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1980年末期に中国はなぜ革命が起きなかった?

sudacyuの回答

  • sudacyu
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回答No.5

 革命の開始は、イデオロギーで起きるのではありません。   近代以後の政治は、多くの場合経済の後追いで動いています。(絶対王政が崩壊し、多数の国民の欲が政治を動かすシステムになったからです。)  政治が変わる前には、経済の流れが大幅に変わっています。経済の流れが変わって、個人の持つ不満が増大し、その集積が政治体制を吹き飛ばすのです。  革命が起こる状況は2つです。 1.多数の国民が生活苦に陥り、食えない・国がなくなっても今以上悪くならないと思ったとき。 2.多数の国民が十分に豊かになり、国がなくても自分は自分の実力で今以上にやってゆけると思ったとき。  多くの国民が今の生活を捨てたい・もっといい生活を作れると思う状況ができれば革命が起きますし、今の生活を守りたいと思う状況の中では、革命は起きません。  チェコやポーランドのように、第二次大戦後自由主義諸国となった国々と国境を接するような国は、第一次世界大戦の前から経済構造が西欧諸国のようになりつつあり、ソビエト連邦となった地域より豊かでした。  鉄のカーテンで仕切られているとはいえ、自由主義諸国に接し、これらの国々が経済発展をして、自分たちよりはるかに豊かになっている状況が良くわかるポーランドやチェコ・東ドイツは、ソ連の軍事力による締め付けがなくなったとたんに、国民の不満が噴出しました。  中国は、軍の締め付けがあったのは他の回答者さんたちのご指摘の通りですが、経済面からのほうが影響が大きく、国民の多くが毛沢東思想による経済・生活の締め付けがなくなり、鄧小平路線で生活が豊かになりつつあったので、同調しなかったのです。  本当に革命が起こる状況では、軍が出動しても起きるものは起きるのが普通です。  これは1970年代の日本の世相と似ています。東大・京大を筆頭に全国各地の大学で学園紛争が起こりましたが、社会全体はかなり冷ややかでした。  エリートと自認する学生が、豊かになったのに伴う社会の歪の解消のため、急進的な民主化を求めたのに対し、社会全体は「緩やかな民主化でよい・豊かさを享受できるので、多少の歪は我慢する。」との姿勢でした。  自由主義国のなかでの急進的民主化=左向きの改革  社会主義国のなかでの急進的民主化=右向きの改革 という根本的違いがありますが社会体制の右左を入れ替えると、その経済状況・社会心理学的構造は極めて似ています。  1970年代、次に革命が起こるのはソ連だと私は言ってきました。下記の<参考>を見てください。  今後の展開として、中国でも共産党一党独裁は必ず崩壊します。  国民が十分に豊かになり、(一人当たりのGDPが5000ドルから8000ドルくらいになったときです。)自分の経済活動・能力に自信を持てば、民主化要求が出てきます。  このとき政権が一党独裁を維持する行動に出れば、事件・革命まがいとなります。  軍がどちらに付くか(ソ連崩壊のときは、軍が民衆側につきました。)が焦点となり、軍が政府を支持すれば混乱は長引きます。 <参考>ソ連における革命 1.理論と実際の矛盾  マルクスの共産主義理論によると、資本家が労働者を搾取して資本の蓄積を行い、労働者に還元しないため、労働者が革命を起こし共産化するのです。  そして、新たに生まれる共産主義社会は、資本主義社会が労働者を搾取して作り上げた資本蓄積を引き継いで発展することになっています。  ところが、実際には資本主義の進んだ国では修正資本主義(資本主義によって得られた利益を、労働者にも分配することによって、資本家と労働者がお互いに妥協点を見出し、革命を起こさない。)が一般化しました。  そして、実際に共産主義革命が起こったのは、農業国から工業国になりかけた、資本家が経営者として未熟で労働者を搾取することしか知らない、資本の蓄積のまだ進んでいない国でした。  これらの国では工業化に際し、農民・労働者を国家が搾取して資本の蓄積を行なうしか方法がありませんでした。ですから、社会が豊かになってくると、労働者が資本家に対してではなく国家や共産党に対して革命を起こす事となりました。(中国はソ連の失敗を見て、経済の資本主義化に方向転換しました。) 2.国際競争  社会主義体制をとった共産主義諸国は、自由主義体制の資本主義諸国と競争することとなりました。しかし、人口・資源・生産力・市場など、経済力は世界の4分の1程度でした。ところが、軍事・技術においては対等の競争を余儀なくされ、共産主義国は無理を重ねました。  社会主義国の盟主であったソ連は、無理を重ねたことで社会に矛盾が蓄積し、経済力がこの競争を支えきれなくなって、崩壊に至りました。  止めは、アフガニスタンと10年間戦い続けたことです。最後には末端の戦線に補給が届かないことが頻発し、「このままの経済体制では戦えない。」と軍首脳が政権と政治体制を見放しました。

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