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諸々の如来

根本的に仏陀(釈迦)=如来といのは理解できますが、なぜ釈迦如来だけではなく、阿弥陀如来・大日如来等の如来が存在するのでしょうか?教義の発展と同時に細分化されていったと理解すればよいのでしょうか?また、阿弥陀如来などは釈迦誕生以前より存在していた仏であるとも聞いたことがあるのですが、その辺の繋がりを考え出すと頭の中が混乱してしまいます。宗教を合点のいくように理解しようとしてはいけないのかもしれませんが、どなたかお教えください。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • matuty
  • ベストアンサー率20% (3/15)
回答No.2

阿弥陀如来は諸仏の本師本仏と言われ、釈迦如来や大日如来その他全ての諸仏は、その阿弥陀如来の教えを弘めるために存在していると言われています。

ekiura
質問者

お礼

よくわかりました。ありがとうございました。

その他の回答 (5)

  • yuhkoh
  • ベストアンサー率48% (350/723)
回答No.6

卑俗な例えですが…  水と氷と水蒸気があるとします。それぞれ液体・固体・気体と形状も、特質も名称も異なりますね。またそれぞれの働きによる作用も違います。  そこで、のどが渇いている人には水を。熱がある人には氷を、空気に潤いを求めている人には蒸気を薦めます。各人はそれぞれの働きによる恩恵を被ります。しかし、水・氷・蒸気は形状・特質・名称などが違うためまったく別の物だと思いこみ、お互いがその優劣を競い合うとします。この状態が「たくさんの仏様がいる。どの仏様が偉いのだろう」「どうしてこんなに細分化されるんだろう」という状態と同じです。  しかし、水・氷・蒸気は一酸化二水素(H2O)です。この場合はH20は「法」。それを後世に具体的な尊格化としたのが大日如来。水・氷・蒸気は釈迦・阿弥陀・薬師・弥勒などの諸々の仏。それぞれの物質の特性・効能が観音・地蔵・虚空蔵・文殊・不動などの菩薩・明王。  そして、水・氷・蒸気がH2Oであることを知り、それぞれの人にふさわしい物を与える人が歴史上の釈尊。それは、ふさわしい物を与えた上で、自分自身の中にある水・氷・蒸気の働きに気付き、それを実践することを教え示しているのです。 そのことを知っている人、それが釈尊です。だからその人の特性・状況によって、その人に今一番ふさわしい教えを示すことができるのです。

ekiura
質問者

お礼

わかり易くご説明いただきありがとうございました。少しは理解できたように思います。

  • yuhkoh
  • ベストアンサー率48% (350/723)
回答No.5

 それぞれの宗派によってとらえ方が変わるでしょうが、ここでは密教の観点でお答えします。  まず、通常仏教は歴史上の釈尊が開いた教えとされますが、それでは釈尊が得られた「悟り」は、釈尊によって初めてこの世に登場したのでしょうか。そうではなくて、釈尊はこの大宇宙に存在する絶対不変なる真理を悟られて、それをわれわれに説き明かしたのがいわゆる「仏教」であるという考えです。ですから、歴史上の釈尊が例え存在していなかったとしても、真理(仏教語ではdharma<ダルマ>といい、「法」と漢訳されます)そのものは存在しているという思想です。その法そのものを尊格化したのが大日如来です。  さらには、仏教は釈尊の啓示宗教ではなく、あくまでも自覚宗教、つまり自信が悟りを開く。つまり仏となることが究極的な目的ともいえます。ですので、そうであるならば、釈尊以外にも仏が存在していても不思議ではない。なぜならば法は始まりもなければ、終わりもなく存在し続けるものだからです。ですから歴史上の釈尊も、あくまでわれわれ人間に法を伝えるために人間の姿で表れた尊格であり、その本体は永遠なる存在、つまり釈迦如来であるという考えであり、また阿弥陀如来・薬師如来などの多くの仏が存在するという信仰が生まれます。  そして、密教では法そのものは大日如来です。そして、その大日如来が「一切衆生の能力・特性を妙(たえ)に観察し、その者に対してふさわしい方法で救済する智慧(妙観察智<みょうかんざつち>)」という瞑想に入った状態が阿弥陀如来、そしてその智慧により衆生救済の実践に動く働きを観世音菩薩というように、一切の仏や菩薩を「法の働きの顕現」とたらえます。ですから、前述の瞑想に自分自身が入ればその状態が阿弥陀如来であり、その働きを実践すれば観世音菩薩となります。  釈尊もあくまでも“法を依所とせよ”と述べられ、そしてその法を悟られたのが釈尊です。そして自身もその法を悟ることが重要なのです。これらは机上で知るものでもなく、信修によって実感することでしょうね。

ekiura
質問者

お礼

ありがとうございました。小生には難しいので何度も読み直したいと思います。

  • nacam
  • ベストアンサー率36% (1238/3398)
回答No.4

大乗仏教が成立し、発展したのは、現在のパキスタンからアフガニスタンにかけてです。 その地には、西方より、ミトラス教やゾロアスター教などの宗教がもたらされており、そこで色々な宗教が混在します。 そのため、仏教においても、それらの宗教と混在し、本来の仏教とかけ離れた仏教が誕生します。 本来の仏教では、輪廻転生の考えを持つはずですが、阿弥陀は、極楽(天国)へ導く仏として存在しています。 天国と地獄という考え方は、本来の仏教には無く、ゾロアスター教の影響を受けた物と考えられます。 大日如来は、ゾロアスター教の「アフラ・マズータ」であると考える人もいますし、薬師如来は、ミトラス教の影響を受けていると考える事もできます。 その他にも、ギリシャの神々、メソポタミアの神、カナーンの神なども、この地に来ていて、それらが混合して、現在の大乗仏教が成立したので、仏陀以前の如来がいても不思議ではありません。

ekiura
質問者

お礼

いろいろと絡みあっているのですね。ありがとうございました。

回答No.3

混乱してくるのは、大乗仏教のためかと思われます。 元々、仏教誕生の頃の教えでは、仏陀は釈迦一人だったものが信仰が広まるにつれ、時代が経つに連れて変わっていきます。 釈迦如来の誕生から、時代が経つにつれて釈迦如来以外の表現=もっとわかりやすい形の表現への要望が起こり、紀元前後に大乗仏教が起こると、仏陀には過去、現在、未来、それぞれの世界に存在すると考えられるようになったそうです。 宗教が広い地域へ信仰が拡大していくには、土着の風土と融合していく中で思想の整合性をはかる中で、このような構想になったと考えられます。 釈迦を含め過去仏が7体。 未来仏は弥勒菩薩(如来)=(釈迦が亡くなってから56億7千万年後にこの世にあらわれると信じられている)。 現在同時に多くの違う世界に存在する仏(人間界=娑婆、十方の世界にもそれぞれ存在し、東方の妙喜国に阿しゅく仏、西方極楽浄土の阿弥陀如来、東方の浄瑠璃界には薬師如来がいるとされている)

ekiura
質問者

お礼

ありがとうございました。

noname#117439
noname#117439
回答No.1

この質問自体にはうまく答えられませんが、仏性というものは自分の心の中以外の場所を探してもうまくいきませんよ。

ekiura
質問者

お礼

ありがとうございました。

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