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精神と肉体のアンバランスさに苦しんでいます

caballeroの回答

  • caballero
  • ベストアンサー率17% (31/182)
回答No.17

>倫理的規範によって言う啓蒙的な意味とは何に対する啓蒙的意味でしょうか?魂は概念で本質は真と虚に分かれるとの事でしたが・・・すいませんそうではなく魂とは何かを解りやすく教えていただきたい  ほんとすみません。僕はあなたと話せてよかったです。長くなるか、短くなるか、抜きにして、一生懸命、何回でも答えます。  まず、倫理規範についてです。 今は、社会を不憫に陥らせないための道具に成り下がっていますが、本来は、どう生きるべきか、についての規範でした。つまり、殺人者にも、倫理は味方だったわけです。倫理は多数決の、多数の味方ではありません。啓蒙的意味を、倫理に汲んだ場合、個人の尊重といったところです。それは、社会に対する個人ではなく、個人のための個人です。個人を尊重するとはそういうことです。そこに他者の余地はありません。何故それが啓蒙的なのかというと、それをどんどんどんどん行ったら、「行くトコまで行ってしまい」、「ある」ことになります。少しわかりますか?行く所もすでにして行っているのです。(また、質問からはなれるので、とりあえず止めます。ご指導、ご指摘ありがとうございます。)あなたの質問に近いように近いように答えさせていただきます。以前の回答では、勝手に暴走してしまいました。 >魂とは何か? あなたと、あなたをあなたたらしめているもの、つまり、あなたの本質と、あなたの間にある「言葉」です。しかし、大事な点は、それは、あなたの使う言葉ではありません。あなたの本質に由来する「言葉」です。自意識(あなたの意識)でもなければ、感情でもありません。肉感でもありません。まだ、解りにくいですね。力不足に付き合っていただき申し訳ないです。  もう一度やります。結論断言型で試みます。 あなたの本質は、すべてです。すべてであるので、それは語りえないものです。 しかし、すべてからの由来の「言葉」魂は、すべての一部です。だから、あなたは、あなたの世界をすべてとして完結的に捉えることが出来ます。しかし、わかるように、あなたのすべてはあなたのすべてです。すべてのすべてではありません。 そういう意味で、あなたのすべては「すべて」ではありません。このように、魂は機能します。まるでそれは、言葉の働きのようです。それを、それとたらしめるものです。これ以上行くと、魂からはなれてしまうので、止めます。 >本質は真と虚に分かれるとの事でしたが・・・ 本質は真です。なぜなら、虚は無数にあり、増えたり減ったり、出たり消えたりします。まるで、僕らの生きる世界(精神も肉体も)のようです。本質と言うのは、それをそれたらしめている者なので、それ以外はありません。本質はすべてです。それ以外はありえません。だから、嘘などないということです。「あれって嘘やったん?」ということになると、あれはなかったことになり、嘘があったことになりはしません。嘘とは、ありはしないものです。人間の言葉に実体はありませんが、魂には「あり」ます。それは真であるからです。何故、それが僕らの目に明らかにならないかというと、僕らの眼や世界は幻のようだからです。しかし、すべてに属さないものはありません。無というものですら、無いのです。なんかわかりやすくなってきましたか?すべてとは密度の高い実体ではありえません。しかし、「あり」です。「あり」のことです。あなたがあるのは、そのような「あり」の一部だからです。これは、実体ではありません。しかし、実体でない事もありません。そのような、「あり」との接点が「魂」でしょうか。     魂によって本質を見ると、それは嘘から解き放たれます。嘘が真になるのではなく、それが、それになるのです。ないものはなくなり、あったものは、あなたにおいてあるようになります。お返事をまって、又来ます。

714020
質問者

補足

本質=世界で本質の死は世界の死 魂は本質と言葉・・・って事は、肉体の死=精神の死と言える・・・・と言うことですかね?

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