• ベストアンサー

地魚は日本語として正しいのですか? 近海ものとの違いは?

地魚という語が日本語としておかしいのかどうか知りたいのです。検索すると、グルメ情報で目にする言葉ですが。地鶏などに対しての造語かとも思いますが、浸透しているようです。 いっぽう、近海もの、と呼ばれるものもあります。 地魚が正しい正しくないとは別に、一般に「地魚」と呼称されているものと「近海もの」と称されるものは同種のものなのでしょうか? 別のものなのでしょうか? 検索できませんでした。 お願いします。

noname#18932
noname#18932

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • usami33
  • ベストアンサー率36% (808/2210)
回答No.1

地魚は地元で取れる魚 近海ものは日本近海で取れる魚 基本的にはほぼ同じですが、秋刀魚やかつおなどでたとえると、取った後、一番近い港に水揚げするのではなく、その日の相場が高い港や、ネームバリューの付く大きい港にわざわざ入港して水揚げします。 判りやすく言うと 三浦半島沖で採って、銚子に水揚げとか、 その逆に房総沖で取って、三崎漁港に水揚げとかですね

noname#18932
質問者

お礼

さっそくのご回答ありがとうございました。 どのあたりの海にどのような魚がいるか、どこが近海やら無知なもので、助かりました。 感謝いたします。

関連するQ&A

  • 「たられば」は、ちゃんとした日本語として認められている?

    スポーツの解説などで「もしあの時○○していれば勝っていたのに」 や、「もしあれが○○だったら勝っていたのに」と言った人に対し、 「でも、たらればで会話をしてはいけませんよね」と言う光景をよく目にします。 しかし、「たられば」という言葉は、辞書には載っていません。 これは、誰かが考えた造語なのですか?もしそうだとしても、 説明しづらいのですが、正しいというか、言葉遣いや日本語に厳しい人の前で 使ってもいいような、ちゃんとした日本語として認められているのでしょうか?

  • グローバル化と日本語

    23歳男性です。社会人です。最近思うことがあります 我々日本人が普段から使っている日本語が「日本語ではなくなってきている」のではないか? と憂えていることです。こう思うのって私だけでしょうか?? グローバル化も浸透して英語の教育に一層力を入れてきている。その他「エモい」や「まじ卍ー」などの若者言葉という別のベクトルまでいつのまにか登場し、インターネットやSNSの普及による後押しもあってか、知らない間に言語が変わっていきていることに驚きと懸念を禁じ得ません。 私が思うに、日本が本当の意味でグローバル化に力を入れていたのは、明治維新の頃ではないかと推測します。 とある教育番組で知ったのですが、日本人は列強国と肩を並べるために、それまで訳せなかった外国語の言葉を全て日本語に翻訳することに注力して教育の質を高めた。そのおかげで日本人は、高い識字率と幼少期から大学までの授業を全て日本語で学べるという教育システムを完成させることが出来た、というわけです。 それなのに今日では、上記したような和製英語の進化系? 造語? 略語? が当たり前のように使われるようになって、今まで何気なく使っていた日本語が「日本語じゃない日本語」に変わっていって、その「日本語じゃない日本語」が普及していくという流れになっていく……「これも時代か」と自分に言い聞かせるも、やはり解せないというか。なんだろう、日本人に生まれたからには綺麗な日本語を使うべきではないかな? と個人的に思います。 まあこんな事を主張したところで、社会という巨大なうねりを変えることなど出来ないのですが……幸いなことに、そういう謎の言葉を使う人は私の周りにはいないのでホッとしています。 それから、私は私なりにSNSをやらず読書に勤しんだり、毎日500文字以上の日記を手書きで書いたりして「綺麗な日本語」を忘れないようにしています。そうやって先人たちが苦労して作り上げた功績を読んで、書いて、聞いて、話して、感じて、いつか自分が死ぬときに「ああ、日本人として生まれて良かった」と言い残して死にたいです。

  • 「会う」の謙譲語

    「会う」の謙譲語は一般的なところだと 「お目にかかる」「お会いする」を使うと思いますが、 辞書を見ると「まみえる」も「会う」の謙譲語となっています。 大辞泉、大辞林の例文をみると、 ・君主にまみえる ・閣下にまみえる と使われています。 このことから、身分制度があった時代に身分が上の人に 会うことをいう言葉かと推測していますが、いかがでしょうか。 また、「君主にお目にかかる」という言い方はできるでしょうか。 もう一つ、お目にかかることを言う女性語に 「おめもじする」という言葉がありますが、 これはどのようなニュアンスなのでしょうか。 実際に使っているのを見聞きしたことがなく、 どのような場面で使われるのかいまいちわかりません。 (検索かけてWEB上で使われているのは見ましたが、  やはりよくわかりません) よろしくお願いします。

  • 日本語の変化は、加速している?減速している?

    「ら抜き言葉」など日本語の乱れが指摘されていますが、言葉は変化するものという意見もあります。 ここでふと疑問に思ったのですが、江戸時代以前と現在を比べてみると、はたして現在は、言葉の変化の速さが加速しているのでしょうか。 私は、一般への教育が浸透していなかった昔のほうが変化の速度が早かったと思うのですがいかがでしょうか。 それとも、現在は昔に比べて言葉の変化が速く、近い将来口語と文語の乖離が進み、再び、文言一致の対策をとる必要があるのでしょうか。

  • 日本語の乱れ(or変化)はマスメディアの功罪?

    「ら」抜き言葉や、地方方言の一般化など、日本語の話し言葉や書き言葉の変化は、この十数年で加速しているように思うのは私だけでしょうか。 私は30代後半ですが、幼少の頃から「ら抜き言葉」は使っていました。しかし、それは方言なので正式な国語とは区別して考えていたと思います。 しかし、最近はそのような言葉が全国的に見受けられます。特に北海道方言の全国への浸透は、目に余ります。 「言葉は変化するものだから仕方が無い」という意見は良く聞きますが、現在の状況は異常だと思います。 実は、ごく少人数の人間によって、現代の国語は急速に変化しているのでは無いかと思うのですが、皆さんはどう思われますか?

  • 「少なくとも」と「少なくても」の違い

    「少なくても」を「少なくとも」の意味で使うのは間違いですよね? 「量は少なくても、質は高い」といった文なら問題ありませんが、 「少なくても、これだけは言える」などという用法のことです。 この場合の「少なくても」は(将来的に認められても構わないのですが、今のところは)正しくない日本語ですよね? あるいは私の認識が間違っていて、すでに常識的な日本語なのでしょうか? 最近、こういう「少なくても」の使い方が目について「間違ってるよ」と指摘したくなるのですが、 「どうして『少なくても』じゃ駄目なの?」と言い返されると、うまく説明できないんです。 どう説明すればよいのでしょうか。 一応、国語カテの過去ログを「少なくとも 少なくても」で検索したところ同種の質問は見つからなかったので、質問させていただきます。既出でしたらリンクを教えていただけると幸いです。

  • ゲートキーパー(gatekeeper)を日本語にするなら?

    ビジネスの素人です。 ビジネスにおいて、「ゲートキーパー」という役割(の人)がいますね。 一般には聞きなれない言葉ですが、ネット検索するとわりとたくさん出てきましたので、ビジネスの世界では認知されつつある言葉なのでしょうか。 英語のgatekeeperをそのままカタカナで表しているわけですが、あえて日本語にするとしたら、どんな言葉がふさわしいと思われますか? 「~~をする人」のような説明ではなく、一言の名詞でスパッと表せる言葉にならないでしょうか。 もちろん、日本語にしにくいからカタカナのままで広がってきているんだということはわかるのですが、それをあえて日本語にするなら・・・ということで、ご提案いただけませんでしょうか? 従いまして、「それは日本語にならない!」「ゲートキーパーはゲートキーパーだ!」とお思いの方は、どうぞご遠慮ください。ご提案いただける方、お答えお願いいたします! よろしくお願いします。

  • 正しい日本語の定義

    文法とはそもそも、「正しい日本語の規則」をあらわしているのでなく、実際に通常使われている言語がどういう構造になっているかをあらわしているだけだと聞いたことがあります。 つまり、ある言葉・言い方が文法的に合っているか、を考えるのは本末転倒だというのです。 実際、文科省もNHKも、別に「正しい日本語」を決める権限を持っているわけではないので、「正しい日本語」というもの自体、ある意味存在しないとも言えるわけです。 ただそうすると、「正しい日本語」というものは文法とは関係無く、要は「日本語を母語とする一般通常人に、ある程度普遍的に通じるもの」であれば全て「正しい日本語」と言えることになってしまいます。 「言葉は時代で変化していくもの」とはよく言われることですが、これを突き詰めると、一般に「現代の日本語の乱れ」と言う考え方自体が丸っきりナンセンスなものになります。 そしてさらには、国語のテストにおいて、正解といわれるものも、かなりファジーになってしまいそうです。 そこで質問なのですが、例えば言語学・国語学・国文学等と言われる学会の中や、その他の分野において「正しい日本語」というものが、存在するとされているのでしょうか。 「正しい日本語」とはどのようなものとされているのでしょうか。 そのような「公的な」ものではないが「私見」をお持ちだという方のご意見も伺いたいと存じます。

  • 「乱れた」日本語への激怒はなぜ?

    テレビや本などで、いわゆる「乱れた」日本語が取り上 げられ論じられているのを目にすることがあります。わた しはこういう実例を目にしたり耳にしたりすると、「面 白い言い方だな」「なぜこういう言い方が使われているの だろう」と考えてしまいます。乱れなのかどうか、間違いなのかどうかはそれに比べるとあまり考えません(そも そも乱れや間違いとは何なのかがよくわかりません)。 もちろん公的なところで話すときはとても気をつけます。先日、年配の男性のかたと話す機会があり、この種の 現象についての話題が出たのですが、その人は すごく興奮した様子で「間違っているものは間違って いる。この前も若い店員がレジで乱れた言葉を使った ので怒鳴っておき、店長に投書しておいた。その 言葉のことはテレビでも取り上げていた」と言ってい ました。この言葉の是非についてはさておき、なぜこうも怒る人がいるのか分かりません。以前別の人が 怒っていらっしゃるのをみたこともあります。この 怒りの原因は何なのでしょうか?

  • NHK「日本語だと恥ずかしい」

    NHK「韓国語のほうが素直に言える。日本語だと恥ずかしい」  やはり、NHKは外国人に支配されているのですか? http://news.livedoor.com/article/detail/6062449/ ★NHKの″韓流寄り″番組に批判続出 NHKの情報番組「お元気ですか日本列島」内の「ことばおじさんの気になることば」は、毎回、言葉の疑問に迫っていくコーナーだが、24日に放送された「日本に浸透している韓国語」の内容が、ネットユーザーの間で注目を集めている。 放送によると、いま日本の若者の間では、携帯メールでハングルの絵文字を使うのがブームだと伝えている。「ハングルはかわいくてデザインにしやすい」と感じる人が増えているそうだ。また、若者へのインタビューでも「韓国語のほうが素直に言える。日本語だと恥ずかしい」「日本語では謝りにくいが『ミアネヨ、オンマ』(ごめんね、ママ)だと言いやすい」と答えており、実際にハングルを使ったメールも紹介された。 これに対してネットユーザーは「そんな話聞いたことない」「こんなメール来たら縁を切るわ」など、番組が特集した“ブーム”の存在に疑問を呈する声が続出。また、「フジかと思ったらNHKかよ」「受信料払いたくない」「今度はNHKデモか?ww」など、NHKが韓国寄りの番組を放送していたことに批判的なネットユーザーの声も目立った。