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死刑の存廃について

tomoyuchanの回答

回答No.9

私は何の知識もない一般人ですので、ただの個人的な意見です。 死刑制度はもう随分以前から廃止、存続についての是非を問われて いますよね。どちらにしても、結論はでないことでしょう。 被害者の立場にしてみれば、犯人は憎く、殺しても殺しきれないというのが 本音でしょう。一方、死刑される側にも人権が、などと言います。 これについては、個人的には、人を殺しておいて、被害者の人権は なきものにして、犯人側の人権を考えるなど、信じられない思いですが。 ですが、一方で、No.5の方の回答にありましたように、被害者の遺族の 方で、「殺したいと思っても殺して欲しいと思ったわけではない」という 言葉にもあるように、遺族がその犯人を処刑するというのではなく、 第三者がその刑を決定し、下すというところで、被害者遺族側の意思と 食い違いが発生しているように思うのです。・・・もっとも、 殺された側としての感情では冷静に判断を下すことは難しいでしょうが。 いずれにせよ、どんな極刑を下したところで、遺族が癒されることはなく、 被害者を救済することは不可能だといえるでしょう。 だからといって、死刑をなくすべきか?と問われれば、私は、 自分の大切な人たちが殺されたことを想像したときに、犯人に 無期懲役といえど生きていて償って欲しいかというと、そうでなく、 きっと、そんな人間など死んでしまえ! と思うと思う(感情論的になりますが)ので、反対ですね。 犯人を、処刑したほうがいい、悪い、人権を擁護すべきだ、すべきでない という観点でなく、あくまで、遺族としての感情を考えただけの場合のみ、 ですが。 単純に、違憲だから、とか、繰り返しなだけで解決にはならないと 言えば、死刑制度廃止の賛成にはなりますが、では、「違憲」ならば、 何のための憲法ですか?人を殺して、自分は生きている身勝手な存在を 助けるための憲法ですか? 処刑が、憎しみの繰り返しだというのなら、 その連鎖を断ち切れば、殺された人は、浮かばれるのですか? 処刑さえすればいいなんて、思っていません。でも・・・。 結局、その人間をどうしたいかは、その遺族の意思であるような気がします。 とりとめない、迷いの多い回答でごめんなさい。

pikosuke
質問者

お礼

御礼が遅くなって失礼しました。 殺された人が浮かばれる判決なんて、ないと思います。 だって、無念に殺されたんですもの。 犯人がどうにかなることにより、心が救われる可能性があるのは、残された方だけです。 被害者がこれだと救われるであろうと考えるのも所詮生きている人の考えであって、被害者がどう思うかなんて、想像に過ぎません。 でも、だからこそ私は、刑罰と被害者感情を切り離せないのです。 この問題は、きっと、どこまで行っても迷いの多いものなんだと思います。 ありがとうございました。

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    こんにちは。 現在死刑廃止、存続かで討論されているかと思います。 廃止論者/存続論者、どちらにしろ理由があってのことと思いますが、 それぞれどのような理由でしょうか。 私が考えるものとしては以下です。 廃止:国家による殺人である。 存続:被害者感情(光市の事件なんかはこれが顕著に報道されていたように記憶しております) 他にはどのようなことが考えられますでしょうか。