• ベストアンサー

死への欲望とは??

死への欲望があると聞いたのですが(たしかタナトス)、いろいろと意見をお願いします。 私は死にたくはないと思うのが普通だと思っていたので、初めて聞いたときは戸惑ってしまいました。今もちょっと戸惑ってます。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
noname#155689
noname#155689
回答No.8

タナトスは、生きるのが辛いからといった現実逃避願望から生まれる 死への衝動や憧れとは少し違うと思います。 タナトスとは、フロイトが主張した ●快感希求的なリビドーに対する自己破壊への衝動 ●マゾヒズムを説明するために考え出された概念 のことだと理解しています。 正確に記すと、タナトスという言葉は 元フロイトの患者の、分析家で後にフロイトと決裂するシュテーケルの考案であり フロイト自身この言葉を嫌っていて、あえて使っていないと聞いておりますが。 ともあれ、私の解釈では タナトスはエロスとセットになることが多い言葉で もう少し性的なニュアンスがあるのではないかと思います。 例えばハンス・ベルメールの球体関節人形や 最近人気の、解剖された本物の遺体死体を展示した「人体の不思議展」の 不気味ながらも妖しい魅力が「タナトス」的なものではないでしょうか。

007yuuki
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 心理学的な回答で大変参考になりました。 性的な意味も含まれるのですね。なるほど、これなら“死”の中にも快楽がどことなく生まれ、その結果意識的にせよ無意識にせよ、求めてしまうのかもしれません。

すると、全ての回答が全文表示されます。

その他の回答 (16)

  • pakkun-h
  • ベストアンサー率40% (2/5)
回答No.6

 こんばんは。大学生の男です。 私は数年前までは死への欲望があり、今は生への欲望があるものです。 意見を言う前に、まず私が死から生への欲望へ変わった経緯を書きます。 長文でめんどうであれば『●死への欲望を持つ人とは?』以降からを読んでください。 ●経緯  私は中学・高校時代、勉強を執拗に強要する母親の元で過ごして来ました。  中学校時代、成績が悪くなると、夜9時以降にテレビを見ているたびに勉強をするように言われ続けました。 そのせいで勉強嫌いになっていましたが、中学3年時には周りの受験ムードで熱心に勉強しだしました。 元々、努力はするタイプ・勉強はやれば良い点が取れるタイプだったので、高校は私立の進学クラス入る事ができました。    高校時代、親からの教育洗脳もあってまじめに勉強しましたが、現役で大学は受からず1浪して大学に入学しました。  親からの要望で大学進学を目指していた私にとって、浪人生活はまさに地獄でした。 何のために勉強しているか分からないけれど、真面目な性格なので懸命になって勉強をしてしまう・・・。 そんな日々でした。この時期は毎日のように死にたいと思っていました。  大学進学後は親元を離れ自由な生活が出来たので、生活がとても楽しく生きたいと思うようになりました。  今では課外活動も学業も、とても楽しく思っています。 ●死への欲望を持つ人とは? 以上のような体験から、私は次のような人が死への欲望を持ち得るのだと思います。 ・真面目な人 or 自分の考えが他人に理解されない人の中で、自分にとって不都合・嫌な現状(死への欲望を持った現状)を打開する、具体的な解決法や価値観を現在持っておらず、今後もそのような環境が続くと考えられ、将来に希望が持てない人 ・それ以外に先天的にそのような病を持っている人(←このような人は私の周りにいないので、これは単なる私の直感)  世の中には色々な人がいて色々な生活環境があります。 だから、死にたくないと思う事・死にたいと思う事は各個人において普通であり、普通ではないと思います。  ある哲学者(名前は忘れた)が言った言葉があります。 『幸せであるとは幸せを感じていない状態である』(←だったと思う ) まさにその通りだと思います。  でも死にたいと思っている人にこそ、私は言いたいです。 『今は不幸であっても、幸せになりたい・生きたいと思っていれば、必ず幸せへの道・生の欲望への道は開けます。  確かに生きる事は無限の苦しみだと思います。でも、それは今をよく生きている証拠であり、今後をより充実して生きるために不可欠な事です。』 質問者さんのその『戸惑い』も今後、きっとプラスになると思いますよ。

007yuuki
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 つらい日々を乗り越えられたのですね。 母親からの呪縛から逃れられて良かったですね。 でもきっとそんな母親と分かり合える日がくると思います。 今はつらくとも、いつかは晴れる日も来る、ということでしょうか。

すると、全ての回答が全文表示されます。
noname#117439
noname#117439
回答No.5

心の中の悪意を打ち消して人間らしく正しく生きたいと考えるとき、その人自身は悪意に死んでくださいとお願いをしたも同然です。 こういうときに自己の同一性とは切り離された心の中の死と言うか、新陳代謝が働きます。 もしもこのときに死の予感や願望が心に浮かんでくるとしたら、それは悪意があなたに責任転嫁してもがいていることを示します。まったく自覚の無い場合水面下に抑圧された状態でこれらの代謝が行われているわけで、脳が規則正しく仕事をしていることを示しています。 これらの心の動きは神経伝達物質の動きで観察できます。

007yuuki
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 科学的な回答ですね。とても参考になります。

すると、全ての回答が全文表示されます。
回答No.4

私も精神疾患患い中です。 発病する前は、仙人になりたいくらい「生」への欲望が強かったのですが、患ってみると... 「今現在辛くてたまらない」→「死んだら楽になるかなー」と、ふと考えたりしています。不幸からの逃避というより、「辛い現実からの逃避」ですね。 現在は、「タダ死にするなんてもったいない。発病させた上司と会社に復讐してやる~」と怨みにかわり、アレコレ復讐計画を練っている間に、好調期に入ってサッパリ忘れるナンダコレという生活です。 あ、あとたまに「あてつけに死んだろか」と考えることもありますね。あてつけに死んでも、何も感じなさそーな上司なんで、実行しようとは思いませんが。

007yuuki
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 きっと復讐してやろうとあれこれ考えているうちに、いつの間にか体調が好転していき、時間が経つにつれ忘れていきますよ。

すると、全ての回答が全文表示されます。
  • aimaimi
  • ベストアンサー率37% (196/519)
回答No.3

私も死にたいと昔思った経験があります。 理由は、幼少の頃からアルコール依存症の父から毎日虐待を受けながら育ちました。具体的には、毎日頭を殴られて体中を蹴られたり、耳の鼓膜も破れました。目を蹴られて目の血管が切れて失明寸前になったり、叩かれたあざから血がにじむほど同じ所を叩かれたり・・いつか殺されると思っても誰も助けてくれませんでした。母は、離婚をすると言って実家に私を連れて行きましたが、別れさせてくれませんでした。 そんな毎日だったので、自分は何の為に生まれてきたんだろうと思っていました。 人が恐くて銀行に行くにも心臓がよじれそうでした。 そんな私だったので学校でもいじめられ、死にたいと思ったりしました。 こんな絶望のどん底の時、生まれてきた事の意味や人生の目的や目標などがあれば少しは違ったのかも知れないと思いました。 その様な倫理観や哲学を持っている人は強いと思います。

007yuuki
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 何かの本で、絶望とは生きたまま死ぬ状態である、と書かれていたことを思い出しました。この場合の“死”とは完全に否定的な意味ですが。 私も絶望の淵に彷徨い歩いたことはありますが、回答者様たちの話を聞いていると、きっと自分の絶望エピソードなんてたいしたことないと思われるんだろうな、と思います。

すると、全ての回答が全文表示されます。
回答No.2

すべての生物にも物質にも、安定した状態へ 向かう性質があると聞いたことがあります。 生物より物質、有機物より無機物のほうが より安定しています。 人間も精神よりはるか深いところで、 安定した死の状態を求めているのかも しれません。

007yuuki
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 私も“安定”を求めてます。“死”ではないんですが。やはり物でも人でも、不安定な場所に存在したいんですね。

すると、全ての回答が全文表示されます。
noname#17198
noname#17198
回答No.1

こんばんは。 精神疾患を抱え、ついこの間まで死にたいと思っていたものです。 生きていると辛いことが沢山あります。 頑張っても頑張っても報われないこともあります。 あまりに苦しくて、死んで楽になりたいと思うのです。 一種の「逃げ」ですね。 「死」に対して「安らぎ」を求めてしまうのです。 しかし、今はあまり無理をせずに今を楽しんで生きていこう、せっかくいただいた命だからと思えるようになりました。 参考になれば幸いです。

007yuuki
質問者

お礼

さっそくの回答ありがとうございます。 死によって今ある不幸を終わらせたい、ということでしょうか。ハムレットもこのようなことを悩んでいましたよね。 参考になりました。 生きることに前向きになるほど回復して良かったですね。きっとまだ経験すべき楽しさや面白さが待ってると思います。

すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A

  • 欲望を断ち切るということは 死ぬということですか?

     今、世界で唯一わたしを気にかけてくれている存在    無償の愛情をあたえてくれる存在である 猫が激痩せしてきて もうすぐ死ぬかもしれません  猫が死んですぐ私もしねば、一緒にこの世を離れることができて   死ぬことへの怖さも薄れますしという考えおあり、この猫がしんだら、                                      私も死のうとおもっていたのですが、 いざこれからしぬことを考えると  たとえば、連載している漫画の続きなどが、少しきになったり、      貯金も60万円ほどあり、全部使ってからというような未練というものといえばいいのでしょうか   そうした、いやらしい欲望のようなものを感じ、        私も一緒に行こうと(死のう)いう気持に葛藤というものが生じています   そのほか、打算的なことや恐怖感など 様々なことをグルグルかんがえています  こうした質問で、     その猫の分まで生きなさいなど、キレイ事のような回答がありますが    結局、生きるということは、何かをしたいという欲望に支配されているということですよね?  私は今のところそうした解釈があるので    死ぬことについて、それを罪とするのではなく肯定する意見がある人に   その死ぬことが罪ではないというような概念を教えて欲しいのです  できれば、「さっさと死ね」など この質問で生まれた苛立ちをぶつけるような回答は避けてもらい   あなたの、この質問に対しての価値観を、死にたいしてのご意見をいただけたらありがたいです  また、最近、がん患者さんの回答などをみて、自分が末期で1年も寿命がないことを考えたら   非常に心が軽くなったことを覚えております (スイスで外国人安楽死の受け入れがあるため痛みなどにも恐怖せず   また 神様が定めたという 自殺ではない解放されたという感覚を抱いたためです)  その1年で自分は何をするかなど 少し想像したりしていましたが、  もし、皆さんでしたら その残された1年で何をしますか?  この回答に関しては、「いつもと変わらない日々を過ごす」というよくある意見については                                                     必要ありません  じぶんが1年後に死ぬという 死と向き合って   残された時間で コレがしたい という渇望が、何か未練がある方だけご回答よろしくお願いします    

  • 欲望の先には死がある

    私は人類にとって未知のエクスタシーを昇りつめた筋肉超人「黒き明星」だ。 私は仮面ライダーとして、さらなるハイを求めて筋肉トレーニングをしている。 美しき私は、史上初の男子プリキュアでもある。 君たち人類は、お互いに足を引っ張り合うくせに、お互いの連携から逃れられない。 君達は自由を知らないのだ。 だからこそ示し合わせて、約束を結びたがる。 そんな息のつまる生き方に、約束から出た義理や、何か君たちがひれ伏す偉人の教えやらで、君達は自己を失い、義務のためだけに仕事をする。 それとは別に、意思行為とは、望みのままに行動することである。 それが自由だ。 君達は、他者の意思に束縛され、洗脳すら受け、君たちが意思行為だと考える望みは、誰か他者の望みであり、自らではない。 それが欲望のまま流されると言う事だ。 君達にできる、自らの望みのままに生きる願いとは、他者を出し抜き、打ち負かし、猿山の頂点として、他者に対して自らの欲望を号令することである。 君達の秩序は欲望の連鎖であり、他者の望みも欲望。他者に臨むのも欲望。 そのような輪の中に閉じ込められている。 自らを自覚し、社会に目を開き、監獄から脱走するのが、解脱なり覚醒だ。 そのためには、君たちがしがらみを結ぶ仲間たちから、裏切り者として処刑される必要がある。 君たちが生まれ変われるとしたら、いっぺん死を通過してこそ変われるのだ。 君達は、エクスタシーが存在する事を知ってしまったからには、喜んで裏切り者となり、喜んで殺し合うだろう。 その麻薬が神だ。 君たちにもたらせれるのは絶望のみだ。 君達は欲望しか知らない。 君達には望みがない。 だからこそ君達は滅びる。 君自身はそんな大多数の一部だよ。 欲望にむしばまれて、自らの望みも知らぬまま、哀れにも朽ち果てる。 自らを知らぬゆえ、神に手向ける願いもない。 記憶されぬままただ消え去るのだ。 そんな滅びの宴のさなかだ。 さあ、私をもっとハイにさせてくれたまえ。

  • 欲望を満たそうとしているだけなのに

    欲望を満たそうとしているだけなのに 罪を犯すことを避けられません なぜですか 欲望とは関係ないことですが やはり欲望をあきらめて  離欲を目指すべきだからですか?

  • なぜ欲望を叶えようとすると

    なぜ欲望を叶えようとすると脳が欲望を叶えられないように誘導してくるのですか

  • 幸せと欲望はどう違うのか

    突然ですみませんが、3年位前、僕の知り合いの大人の人が言っていた事をここに書きます。 「発展は幸せと欲望の為にある。  人の手による発展とは  少なからずの欲望を生み出し、  多からずの幸せも生み出す。  少なからずの欲望のない者が発展とは成し得ず、  多からずの幸せのない者も発展とは成し得ない。  幸せとは愛か力か、欲望とは愛か力か。  それは人の永遠の謎である。」 (対句みたいな感じで言っていたので、見やすいようにまとめました。) どうして「幸せ」が「多からず」で、「欲望」が「少なからず」なのかと僕が聞くと、その人は「それが人間だから」と言っていました。その意味が何となく分かったんですが、「欲望がなぜ愛なのか」等、できれば色んな意見を聞いてみたいので、どういう風に思われたかを教えてもらえませんか。

  • 欲望

    理性的で己の欲望に忠実な人と理性無く欲望に忠実な人って具体的にどう違いますか?

  • なぜ私の欲望にしようとしても

    なぜ私の欲望通りのことを、しようとしても邪魔が入ってきたり急に精神が乱れて欲望が達成されることが阻止されるのですか

  • 現象学の欲望論

    ある現象学者の本を読んだんですが、 人間は自分の欲望に基づいて、 自分の世界を秩序付けているという意見でしたが、 こういう意見は何かの役に立ちますか? だから何なのかな?と思いますし。 むしろ人間の欲望がどういう原因で起こるのか、 また人間に欲望を起こしている環境を分析するのが 大事なんじゃないかと思ったんですが、 私の読んだ著書には そういう事は追及されてなかったです。

  • 欲望はあるのか?

    言葉で、何かを食べたいと言ったとき、欲望があると思うんですが、冷蔵庫を空けたり、料理をしている自分を見て、何かを食べたがっていると言えるのでしょうか?  何も言葉を言っていないのでそんな欲望があるというのは分からないと思ってしまうんです。  また、他の言葉をしゃべれない動物にも、意志があると言えるのでしょうか?

  • 欲望について

    質問の仕方を変えます。 アリストテレスは情念(感情・パトス)について、「二コマコス倫理学」で 欲望・怒り・恐れ・自信・ねたみ・よろこび・愛・憎しみ・憧れ・羨望・憐れみ など と11以上あるとしました。 中世に入りアウグスティヌスは基本感情を4つあげ 欲望・恐れ・喜び・悲しみ としました。 近世に入りデカルトは「情念論」の中で基本感情を6つあげ 驚き・愛・憎しみ・欲望・喜び・悲しみ としました。 そしてスピノザは「エチカ」の中で、基本感情を3つまでしぼり 欲望・喜び・悲しみ としました。 ここまでで、わかるようにアリストテレスから1000年間、欲望という感情が必ず含まれています。 哲学者により欲望の定義は違うかもしれませんが、ここでは、快に向かう苦から離れようとする傾向と定義します。 しかし、現代の心理学的見地では、アメリカの心理学者ポール・エクマンは人間の表情から感情を 怒り・嫌悪・恐れ・幸福感・悲しみ・驚き に分類しました。 確かに欲望の表情というと、食欲や性欲など身体の生理作用に基づく表情があるかもしれませんが、金銭欲・名誉欲の表情は?などと問われれば、回答に詰まります。 ネットで調べた限り現代の心理学では、欲望とは言わず、「動機づけ」と呼んで研究されているようです。 http://ksw.shoin.ac.jp/machida/need/need2what.html 欲望とは感情と言えるでしょうか?または、過去の哲学において忘れ去られた、感情なのでしょうか?

AT350Cとパソコンを繋げる
このQ&Aのポイント
  • AT350Cとパソコンをつなげて、パソコンで操作しながらAT350Cで音を出したいです。
  • ローランドの専用ドライバーとはどのようなものなのでしょうか。
  • オーディオインターフェイスはROLANDのRubix24を持っていますが、いままで使用したことがありません。MIDIケーブルはあります。
回答を見る

専門家に質問してみよう