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ガンの公表について
昨日、逸見政孝さんの特集TVを見ていて、当時逸見さんがガンであることを公表したとき、「よく公表した」とか「すごい勇気がある」とか言われていたのを思い出しました。 そこで少し疑問に思ったのですが、ガンに冒されている本人、家族の大変でお気の毒なのは当然のことなのですが、公表することにより上記のように言われるのはなぜでしょうか? 公表するしない関係なく病気と闘うのは変わらないと思うのですが。 公表することによって何が違うのでしょうか? ※決して逸見さんやその他公表された方の批判的意見で質問しているのではありません。 公表することにより「よく公表した」などと言われる理由、公表により何か違いが出るのか疑問に思ったのです。
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- bulhana
- ベストアンサー率27% (14/51)
逸見さんの見ました。 10年前であの病気の公表は逸見さんだから、したのではないでしょうか?芸能人だからいうより、逸見さんだから、共感を得たのだと思います。 彼の志半ばで「癌」に侵されたけれど、自分に正直に、報道記者として公表にいたったのではないでしょうか?彼の生き方なのだと思います。 誰でも公表することがいいわけではなく、その人その人で違うと思います。 逸見さんだからできたことだし、あの当時ではかなりリアルなことだと思います。今のこの時代で公表するのとはまた違うように思います。真実を述べた彼は、それが生き方なのだと思います。 まあ、考え方の違いでしょうね。受け取る人も様々でしょうね。
- kobuta2261
- ベストアンサー率30% (16/53)
私は、去年卵巣癌になった者です。 癌だと分かると周りの人達から『可哀想』とか同情の目や言葉を発せられます。 癌=死 と未だに繋げる人はいます。 必ずしも癌で死ぬわけでは無いです。その分、医療も進化した結果、癌で死亡する人数も昔と比べると減っています。 癌で周りから同情されるのは、はっきり言ってムカつきます。 公表するしないは、本人の自由だと思います。 芸能界やスポーツ界で癌を患って生還してきた人達を、まるで英雄?のように称えています。 それは芸能界に限ってだと私は思っています。 一般人の場合、周りに言いふらさない限りは「勇気のある人だ」とか言う人は居ないと思います。 また分かった振りして、ズケズケ言う人も気に喰わないですね。 公表に関しては、本人よりも周りの状況によって異なるかと思いますよ。 あれこれ聞いてくる人には、つい一喝!しちゃいますが・・・(爆)
お礼
ご意見ありがとうございます。 こういうご意見をいただけるということは、無事克服されたんでしょうね。 必要以上の同情や気を使われたとしたらイヤな思いをされる方も多いのでしょうから、公表はためらうのは分かります。 やはり有名人の公表というのは、周りに対する影響が大きいから言われるのかもしれませんね。
- horaemon
- ベストアンサー率24% (457/1898)
昔はガンの告知でさえためらわれていましたよね。 最近では告知は当たり前のようになった観もあります。 これも治療が進歩したせいでしょうか。 ところが、世間に対する公表となるとこれはどうかなと。 ガンと闘う決意を自分の胸に秘めて闘う人は多いでしょうが、その気持ちをわざわざ自分から公開する人はいまだ少ないように思います。 公表することによって、親戚や友人から同情の目で見られるのはやはりためらいがあります。 ふだん顔を合わせた事もない親戚にあれこれ状況を説明するのはつらいものですし、残された余命を家族だけで大切に分かち合いたい、と思うのは普通だと思います。 ガン=死という方程式でのみ見られる視線というのはかなり答えます。死ぬから悲惨という意見にはうんざりします。そういうことになって初めて気が付く家族への想いというものもありますよね。 そういう気持ちを大事にして、旅立ちの支度をゆっくりと整える時間が欲しいのだと思います。 そういう貴重な時間に、あまり親しくもない人に土足で踏み込まれると思うと公表ってむずかしいなと思います。
お礼
ご意見ありがとうございました。 ガン患者=死ぬ可能性が高い認識 やはり回りの目や接し方は普通とは違ってきますよね。 確かにそれを分かっていながらの公表は周りに対する影響力が大きいということなんですね。
- kazline
- ベストアンサー率14% (6/42)
それは 癌は死を連想する病気だからではないでしょうか 逸見サンの痩せた姿から なお、それを印象づけます
お礼
ご意見ありがとうございました。
お礼
ご意見ありがとうございます。 確かに公表した事もそうですが「逸見さんがんばって」というのも含めた意見なのかもしれませんね。