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靖国神社に非軍人が祀られているのは何故ですか?(昭和天皇メモ)

最近問題になっている昭和天皇の靖国神社メモの中で、 「松岡、白取までもが」とあります。 これは松岡洋右元外相と白鳥敏夫元駐伊大使が祀られていることに関する不快感と思われます。 http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20060720it06.htm 二人は軍人でないのにどうして祀られているのでしょうか? 遺族たちに異議はでなかったのでしょうか? もしかしたら、軍人でなくとも政治的に軍事に関連したら祀る習慣があるのでしょうか? よろしくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

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  • yuhkoh
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回答No.8

 それと軍務は「軍事にかかわる事務」のことなので、戦闘は軍務の一部に過ぎません。  戦費調達・情報収集・外務交渉・輸送運搬、また法令・条例に基づく避難や消防・警備・救助活動も広義の軍務に含まれます。  ですから、“「沖縄県学童集団疎開準備要項」に基づいて疎開”し、その途中で撃沈され死亡した対馬丸の乗船者(半数以上は小学生)も軍人でもなく、戦闘に参加していませんが、靖国神社に祭られています。 同様に、アメリカ政府が日本軍占領地での連合国側捕虜に対する医療・慰問物資輸送のために要請した、緑十字船「阿波丸」は、その任務上、連合国によって安全渡航が保証されているにもかかわらず、アメリカ軍により撃沈。この犠牲者(大部分は非軍人)も合祀されています。 本土へ連絡業務のために残留していた樺太真岡郵便局の電話交換手(女性9名)も、昭和20年8月8日ににソ連軍が国境を侵攻。同月20日に真岡町攻撃。交換手は戦況を報告後に服毒自殺。彼女らも合祀されています(ちなみに米軍が攻撃した沖縄は“日本で唯一の地上戦が行われた”といわれますが、ソ連軍が攻撃した樺太については、何ひと言触れないのはなぜでしょうね)。 また、満州事変以後であれば軍人・軍属の内地勤務での公務での受傷羅病、それによる死亡も公務死です。 再度言いますは、合祀の基準は「軍務(公務)による死亡」であって、軍人、非軍人は関係ありません。また軍務即戦闘行為でもありません。

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  • yuhkoh
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回答No.7

参考HPにもあるように、靖国神社の合祀基準のひとつに「日本国との平和条約(サンフランシスコ講和条約)第11条により死亡した者」、つまり戦争裁判受刑者とあります。  これはABC項目戦犯(靖国神社では「戦犯」と呼ばず「昭和殉難者」といいます)かかわらず、刑死・獄死した者で、日本政府では彼らは国内法においては犯罪者とせず、公務死扱いです。 A項目戦犯で刑死でなく、病死した者は次の通りです。 「刑期中に病死」 平沼騏一郎・白鳥敏夫・小磯国昭・梅津美治郎(いずれも終身刑)東郷茂徳(禁固20年) 「戦犯指定されながらも判決前に死亡」 永野修身・松岡洋右 ですので、靖国神社においては合祀基準を満たしているとの判断です。またBC項目戦犯においても同様の例では合祀されています。 ※項目であるABCに対して、階級を連想させる「級」を付けることは誤解を生じるので「○項目戦犯」と表記します。 参考「日本国との平和条約」 http://list.room.ne.jp/~lawtext/1952T005.html

  • yuhkoh
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回答No.6

『軍事板常見問題』より http://mltr.e-city.tv/index02.html 「アジア・太平洋方面FAQ」から http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq08c.html 「靖国神社関連」 http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq08h18.html#03793 こちらの回答集に詳細が書かれています。  いわゆる旧日本軍に所属していない人物では、 明治維新での倒幕側(安政の大獄刑死者、坂本龍馬や高杉晋作なども含む)も祭られています。  大東亜戦争に関連しては民間人ではひめゆり部隊女生徒や対馬丸学童、空襲時の警防団員、真岡郵便局交換手など多数存在します(その詳細についても、上記HPにあります)  軍務中に死亡したことがひとつの基準ですから、戦死に限らず病死・事故死でも軍務であれば、軍人・非軍人かかわらず合祀対象とされます。また訓練中の死亡も公務死とみなされます。 ちなみに昭和20年8月15日は「国民にポツダム宣言受諾を知らせた日」であって、それをもって「戦没者を追悼し平和を祈念する」ための「終戦記念日」としただけで、国際法上での終戦とは無関係の日です。  戦闘が行われていなかっただけで(ただしソ連は20年8月20日に樺太を攻撃しています)、厳密な意味での終戦は昭和27年4月28日の講和条約調印をもってです(この時に講和に応じなかった国は、単独講和が為されるまでは戦闘がなかっただけで、戦争は続いていたことになります)。  なお、合祀の判断やその基準はあくまでも靖国神社が決めることであり、またその信じるところの宗教的理念に基づいて行われることですから、政府や部外者がとやかく言うことではありません。 (仏教寺院に対して釈迦如来を祭るな、観音菩薩を礼拝するなと口出しするようなものです)

yoshinobu_09
質問者

お礼

ありがとうございます。 松岡洋右元外相と白鳥敏夫元駐伊大使は どういう軍務をしていたのですか?

  • buchi-dog
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回答No.5

No4の者ですが、訂正します。 誤 「個人的には、東條氏の願ったように、戦争で死んだ軍人以外の日本国民も祀るべきではないと思います。」 正 「個人的には、東條氏の願ったように、戦争で死んだ軍人以外の日本国民も祀るべきと思います。」

  • buchi-dog
  • ベストアンサー率42% (757/1772)
回答No.4

靖国神社のホームページに答があります。 http://www.yasukuni.or.jp/annai/qanda.html 「Q:神さまのことをもっとたくさん教えてください。 A:みなさんは、靖国神社にどれくらい神さまがいらっしゃるか、知っていますか? 答えは、なんと2,466,000余柱です。こんなにもたくさんの神さまが、お参りするみなさんの前におられます。神さま方のことをお話ししましょう。」 (中略) 「さらに戦後、日本と戦った連合軍(アメリカ、イギリス、オランダ、中国など)の、形ばかりの裁判によって一方的に“戦争犯罪人”とせられ、無惨にも生命をたたれた千数十人の方々…靖国神社ではこれらの方々を「昭和殉難者」とお呼びしていますが、すべて神さまとしてお祀りされています。」 戦争犯罪人として「生命をたたれた千数十人の方々」には、刑死者と獄死者の両方を含みます。松岡氏と白鳥氏は「獄死者」に該当します。 なお、 「従って軍人だけなんていうルールはそもそもなく、人でも病死などは含まれません。戦死だけです。#旧日本軍は補給事情が劣悪になった戦争後半以降、大変な数の餓死者・病死者を出しています。」 と言うのは事実誤認で、「戦病死した軍人」は靖国神社に合祀されています。一方、平時に普通に病死した軍人、例えば東郷平八郎は合祀されていません。平時に自殺した軍人、例えば乃木希典も合祀されていません。 また、大東亜戦争以前の戦争では、軍人以外の一般国民が戦争の巻き添えで死亡することはほとんどありませんでしたが、大東亜戦争では、多数の戦災死者が発生しました。 これについて、敗戦責任を負って処刑された東条英機氏は、「公に発表して欲しい」として書き残した「遺書」で 「我々の処刑をもって一段落として、戦死傷者、戦災死者の霊は遺族の申し出あらば、これを靖国神社に合祀されたし」 と述べています。 個人的には、東條氏の願ったように、戦争で死んだ軍人以外の日本国民も祀るべきではないと思います。ただ、氏名を特定できる軍人や軍属に対し、氏名を特定できない戦災死者を祀るのは事務的に困難であるという理由で今日まで「靖国神社に祀られるのは戦争で死亡した軍人軍属とそれに準じる人(法務死者)だけ」となっているようです。

回答No.3

ウィキペディアに内規があるよ。 ----------- サンフランシスコ講和条約第11条により死亡した者(戦争裁判受刑者のことで、政府では「法務死者」、靖国神社では「昭和殉難者」という。ABC級に関わらず死刑になった者)。 「未帰還者に関する特別措置法」による戦時死亡宣告により、公務上、負傷や疾病にかかり、それが原因で死亡したとみなされた者。

回答No.2

ネットの世界では昭和天皇メモは「捏造」が主流になっていますが。 A級戦犯を分かりやすく知りたいなら 小林よしのり著「いわゆるA級戦犯」(幻冬社刊)を、お薦めします。 いかにでたらめな裁判だったか良くわかります。

  • myeyesonly
  • ベストアンサー率36% (3818/10368)
回答No.1

こんにちは。 第二次大戦中は、靖国神社合祀は政府が勝手に審査して決めて合祀していました。 特に軍人だけ、っていうルールがあったのではなく、戦死した人に何もしないで文句が出るのを防止するため、靖国合祀を使ったというのが現実です。 従って軍人だけなんていうルールはそもそもなく、軍人でも病死などは含まれません。 戦死だけです。 #旧日本軍は補給事情が劣悪になった戦争後半以降、大変な数の餓死者・病死者を出しています。 なので、「軍人だから」はそもそもない話です。 「国が決めたから」というのが正しいでしょう。 「遺族から異議」ですが、遺族は異議申し立てすら出来ませんでした。 完全な強制です。 現実に、宗教の違いなどで遺族が合祀しないでくれって話は戦時中からありましたが「靖国合祀は名誉」であるとして全て認められず、強制合祀され今日にいたります。 ご質問の件に関しては、天皇さえも、靖国合祀に口をさしはさむ事は許されない、という現実ですね。 昭和天皇は、日本での戦争の最高責任者ですから。

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