• ベストアンサー

不殺生戒の指す様々な「殺生」について

不殺生戒の指す様々な「殺生」について調べています。 不殺生戒って、ただ生物の命を奪うなと言っているだけではないですよね。 皆さんは、具体的にどういったことを「殺生」としているとお思いですか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • mago416
  • ベストアンサー率33% (12/36)
回答No.1

 以前、聞いたことが自分の考えになっていますので、それについて書きます。  簡単に言うと、今を大事に、精一杯生きなさい。ということだと思ってます。  ありのままの自分、例えば苦しんでいる自分とか、喜んでいる自分、悲しんでいる自分、そのすべてを受け入れて、現実から逃げることはしない。それが生きているということだ。  もし、それから逃げたら、それは自分から、魂から逃げているようなものだから、それは魂の死である。  変な解釈になっちゃいましたが、こんな感じでしょうか?  自分は、何か嫌なことがあったときとか、苦しいときこの言葉を思い出して、その難題にぶつかっていきます。  玉砕して、へこんでしまうときもありますが、、、 (^^; 皆様の意見も聞きたいですね。

関連するQ&A

  • お釈迦様の不殺生戒について

    お釈迦様の「不殺生戒」の本質は、何でしょうか? 「命を大切にしよう」と言う事で宜しいのでしょうか? 「殺しては、いけない」でも、「殺さないと生きて、いけない」 この真ん中の中立な立場を説いた教えでしょうか? お願いします。

  • 殺生戒についてです。

    殺生戒というのがありますが。部屋にいるハエを殺しましたら。罪となりますか。罪となりますのでしたらどのような罪となりますか?

  • 殺生は平気ですか?

    無意味な質問ですが、お時間がありましたらご回答下さい。 私は細々と自営業を営んでおる♂です。 私達は日々経済活動をして金銭を得ています。 商店、飲食店など、手段はさまざまです。 でも、中には殺生を伴う業種もあります。 私はそのような仕事に携わっているわけではありませんが、知人に焼き鳥屋で成功している者がおり、金回りの良さをいつも羨望の目で見ています。 飲食業は日銭が入る魅力的な商売ですので、自分もやってみたいとは思うのですが、どうしても参入に踏み切ることができません。 その大きな理由が、「殺生をしてまでお金を得る事は正しいのだろうか?」ということなのです。 生きていくために殺生は当たり前ですが、その業種が無くても死ぬわけではありませんので、お金を得るために殺生をすることに疑問を感じてしまうのです。 動物達は自由を奪われ、お金にするために不本意に命を奪われる… その命で稼いだお金で高級外車やブランド品を買う… やりきれない気持ちで一杯です。 皆さんはどう思いますか?

  • 今までの殺生への償い

    私は(というか人は誰でも)「食べる」という行為を通して、間接的に他の生物を殺生してきました。これは自然の摂理だとか食物連鎖だとかの一部だと言ってしまえばそれで済むかもしれません。でも家畜とか養殖の魚とかってやはり不自然ではないでしょうか?当たり前のことですが、人間が食べる作物を育てるために罪もない雑草の命を奪うという行為も、やはり人間の知により為せるものでしょうが、この1ヵ月半、農家民泊で農作業をしながら違和感を覚え続けました。 お聞きしたいことが2つあります。 (1)自然の一部でありながら、上のように自然を操作できてしまう生物として、どのように割り切って生きていったらいいのでしょうか?皆さんのご意見をお聞かせください。また、そういうことについて書かれた読みやすい書籍などがあれば教えてください。 (2)そして、今までこうした間接的・直接的(虫を殺すetc)な殺生をしてきたことに対して償いをしたいのですが、どのような行為が考えられますか?「植林」というのを思いついたのですが、あまり償いになっていないような気がして・・・ というかこの質問そもそもこのカテでいいんですかね?笑

  • 殺生について。助けてください

    人間は躊躇いなく虫を殺したり動物実験を行ったり普段から生き物を食べたり、たくさんの命を奪っています。 殺生は悪とされていますが、それをはじめに決めたのは自分が殺されたくなかったから、ではないですか。 善や悪というのは人が決めたものです。 普段牛や豚を食べている人が動物実験に強く反対をしていることがありますが、殺される側にとって理由なんて関係なく命が奪われるのは一緒です。 殺しは悪で、どうしても殺す場合には合理的な理由が必要だというのは、そう言わないと生き物をむやみに殺すことになってしまい人間に都合のいい自然が壊れてしまうからと、やはり人間が決めたことだと思います。 本当は動物は他の命を奪いながら生きていくのに、人間は人間だけの平和を求めて勝手に殺生を悪としました。 私は他の生き物を平気で殺す人間に恐怖を覚えました。 自分も今まで多くの命を奪ってきたのでこのように正当化して考えないと本当に罪悪感に押しつぶされそうになります。 ここ最近このようなことを延々と考えてしまい、答えが出ず、人間は悪だと思って周りの人も怖く見えてしまったりします。 上に殺生は悪ではないと正当化した意見を書きましたがやはり罪悪感はあるし、でも殺さないと生きていけないし、という具合にとても苦しいです。 自分のことを客観的に見たら他の生き物の死など別に興味はなく自分が善良な人間だと思いたいことと、他人が悪に見えてしまい怖くなることに苦しんでいるのかなとも思います。 善悪は所詮人が決めたことだと思いたいのに結局はその感覚に囚われていて矛盾していることはわかっています。 とにかく苦しいです。 たすけてください

  • モーセの十戒について

    モーセの十戒は (1)主が唯一の神であること (2)偶像を作ってはならないこと(偶像崇拝の禁止) (3)神の名を徒らに取り上げてはならないこと (4)・・・ と続いていきますが、この十戒の上記三つについて私はふと疑問が浮かびました。 モーセは唯一神ヤハウェからこの十戒を受けたとされますが、 この上記三つの内容を、私は、 「人々が信仰を疑わないようにするための措置であったのではないか」 と考えたました。神がこのような信仰に対する具体的な作法まで預言するのでしょうか? 宗教による解釈は人それぞれだと思いますが、みなさんはどう思われますか?

  • 戒と律の違い

    このサイトのある質問を見ていたら、「仏教の戒と律は違う」という回答がありまして、「戒」は個人的なもので罰則がなくて「律」は集団的なもので罰則がある、ということでした。戒はなんで罰則がないんでしょうか。言葉のイメージかもしれませんが、戒というのは罰がともなうような気がするんですが。それから集団で守る律の内容というのはどういうものがありますか。具体例を教えてもらいたいと思って質問させてもらいます。

  • ジャイナ教では病原菌も殺生禁止?

    生物の殺生にきわめて厳格なジャイナ教では病原菌も殺してはならないのでしょうか? インフルエンザなどに罹ったらどうするのでしょうか? 平易な説明をして頂けると有難いです。

  • 病気の治療拒否や不殺生で命を落とした場合、自殺でしょうか。

    病気の治療拒否や不殺生で命を落とした場合、自殺でしょうか。

  • カトリックの十戒、聖公会・プロテスタントの十戒

    カトリック初心者です。入門書や「はじめて教会へいらしたあなたに」などで、有名な十戒を拝見しました。それには下記のようにあります。 1 わたしは、あなたの主なる神である。わたしのほか、誰をも神としてはならない。 2 あなたは、神の名をみだりに呼んではならない。 3 あなたは、安息日を聖とせよ。 4 あなたは、父母を敬いなさい。 5 あなたは、殺してはならない。 6 あなたは、姦通してはならない。 7 あなたは、盗みをしてはならない。 8 あなたは、偽証してはならない。 9 あなたは、他人の妻に想いをかけてはならない。 10 あなたは、他人のものをみだりに欲してはならない。 とあります。 一方、ウェブサイトなどで見かける、聖公会その他の宗派では、 1 我のほかなにものをも神とするなかれ。 2 なんじ、おのれのために、上は天にあるもの、下(しも)は地にあるもの、また地の下(した)の水の中にあるものの形に似せて偶像をつくり、これにひれ伏し仕うるなかれ。 3 なんじの神(かみ)主(しゅ)の名をみだりに言うなかれ。 4 なんじ安息日(あんそくにち)を聖として忘るるなかれ。 5 なんじ父と母とを敬え。 6 なんじ殺すなかれ。 7 なんじ姦淫するなかれ。 8 なんじ盗むなかれ。 9 なんじ偽りの証しを立つるなかれ。 10 なんじむさぼるなかれ。 とあり、「偶像崇拝」と「他人の妻への想い」で微妙に異なっております。 何故なんでしょうか。背景と相違、実践すべき態度を教えていただきたく、お願いいたします。 また、十戒が定められた時代背景の故か、「他人の妻への想い」と男性側への禁止の戒律となっておりますが、では、「(既婚者)妻は他の男へ思いをかけてはならない」と既婚女性側への近視の戒律はないのでしょうか。 「(既婚者)妻は他の男へ思いをかけて」も良いのでしょうか。 疑問です。 特に、聖公会とこれに近いプロテスタントに関係する方々・これらに(学生時代でも)ご縁のある方々のご意見も頂戴したいと思います。 よろしくお願いいたします。