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考えて、考えて、考え抜いて、考えないことにした

正確な表現ではないかも知れませんが、「考えて、考えて、考え抜いて、考えないことにした」という言葉をよく耳にします。 これはそもそも誰の言葉、出典は何でしょうか?

  • Syo-ya
  • お礼率82% (185/225)

みんなの回答

  • torauma
  • ベストアンサー率20% (38/183)
回答No.3

No2さんの回答を読ませて頂きまして「ああ、そうか」と感じました。 お寺の宗派がね・・・なるほど。 まあ、それはそれでこういう方向に回答が向くのは御質問者様にとっては一意「それもあるか」、という意味にしか成らないのかもしれない、と思い再度投稿させて頂く事にしました。 あくまでも哲学的な意味で言うならば、「考えて、考えて、考え抜いて、考えないことにした」というのは哲学の無意味性を仮決定していると思うんですよね。 哲学(あるいは知識全般)によって、すでに知っている事を、我々は理解する。 しかも相互理解を確かめあって人類共通の知識とする。 哲学によって「すでに知っている」領域の中の限られた範囲で、知っているはずの事を確かめ合う知恵が得られるだけ。 と考える事もできると思うんですよ。 特にSyo-yaさんは「ヨガ瞑想」の領域に踏み込んでおられる方なので。 「初めに言葉ありき」と言うけど、「親が無くても子は育つ」というのもあって意志の疎通(相互理解)の範囲にこだわる理由は、時々自分の知恵や知識の範囲を狭めている、制限している様な気がする。 そこで、自分という者の制限を知った上で「何らかの覚醒を得る」事ができるはず。 という事を考える事は私の様な程度の低い俗人にもあります。 すでに知っている事を理解する」という認識の方向は人間(動物)の「学習過程」に依存しますよね。 ニュートンの法則でさえ相対性理論によって有る意味、レトリック(比喩)表現でしか無いという事を我々は知っています。 比喩・たとえでしか「真実を伝える」事はできません。 従って、真実そのものを「理解してから知る」事はできない。 時間的順から言うと可能なんだけれど、検証(瞑想?)を経て初めて知る事ができる。 あくまでも知っている事を理解する、あるいは理解しているはずの事を確かめる(検証等)経緯を得て、初めて「良く知る」事ができる。 つまり、ここで言う検証とは「考えず、良く知る」段階という事になり、これこそが第一に必要という事になるのでしょうか。 最近のここの話題ですと、こんな感じかな。 できれば他の方の考察欲しいですよね。  以上まで不出来な者の我流創作話なので失礼しました。

Syo-ya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 なるほど、難しいですね^^ 私も仏教を勉強してますので「悟る」とか「あきらめる」とかについてはなんとなく納得しているんですが、私は哲学的な思惟は苦手で、なんでもかんでも単純に考えないと腑に落ちない性格なんです。 ですから、この定型句のような有名な言葉の源流を知れば、そのストーリ性から、何か違った角度の考えが得られるのではないかと想って、今回質問させていただきました。 あまりにも一般的な言い回しですから、きっと、基になる出典があると想うんですがね。。。 ご丁寧な回答、ありがとうございました。

noname#18860
noname#18860
回答No.2

ご質問の答えには、ならないかも知れませんが五木寛之の著書の中にこんなくだりがあります。 ”「あきらめる」というのは実は、「明らかに究める」ことだといわれています。 物事をあきらかにし、その本質を究めること。 勇気を持って真実をみつめ、それを認めることが、本当の「あきらめる」ということであるらしい” 更に続きます。 浄土真宗の開祖、「親鸞」にもふれ、彼が言った「自力では悟れぬものと悟りたり」という言葉を受け、 彼は「人は煩悩を抱えたまま生きていくのだ」というひとつの答えに達します。 煩悩を抱えることによって仏の光に出会うのだと教える。 つまり、あきらめきったこの教えは、”あきらめきったところから物事が明らかになり、 それを究めきったところに本当の意味での静かな強さというものが生まれてくる。 危機の中で人間の命を支えるものというのは実はそういう 静かな強さではないか。” とあります。 タイトルを見たときに、私が普段から思っている「あきらめる」という ひとつの大きな意味を思ったので投稿してみました。 答えになっていなくてすみません。

Syo-ya
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 「あきらめる」というのは、そういうことでしょうね。

  • torauma
  • ベストアンサー率20% (38/183)
回答No.1

なぜか回答が付いてませんので、試しに投稿入れます >という言葉をよく耳にします→普通名詞の類 >そもそも誰の言葉、出典は何→固有名詞の類 実は動機がありまして、10年程昔でしたが某地方裁判所で申し立てをしたことがあります。 その際、裁判官から家族について聞かれた事があり、「自分の母親について、どう思うか」という質問を受けました。 確かこの時ですが「・・・、考えて、考え抜いて、考えないことにした・・・」という言い方をした事があります。 人間の強欲の生贄となり、不条理・不合理・不実に搾取される境遇下においても、人間には選択をする自由があり、<愛するもののために甘んじる>という様な意味を含めて、申し述べた記憶があります。  女性の境遇について、一つの事例用語になっていたかと思います。 私は普通(一般?)名詞の類と考えておりました。 そもそもの出展があるのであれば、私自身も知りたい所です。 案外歌謡曲の歌詞だったりして。

Syo-ya
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 なるほど、もとは演歌かも知れませんね(苦笑) 実は私の中では、考えて考え抜いて真理に到達したので、考えない境地に到達した・・のかな?と前提した発想があったのですが、ご意見を伺って新鮮な気持ちになれました。 真理に固執しなくても{諦める=明らめる}→「考えない」・・なのかも知れませんね。 大変、参考になりました、ありがとうございました。

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