• ベストアンサー

春秋戦国時代の戦争時の旗について

気になったことがあるので質問します。 三国志などを読んでいると、戦争時に国の名を掲げた旗と一緒に従軍している将軍の旗(馬印?)があることが多いですよね。 春秋戦国時代にそういったものは存在したのでしょうか? 敵味方の区別をするという意味では、必要だと思うのですが、いろいろ探してみたものの、あるかどうかがはっきりしないので、もしわかる方がいらっしゃったら回答をお願いいたします。

  • 歴史
  • 回答数2
  • ありがとう数5

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • pyon1956
  • ベストアンサー率35% (484/1350)
回答No.2

まずはっきりしている事。 三国志の中に、たとえば倭人伝で魏から邪馬壹国の難升米に黄幢を授けた、とありますが、学説ではこれは黄色の軍旗です。 文字が書いてあったかどうかは不明ですがあってもおかしくはない所でしょう。 では漢字そのものの普及はどうか? 一説によると文字というものが広く使われるようになったのは東周になってからだといいます(私はこの説に説得力を感じます)。 具体的に言うと、西周時代までは漢字の使用そのものが殷および周によるほぼ独占状態であって、青銅器に鋳込むかたちで、魔術的役割を果たしていたというのです。それが周の実際は分裂から弱体化の時期を経て春秋時代になり、漢字の使用(漢字を司る技術者そのものも含めて)の拡散・一般化が起きたという説です。 http://www.amazon.co.jp/gp/product/4121015932/249-7932277-6597123?v=glance&n=465392 http://www.amazon.co.jp/gp/product/4061495089/249-7932277-6597123?v=glance&n=465392 など。 従って春秋期以後はそういう使われ方をされだしてもおかしくはありません。ただし、当初は敵味方の区別や将軍の地位などより、もう少し呪術的意味が込められていた事でしょう。 同様に(というよりこちらの方が先か?)色・絵柄なども重要な要素であったと思われます。 それ以上は知りません。 なお、 >三国志などを読んでいると、戦争時に国の名を掲げた旗と一緒に従軍している将軍の旗(馬印?)があることが多いですよね ってのはたとえば「横山光輝さんのあれ」とかですか?いいたくないけどあれはかなり考証は適当というかでたらめですよ?その辺はちょっと検索しただけでも山ほど出てくる話なので楽しむのは兎も角信用などなさらぬように。

sabotenbom
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 魏志倭人伝の難升米の記述、見直してみます。彼の地位を表す意味で授けられたと考えてもいいのですね。 旗に呪術的な意味ですか…なるほどそういう使われ方ですか…考えもしませんでした。 色に意味があるというのもよく見かける話ですね。 >「横山光輝さんのあれ」 横山三国志は読んだことはありません(吉川ならありますが)。漫画系はもともと信用しておりませんので参考にはしません。ただこの時代に本当にあったのかどうかふと気になったものですから… ありがとうございました。

その他の回答 (1)

  • buchi-dog
  • ベストアンサー率42% (757/1772)
回答No.1

「三国志などを読んでいると、戦争時に国の名を掲げた旗と一緒に従軍している将軍の旗(馬印?)があることが多いですよね。」 ですが、これははっきりした史料に基づくものではないと思います。明や清の時代にできた、現在まで伝わっている画像資料(本の挿絵、絵巻物など)に拠っているものと思われます。 私の記憶では、現在「劉備の肖像」とか「曹操の肖像」などとされるもので一番古いのは、明の時代のものだと思います。要するに、三国志時代のことともなると、基本的には文字でしか伝わっていないのです。 ですので、 「春秋戦国時代にそういったものは存在したのでしょうか?」 は 「史料が残っていないので不明」 ということになるでしょう。あるいは、陶器に描かれた絵などで何かの情報が残っているのかもしれませんが、詳しい情報ではないと思います。

sabotenbom
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 確かにこの時代の資料でははっきりしていないものばかりですね。やはり明代ですか…知っている限りの資料を見ても明代以後のものばかりですね。 イラスト作品を描くために資料を探していたので、想像する以外にないようです。 ありがとうございました。

関連するQ&A

  • 三国志や春秋戦国時代

    三国志や春秋戦国時代の小説を書くには どのような資料を参考にすればいいでしょうか 歴史書 小説 その他 なんでもいいので教えてください

  • 戦国時代の合戦の敵味方の区別

    以前、戦国時代の旗について質問したことがあり、その質問の際に、旗というものは大河ドラマのように全員が同じ旗を持っていたのではなく、それぞれ自分の家の旗を持ち、しかも一部の者しか持っていなかったと回答いただきました。 今回の質問は、その回答をいただいた際に生じた疑問なのですが、戦国時代の合戦の敵味方の区別について質問です。 大河ドラマのように、足軽や武将が織田家なら織田家の家紋をつけていた訳ではなく、それぞれ自分の家の旗をつけていて、しかも全員が旗をつけていなかったとなると、敵味方の区別はどうするのでしょうか? 戦国時代というと、各武将、鳥やら虫やら花やら、それこそ十人十色の旗がありましたよね?それぞれがそれぞれの家の旗をつけていたとなると、中には頭の悪い足軽もいて、「あれ、こいつは味方なのか?」という感じに、戸惑う者はいなかったのでしょうか? それとも、合戦前に味方の旗リストみたいなものがあって、それを暗記したりしたのでしょうか?

  • 旗がシンボルとして最初に使われたのは?

    中国の春秋戦国時代の小説の中にも国のシンボルとして旗が使われていたようですが、「旗」というものが象徴として使われた起源はいつからなのでしょう。 また、日本で「旗」が象徴として扱われた時代はいつぐらいか教えてください。 戦国時代には旗は使われていたと思いますが・・・

  • 同じ家紋の親族間戦での旗指物

    平安時代くらいから、戦国時代くらいまで、同じ苗字の親族、本家と分家、親兄弟などの間で戦がありましたが、同じ家紋の場合、旗指物はどのように区別したのですか?同じものを使い特に区別しなかったのですか?敵か味方か混乱することもあったのでしょうか

  • 【中国春秋戦国時代】戦争が貧富の格差を産み、中国で

    【中国春秋戦国時代】戦争が貧富の格差を産み、中国で思想家が乱立したと言う。 戦争で貧富の格差が拡大するとは思えないのです。 おかしくないですか? 本当に戦争中に貧富の格差は拡大するのでしょうか? 逆に金持ちが国に搾取されてみな平等に近づくと思っていました。 戦争で貧富の格差が拡大するとは意外です。 本当ですか? 日本も第二次大戦のときに貧富の格差は拡大して思想家が産まれたのでしょうか? 今の思想家って誰ですか? 平和な日本に思想家は産まれない?

  • 戦国時代の敵味方の見分け方

    戦国時代のテレビとかを観て疑問を感じております。何千人もの敵味方で刀等で戦いをしていた当時は、どうやって敵味方を区別したのでしょうか。よく、背中や手に○○軍という明示旗はみかけますが、実際、人間同士が「刀」等での接近戦をしている時に、興奮や精神面で究極な状態になっているわけで、適味方の区別なんか正確にはできないと思うのですが、いかがなものでしょう・・・。宜しくお願いします。

  • 戦国時代と室町時代の違い

    戦国時代と室町時代とは何が違うのでしょうか?  室町:戦争少ない   戦国:戦争多い  室町:幕府が強大   戦国:幕府が弱い  室町:守護大名    戦国:戦国大名 というように単純な図式で区別できるようにも思えません。 二つの時代は何が違うのでしょうか、何を持って異なる時代として区分しているのでしょうか。

  • 戦国時代の身分について

    今、戦国時代などの日本史について調べています。 歴史は苦手で最近調べ始めたばかりなのでまだまだ分からない事だらけですがよろしくお願いします。 身分は 将軍<大名<武将 って感じであってますか? 大名の部下にあたる役職はなんですか?武将ですか? 殿様とは何ですか? 戦国時代に存在していましたか? 今でいうと、将軍が総理大臣で大名が県知事みたいなかんじですか? 全く分かっておらず、すみません…

  • 戦国時代の合戦や情報に関する疑問

    こんにちは! 私は戦国時代が好きで、よく戦国時代に関する本を読んだりします。 この間なんですが、暇潰しに散歩をしている時に戦国時代に関する疑問が浮かんだので質問します。 何の疑問かと言うと、まず合戦についてです。私はよく散歩するのですが、短いルートでもかなり家に戻るまで時間がかかります。そこからふと戦国時代の合戦をイメージしてみたんですが、戦国時代の合戦というと、右翼から中央の味方を救援するために横槍を入れたとか、某城を攻めさせている味方を呼び寄せ敵にぶつけるとか…とにかく巧みな部隊移動で合戦が行われてますよね?でも不思議なんですが、現代の整備された散歩でも移動にかなり時間を要します。ましてや戦国時代ですから、道も悪かったと思います。すると、部隊に横槍を入れさせるとか、味方を呼び寄せて敵にぶつけるとか、本当にできたのでしょうか?特に横槍なんかは、横槍を入れようとしても、敵の横に行くまでに時間がかかりますから、敵に横から攻めるというのがバレてしまい、あまり効果がないような気がします。 あと、情報についても不思議だなと思ったんですが、現代の情報化された社会でも某県の県境に人間が100人いる、なんてなかなか把握できませんよね?戦国時代だったら、それは敵の侵入を意味しますから、迎撃しないといけないと思うのですが、敵の侵入を把握できるほど情報化は進んでいたのでしょうか?あと、把握しても実際に現場に間に合うのか疑問です。 私の疑問は以上です。今までゲームとかの神の視点(合戦を上から覗いた)のような感覚でしか戦国時代を考えていなかったのですが、人間の視点だとかなり視点に限界があるように思え、疑問に思う点がありましたので、どうか教えてください

  • 戦国時代は軍師はいない?

    歴史化カテゴリーの松永久秀と明智秀満の違いから、新しい論点は発展したので、投稿します。戦国時代には軍師はいないという説があるようです。日本でなく中国に舞台を移します。日本で中国の軍師というと諸葛孔明が有名ですね。日本の戦国時代に「三国志」という書物は存在したのでしょうか?秀吉が竹中半兵衛を「三顧の礼」で迎えたという逸話は有名ですね。また、中国の兵法書の「孫子」は日本に輸入されていたのでしょうか?「孫子」を書いた呉王闔閭に遣えた孫武の作とされますが、孫臏(そんぴん)の作とも考えられていると本で読んだことがあります。少なくとも、大河ドラマを見る限るは、戦国時代の大名の子どもを勉学は「論語」の子曰くという勉強をしているシーンが思い浮かび、時代考証が正しければ、日本の戦国時代には「論語」はあったと考えられます。とすれば、「三国志」「孫子」などの書物もあり、国を治めるために、中国に倣って戦に軍師というものの存在が必要で作ろうと考えたのではないかと思われます。日本人だけでなく在日中国人がこの投稿を見ていたら回答してくれることは歓迎です。