• ベストアンサー

「生きられた」とは?

哲学の素人の質問ですみません。 本を読んでいると、「生きられた世界」「生きられた経験」「生きられた体験」という言葉に出くわすことがあります。英語の本でlived experienceという言葉も見かけたことがありますので、「生きられた」はlivedにあたるのかと思われますが、「生きられた」の意味が今ひとつピンときません。 「世界を生きる」「経験を生きる」「体験を生きる」「live experiences」という表現があれば、「生きる」が受動態で用いられても不思議ではないのですが、そういった表現はあまり見かけないように思います。 どなたか教えていただければ、ありがたいです。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • kobarero
  • ベストアンサー率29% (106/361)
回答No.2

「生きられた世界」「生きられた経験」「生きられた体験」に対置する言葉は、、「普遍的世界(客観的世界)」「普遍的経験」「普遍的体験」ではないかと思います。 「生きられた世界」「生きられた経験」「生きられた体験」などの言葉には、その背景として、個々人の認識を離れた「客観的世界」とか、「普遍的経験/体験」などと言うものが本当にあるのかという疑問があると思います。実際にあるのは、個々人や、それぞれの民族が見てきた世界であり、また、個々人やそれぞれの民族が経験/体験してきた内容が有るだけなのではないかということです。 だからこそ、イスラエルとパレスチナの紛争があり、日本では、高校生が家族を焼死させたりという問題が起こるのではないかと思います。従って、個々人の心の内側から、実際に世界がどう見え、何をどう体験しているのかを問題にする必要があり、そのことを強調するため、「生きられた世界」「生きられた経験」「生きられた体験」などの言葉が生まれたのだと思います。

otschan
質問者

お礼

きっと、生によって意味づけられた、というような意味なのでしょうね。 どうもありがとうございました。

その他の回答 (2)

回答No.3

出拠、出てきた文章の前後を出してもらえれば少しはっきりするのではと思いますが・・・・・・。 単純に敬語、尊敬語という感じもしますが。

otschan
質問者

補足

さまざまな本で見かけたり、ホームページで出てくるので、出典の特定はできないのですが、現象学の影響を受けた社会学について書かれた文章でよく出てくるように思います。生活世界についての議論のなかでよくでてくるように思います。(といっても、ハイデガーも、シュッツも、ハバーマスもきちんと読んでいない私には、生活世界の概念そのものをきちんと理解していないのですが・・・。)

回答No.1

少し前に流行った、存在や現象を扱う本だと思いますが、哲学や思想の本はとにかく説明をしやすくするために造語を多様します。また、著作者の癖が出やすいし、難解な文章も多いです。その辺を考慮して読む必要があります。ググルと以下のような文章に遭遇しましたので引用します↓ A.シュッツの主著の英訳版では、「Erfahrung=経験=experience」に対して、「Erlebnis=体験=lived experience」とされている[Schutz,1967:50. ff.]。"lived experience"を「生きられた経験」と訳す妥当性の吟味はともかくとして、ここに私たちにとって必須の問題を解くべき鍵が蔵しているようにみえる。

参考URL:
http://www.wakhok.ac.jp/~harie/experience.html
otschan
質問者

お礼

教えていただいたページを見ました。 「体験」=「生きられた経験」ということですね。 どうもありがとうございました。

関連するQ&A

  • 人格向上に役立つ本

    私は、東洋哲学、西洋哲学、宗教、心理学等、色んな本を読んで救いを得たいというのか、人格向上に役立てたいというのか、そういう考えで色々読んできたつもりですが、今一つピンとくるものがありません。 「皆さんの人生を変えたお勧めの本」があれば教えて下さい。

  • 「the experienced pilot」のexperience は他動詞だと思いますが、この分詞形容詞の意味は 「受動的」ですか?

    分詞は、名詞の前に置いて直接名詞を修飾する事ができます。 ・他動詞の過去分詞は受動的な意味を表す。  the broken window →The window is/was broken. →Someone has broken /broke the window. (分詞の句⇔受動態⇔能動態 にすると時制が微妙になりますね。  時制が間違っていたらすみません) ・自動詞の過去分詞は完了的な意味を表す。  the retired officer →The officer has retired. と理解しています。 問題の「experience」は複数の辞書で確認したところ全て他動詞しか載っていませんでした。 という事は、 the experienced pilot (経験豊かなパイロット) →☆The pilot is experienced. →★Something/Someone experiences the pilot. が成り立つのでしょうか。 ☆はOKなのはわかりますが ★は・・・こういう言い方をするのでしょうか。 わかる方ご教授ください。

  • カント哲学の本

    カント哲学、というかカントの思想(=カント哲学ですかね?)に興味があって本を読もうと思っています。 哲学書は昔にソフィーの世界?という子供向けのものを読んだ経験のみです。 できれば入門書のように他人が解説したものでなく、なるべく本人、カント自身の言葉を読みたいです。 翻訳の問題もあるでしょうから、あまり難しい日本語で書かれていないカントの本でお勧めを教えていただきたいです。 あとお時間あれば、回答者様のお好きな哲学者、哲学書も教えてください。よろしくお願いします。

  • 最近は"ダサイ"って言わない?!

    いきなり質問です。 最近は"ダサい"っていう表現をしないのでしょうか? 先ほど、久しぶりに聞いたぁ 懐かしいぃ って言われました。好きな人に言われてちょっぴりショックです。。 ここ数年バラエティ番組というものを見なくなっているので今ひとつピンときません。 ダサいっていう言葉を使うことがダサい時代に入っているのでしょうか?? もしダサいという言葉に置き換わるものがでているのならその言葉も教えていただけたらと思います。 でもなぁ~ みんな使ってると思うけどな~

  • 「屠殺」について

    先程ニュース番組を観ていたところ 「屠殺」という言葉をリポーターが使用した事に対して CM後にキャスターが「不適切な差別的表現をお詫びします。」 と謝罪していました。 おそらく視聴者からの指摘があったためと思われますが、 私には今ひとつピンときません。 どうして「屠殺」という表現が差別的な表現になるのでしょうか? また、他に適切な言葉があるなら教えてください。

  • 「受動的な感覚の自我喪失的表現」に関して質問です。

    “牛乳を飲む動作が(何らかによって)止められた感じがした” に関して以下の回答を『国語』カテゴリで得ました。  自分が「受動的な感覚の主体的表現」で合っているかどうか知りたくなりました と質問したことに対し、  相手はこの場合「させられ体験」なので「自分自身が主体的に行っているという意識がありません」能動的ではなく受動的方向に意識が傾いています。  自我が健全には機能していない印象があり、自分の中に他者が入り込んだような表現になっています。  ですから、私はこの場合は「受動的な感覚の自我喪失的表現」だと思います。  「自我喪失的」とは言い換えるのならば「主体喪失的」ということになります。  しかし疑問に思ったことがあります。  受動的な感覚の自我喪失的表現は家族に伝えたところ、あまり使わないとのことをおっしゃってましたし、ややこしい表現に関してはわからないとのことでした。  それと、『視線をそらすのが(何らかによって)止められた感じがした』『まるで操られたような感じに陥った』『(何らかによって)頭の中の記憶が暴かれているような感じがした』なども「受動的な感覚の自我喪失的表現」だと考えられるのです。 ここで質問があります。 ★「受動的な感覚の自我喪失的表現」という言葉は本当に存在するのでしょうか? ★ここまでの文章に関して『牛乳を飲む動作が(何らかによって)止められた感じがした』『視線をそらすのが(何らかによって)止められた感じがした』『まるで操られたような感じに陥った』『(何らかによって)頭の中の記憶が暴かれているような感じがした』などは自らの意思に反して動いたり行動したりしたことだと思うのですが、『  』内の言葉が「受動的な感覚の自我喪失的表現」という解釈であることは間違いないですか? 最後に僕は抽象的な言葉、観念的な表現、比喩、皮肉などの難しい言葉を理解することが苦手なので抽象的ではない、具体的な表現であるわかりやすい言葉で答えて下さると嬉しいです。 ※以上のことでわからない箇所があったら、どこがどういうふうにわからないのかも回答下さい。

  • ディルタイって・・・

    授業でディルタイについての本を読んでいるのですが、 世界観だとか生の哲学だとか、難しそうな言葉ばかりで 全くちんぷんかんぷんです。どなたか彼の思想について わかりやすく教えてください。お願いします。

  • 若い人達に言葉を贈るとしたらどの様な言葉を?

    今の若い人たちは思想とか哲学とか知らなくても この世が上手く行ってないことは知ってると思います。 この世界をどう変えて欲しいとか、処世術とか経験則とか 今の14~20歳くらいの若い人達に言葉を贈るとしたら どの様な哲学の言葉を贈りますか?

  • 体験→表現→理解

    こんにちは。 ドイツの哲学者、ウィルヘルム・ディルタイの記述心理学や 体験→表現→理解という理論が理解できる本があったら教えてください。

  • 受動性があるかないかどうかを教えて下さい。

    『哲学』カテゴリで質問して得た回答を言います。 “「~られる」「~れる」以外でも自分の意思に反して体が動いてしまったり、動作が止まったりした。”  ↑について 精神科の主治医の先生から「作為体験」のことを言っていますと聞いたことを『哲学』カテゴリの質問の中で書いたのです。 “「~られる」「~れる」以外でも自分の意思に反して体が動いてしまったり、動作が止まったりした。” に関して、‘やはり能動かどうかが知りたいです’と質問したところ、 「自分の意思に反して体が動いてしまったり、動作が止まったりした」と言う場合、行為に結びつく能動主体が表現されておらず、上のような関係が汲み取れないので能動性が感じられませんと言う回答が来ました。 回答を得た2日後に‘ということは、受動性の解釈で合っていると思い、そうなのかどうか知りたくなりました’と質問しました。 そしたら再び同一人物から以下の内容の回答が来ました。  受動性の解釈(「受け身だな」とか「受動的だな」とか「受動性がある」)については、そうかもしれないし、そうでないかもしれないと思い、「能動性が感じられないので受け身です」とはっきり書くのはやめました。  受動性の解釈をするなら、何が体を動かしたり、止めたりさせているのでしょうね。 以上について“自分の意思に反して体が動いてしまったり、動作が止まったりした”というのは能動性が感じられないので受動性かどうかは回答者さんには本当のところはわからないですという回答を得ました。 ここで質問です。 “自分の意思に反して体が動いてしまったり、動作が止まったりした”は能動性が感じられなく、受動性の解釈かどうかはわからないと言う回答を得たのですが、本当のところどうなのでしょうか? 受動性なのか、違うのかどうか回答下さい。