成り立ちから始まり、我々には理解不能な現象・事象が数多く存在します。 そこに『何らかの普遍的真理』が働いているのは、当然のこととして万人が認めざるを得ないでしょう。 しかし、それを神のなせる業とする必要性はない、ということです。 そういう不可思議な普遍的真理・宇宙の摂理が存在すると認識していれば良いだけの話で、 神を捏造することによって普遍的真理に人為性を付与することは、ある種の誤謬の始まりである、ということも言えるように思います。

arakan
質問者

お礼

<私の読み違いかもしれませんが、ご質問の趣旨が、「神=普遍的真理」という命題を真として発せられているように思うのですがいかがでしょうか。 以下そうだとして私見を述べてみますが、趣旨が違っているようでしたらスルーしていただければ、と思います。>  いや、読み違いではありません。私が普遍性の証明を語ろうと  する時によく出てくる反応に対しての疑問です。  ただし、ここではその当否を論じているのではありません。

  • Gantz10
  • ベストアンサー率17% (20/117)
回答No.5

 2パターン考えられますよ。  一つは、とっくにそんなこと考えているという人の場合。  まず、あるなしは「神」なり「普遍的真理」なり「存在」の定義にそうとう依存する話ですが、これらのあなたの定義がどうあるかは置いておくと、普通は辞書に拠るわけです。  そうなった場合、無いという結論になります。たとえば「普遍的真理」というのはほとんど一瞬で崩れるでしょう。真理というのはルールとして記述されるものですが、たいがいのルールには適用限界なり例外規定があるので、その時点で「普遍的」ではありません。  そして、「たいがい」でない部分について、「普遍的真理」という言葉を持ち出す人は言及できないものです。たとえばあなたに、できますか?  要するに、世の中の人はその程度のことはすでに考えていて結論が出ているので、その部分に踏み込んで「ある」を語れるレベルでないなら、議論なんてする価値など無いから却下されているということです。  ろくに社会も知らず知識も無い子供と政策論議をできますか? できませんよね。  もう一つは、当人にも興味が無いケースですね。そういう人は、そんな浮世離れしたこと議論しても役に立たないし、「普遍的真理」なんてものを持ち出す人間は地道に働く事から逃げて一発逆転を狙う胡散臭いやつだと感じるものです。それゆえに、そんな話はさっさと却下されるのです。

noname#20102
noname#20102
回答No.4

>「普遍性などない」と断言する人は、その場で「断言」するだけでその根拠までは、さっぱり明らかにしないのです。 では「普遍性はある」と考える人は、その根拠を証明できますか? 一般に、存在が「ある」ということを証明するのは簡単ですが、「ない」と証明するのは非常に難しいです。 現状、宗教や神を信じる人の方が、「普遍性はある」ということを客観的に、科学的に、理論的に証明できていないのです。 (質問者さまが証明できるとおっしゃるならば、ぜひ聞かせてください) つまり、普遍性はあるという前提で話を始める人の方が、「先に証明してみて」ということです。 あなたの言う「神様」は、どういう定義の神様ですか? 自分のイマジネーションの中での「神」や「普遍性」を議論に持ち出されても、それは同じ宗派の人同士でないと話は噛み合うはずもありません。 私個人の考えですが、神の存在や普遍性の存在はあることもないことも、まだ証明されていません。 ですから「ない」とは思いませんが、「ある」という前提で他人に話をしたりは絶対にしません。

arakan
質問者

お礼

(質問者さまが証明できるとおっしゃるならば、ぜひ聞かせてください)    えーーと。簡単な話なのですが。  神=存在をかくあらしめる普遍的理法は、究極の原因ですね。  したがって「xxxxである」と定義することは出来ません。  客観的、科学的、理論的という「部分的」「限定的」枠組み自体で  とらえようとすること自体が無理なのです。  小魚をすくう網で鯨を捕らえられないのと一緒です。  ただし、ここではその「神の存在性」や「普遍性の存在性」を問題にしているのではありません。  私がうかがいたいのは、なぜ簡単に  「普遍性がない」と「断言」できるのかという、その根拠そのものです。  回答者さんが言われるように、普遍性はある、という前提で話を始める人の方(この場合は私)が「先に証明して」と言われるなら  それはそれで、手を変え品を変え、あらゆる比ゆを用いて  説明することが出来ます。  ここで聞きたいのは、それが正しいかどうかでなくて、  ろくにその説明を聞かずに  「普遍性などない」と「断言」できるのかの根拠であり、  もっと言えばその精神構造です。  

  • NCU
  • ベストアンサー率10% (32/318)
回答No.3

まずイスラム教とキリスト教はどちらが正しいのか、しっかり話し合ってお決めになってはいかが? 最後に残ったものは普遍性を持つかも知れません。

arakan
質問者

お礼

?  そういう人は、  イスラム教にしろ、キリスト教にしろどちらも否定するのですが?  

回答No.2

この世において、人々が固執して起こすもろもろの確執は人をやすらぎには導かない。 しかしながら、一切の(哲学的)断定を捨てたならば、人は世の中で確執を起こすことがない。 また、他の人の過失ではなく、自らの過失についてよく省察する人が、世の何を見聞きしても心を汚されることなく、知るべきことと知るべきでないこととをよく弁別して、一切の(哲学的)断定に陥ることがないのである。 こころある人は、まさにそのようにして世の確執を離れ、不滅のやすらぎにこそ至れかし。 ***

  • 1582
  • ベストアンサー率10% (292/2662)
回答No.1

経験上今まで普遍であったものがない(その人にとって)からじゃないですか

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