- ベストアンサー
旗本の子弟
旗本の次男・三男は新規召抱えや他家に養子に行ったり、厄介になったりしたという事ですが、大身の家などでは次男三男が家臣化したという事はなかったのでしょうか? 結婚も出来ず肩身の狭い厄介になるくらいなら、仏門に帰依した方が良さそうな感じがしますが、一般の旗本の次男三案が仏門に入る事はあまりなかったのでしょうか?
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
その他の回答 (1)
- 6dou_rinne
- ベストアンサー率25% (1361/5264)
関連するQ&A
- 江戸時代の諸藩の次男坊以下
江戸時代の藩主の弟たちは、他家に養子に出たり、僧侶になったり?していたと思いますが、 譜代大名であれば、次男坊以下は大身旗本に取り立てられることもあると聞きました。 これは本当でしょうか? また、外様は大大名でも次男坊以下が旗本に取り立てられることは、ありえなかったのか、 お分かりの方、よろしくお願いいいたします。
- ベストアンサー
- 歴史
- 旗本の居候の恋
旗本で次男坊だったとします。 次男坊だから、冷や飯食いで、日頃、心を閉ざしていました。 いらない事に巻き込まれない様に、日頃は大人しくしていました。 だから、誰にも見向きもされていません。 それが、突然、有力大名の養子にと話しがきました。 もう、30代であったため、結婚の話しもきました。 今まで、心を閉ざしていたため、感情の起伏はありません。 日頃から、冷静になることが多いためです。 また、この結婚話も、自分では決めれません。 皆さんなら、突然沸いたらどうしますか? それなりの人を選びますか? 自分の好みもないまま結婚しますか? 自分に誰が会うか真剣に考えますか? それとも、有力大名のご息女と結婚し、他に内縁の人を見つけますか? 現代では、内縁の人を見つけると、パッシングを受けますよね。 なら、皆さんはどうしますか?
- ベストアンサー
- 恋愛相談
- 守名乗りについて
江戸時代、武家の守名乗りは大名・諸太夫の役職に就いた者・三千石以上の大身旗本に許されていたと思います。 陪審でも、御三家御附家老や加賀八家のように従五位下に叙任される特格の家柄はあったと思いますが、一般の大名家の家臣(特に重臣層)が守名乗り(越前守・讃岐守・縫殿頭など)をすることは出来たのでしょうか? 「かみ(守・正など)」を付けずに山田安芸、田中勘解由、鈴木民部、山本隼人と名乗ることは普通にあったと思いますが、「かみ(守)」を付けて名乗ることはどうだったのでしょうか? 公式には許されてなかった場合、○○守の私称がまかり通っていたとするならば、○○守で公文書に署名することは出来たのでしょうか。 大石内蔵助の内蔵助も正式な官名だと思うのですが、旗本では大身しか許されていないものを、陪臣にすぎない大名家の家臣が「大石内蔵」ではなく「大石内蔵助」と名乗ることは問題なかったのでしょうか。 ご意見を賜れれば幸甚です。
- ベストアンサー
- 歴史
- ひょんなことから大名になった人物
末期養子でかなり遠縁の旗本の倅が大名になったり、家臣(一門筋)の倅が大名になったケースもあるかと思います。 本来大名になれる立場・血筋ではないのに、ひょんな事から当主のお鉢が回ってきた、非常にラッキーな事例があったら教えて下さい。
- ベストアンサー
- 歴史
お礼
ご回答ありがとうございます。 学問はともかくとして、仏門に入るより厄介の方が嫁はもてなくても気楽だったという事でしょうか。