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近代言語を持たない国の英語習得

現在先進国と言われる国には近代言語という非常に抽象度、具態度の高い言語が存在してますが発展途上国ではいまだに不完全な言語です。この場合母国語以上には外国語は上手くならないという前提があるのなら彼らの英語能力は母国語である言語の限界に遮られ高度な議論などは出来ないのでしょうか?世界中からアメリカに優秀な人が集まり活躍していますが、結局のところ記号化された言語のような論理性のみで成り立っている英語の一側面でのみ思考してるのでしょうか?

みんなの回答

回答No.11

>確かに幼少時にはそのような事はあるのでしょうが頭が固まってしまってからどうなのかな?というのが質問の趣意です。 そうですね。難しくなってくるのは確かでしょうね。世界を切り分ける柔軟さが失われてきますから。 頭の程度の差もでてくるでしょうね。 でも、何度も議論を繰り返していれば、大概の概念であれば、発見できるかと思います。 数学の諸概念だって、発見した人はすごいと思いますが(とても僕では不可能)、学校で勉強すれば、受動的には発見していけますものね。 チンパンジーだって、言葉をもたなくとも、人間とやりとりをしていく中で、世界を切り分けて、概念を発見できるようですし。

kyuhka
質問者

お礼

答えてくれてありがとうございます。確かに人間は成長するものですから概念を理解していく事は可能でしょう。ただ、たやすさと言うのはどんなものでしょうね。

  • may-may-jp
  • ベストアンサー率26% (324/1203)
回答No.10

#6です。まだ締められていないようなので。 英語がいまや「世界の共通語」とまで言われるようになったのは、誰にでも習得できて、世界中でも文法の最も単純な言語だからです。決して緻密な言語だからというわけではありません。むしろ英語は文法も単語も大雑把なだけに難しい概念には弱く、多くの単語を費やさねばならず、時にはラテン語などから引っ張ってきて造語を作ったりしなければ対応できないものです。政治的なことを無視してもよければ、中国語やアラビア語を使ったほうがよっぽど議論に深みが出ることと思います。でも英語の単純な文法のおかげで、地球規模での知識の共有化はだいぶ進めることができました。 シンガポールの公用語で英語が選択された経緯については存じませんが、諸外国との経済的な関わり以外にも「教育の普及」という観点もあったのでは、と思います。公用語は英語にしたほうが最もコストが安く済む、という打算です。 「言語の重要性について軽く見ている」というのはあると思います。それは好き好んでそうなっているのではなく、前述のアフリカ諸国などの場合には、国語を整備して(土着の言語の調査・研究・標準語化、文字の選択・創造、そして国語教科書の作成)、それから学校を整備して・・・という経済的・時間的余裕がないからです。植民地時代を繰り返さないためにも、どんな言語を使っても(例え日常生活に関わりのない旧宗主国の言語であっても)まず全国に初等教育を広げることが目標とされているのです。 明治維新のときに外国語から取り入れた概念を日本語に置き換えるという作業ができたのも、その当時「学校を整備する」という必要性が日本にはあまりなかったからです(すでに小学校の前身に当たるものはできていた)。そのため、日本語の整備のほうにお金をかけることができたのです。 あちらの言語にある概念がこちらの言語では説明できない、ということは「近代言語」同士でもよくある話です。それは言語自体の問題ではなく、おそらく文化的背景の違いが占める割合が大きいのでは、と思います。

kyuhka
質問者

お礼

答えてくれてありがとうございます。大体は分かるのですが・・・例えば現在中国では言語の近代化ということを行ってるわけですが、発展途上国では言語、政治制度etc諸々近代化の必要性を感じてるわけですがあくまでも用語の輸入・置き換えのみなのでしょうか?

noname#20688
noname#20688
回答No.9

#5です。 私も何かの本で読んだのですが、kyuhkaさんが仰る 世界の言語には「近代言語という非常に抽象度、具態度の高い言語」と「はいまだに不完全な言語」にすっぱり二分されるのではなく、4つか5つの階層に分かれているということです。その本では「汎用度」ではなく別の用語が使われていたと思いましたが忘れました。 勿論、「不完全な言語」とかも使われていなかったと思います。 でも この質問は純粋な質問ではなく議論の要素が強く、規約違反に抵触する恐れがあります。議論ならここでなく 別の場所でしたらどうでしょう。

kyuhka
質問者

お礼

こちらは専門家ではないので理論的区分けと言うよりは現実にはどうなのかと言う疑問なもので言葉の適用についてはご勘弁ください。 >>でも この質問は純粋な質問ではなく議論の要素が強く、規約違反に抵触する恐れがあります。議論ならここでなく 別の場所でしたらどうでしょう。  申し訳ございませんでした。

noname#19923
noname#19923
回答No.8

またまた#1です。 >翻訳するわけですが専門家でも解釈に違いが出ることがままありますし、かなり叙情的な文章だと思います。 英語の科学論文でさえ、「専門家でも解釈に違いが出ることがままあります」。たとえ著者と読者がともに英語のネイティブ・スピーカーであっても。 つまり字句の解釈をめぐる論争は常に存在します。 欧米ではスピーチや論文の書き方をかなり時間をかけて教えます。逆に言えば、教えなければ人に分かるように話したり書いたりできないのです。 もし、先進国の言語がそもそも精緻で疑問の余地のない解釈しかできない文しか生み出せないのなら、そんな教育は不要のはずではありませんか? >大岡裁きのほうが人情味にあふれているとは思いますが。 大岡裁きは講談です。 江戸幕府の基本法に「公事方御定書」というのがあります。 「上巻は裁判,警察,行刑などに関する重要な法令81通をおさめた法規集である。下巻は若干の民事的規定,民刑事訴訟法的規定と,多数の刑法的規定をおさめ,103条から成るので俗に御定書百箇条ともいう。そこでは犯罪の構成要件とこれに対する刑罰が条文の形で書かれ,かつ民事的訴訟法的規定も一応条文化されているので,これを法典とみることもできる。」(世界大百科事典) たとえば、78条「乱気にて人殺之事」は、精神に異常を来した者が犯罪を犯した場合の処分(死刑とするか、お咎めなしとするか)を、犯罪の種類(放火か殺人か、誰を殺したのか)に応じて決めています。 79条「十五歳以下之者御仕置之事」では、未成年者が犯罪を犯した場合に、どういう処分をするか(遠島とするか、罪一等を減ずるか、不処分とするか)を定めています。今日の少年法と精神は同じです。

kyuhka
質問者

お礼

丁寧なご返答ありがとうございます。なるほど・・・ただ、言語レベルも表層的なものと深層的なものがあると思うのですが明文化されているのを取り出して議論するのは選択する文に依存するので難しいとは思います。「乱気にて人殺之事」程度の文であれば変な話かなり古代にも存在していると思いますが。  議論は規約違反らしいので申し訳ございません。これ以上は議論できませんが決して優劣論や言葉遊びに終始したいわけではありません。中途半端で終わりますが、ご無礼はご容赦ください。

noname#19923
noname#19923
回答No.7

#1です。 >維新時の日本語は現代ほど精密な思考は出来ないと思われます 誤解です。 >近代社会における精緻な出来事、現象を表現する必要は無く >農耕社会の牧歌的つまり叙情的な言葉であったと思われます 誤りです。 たとえば江戸時代。高度な官僚社会であり、かつ商業の発達した時代でもあります。哲学的には儒学や古学が花開いたのもこの時期です。 官僚社会ですから、高度で厳格な法体系を持ち、役人の書く文章は現代と文体は変われど、似たようなものです。訴訟・裁判を表す「公事(くじ)」という言葉もあります。 商売をする以上、契約書も必要です。昔は証文といっていましたが、ものの取引、主従契約などが残っています。 最後に、儒学の伝統なしに、明治以降の近代化はあり得ません。経済などの新語はすべて漢文の素養がなければ生まれるはずもなければ、理解する人もいません。 >近代化の過程で森鴎外や夏目漱石が文学を発明した言われ 誰が言ったか知りませんが、その人は大嘘つきです。たしかに近代文学を築いた人たちではありますが。 kyuhka さんも『竹取物語』や『源氏物語』のような小説、『枕草子』や『徒然草』のようなエッセー、『日本書紀』のような編年体の歴史書をご存じないわけではありますまい。 >東南アジアなどに行きますと化学の授業などはほぼ英語表記で行われてるのが現実です 明治時代の日本も当初はお雇い外国人による英語やフランス語、ドイツ語の授業がありました。その間に急いで人材を育て、新しい単語を作り、学校を整備したのです。 そういう時間も体力も人材もなければ、外国語の教材で、外国語で教育せざるを得ないでしょう。 現在の先進国でも、最先端の科学・技術を追いかけるなら英語が必要です。ただ、これは英語が優れているからではなく、たまたまアメリカが経済的にも軍事的にも唯一のスーパーパワーだからです。 >英語のような極めて精緻な言語 英語の一面しか見ていません。 英語だろうが、何語だろうが、きわめて精緻な議論もできれば、「牧歌的つまり叙情的」な表現も可能です。 英語が常にきわめて精緻な表現しかできなかったとしたら、きっと今頃息が詰まって、みんな死んでますよ。 最後に一言。 たしかに明治以降、翻訳によって西洋語風の文体が生まれ、無生物主語や、受動態が広く使われるようになりました。 しかし、これがなければ日本の近代化はなかったかといえば、そんなことはない。近代化を可能にしたのは、一部のエリートだけではないのですから。

kyuhka
質問者

お礼

答えてくれてありがとうございます。 前半部分に関しては異を唱えたいと思います。かなり古い古文の場合は自分では読めませんが、つまり翻訳するわけですが専門家でも解釈に違いが出ることがままありますし、かなり叙情的な文章だと思います。つまり現代人の思考から見た場合緩い、誤訳の可能性があると言う事です。維新時活躍した山岡鉄舟の文章などは簡明で判りやすいとの評判ですが、やはり現代から見れば緩いです。 >>官僚社会ですから、高度で厳格な法体系を持ち、役人の書く文章は現代と文体は変われど、似たようなものです。訴訟・裁判を表す「公事(くじ)」という言葉もあります  論理性や整合性はあるでしょうが・・・この辺は難しい問題だと思います。現代の裁判官と大岡忠相が議論できるのだろうか?厳密性は格段に違うのでは?大岡裁きのほうが人情味にあふれているとは思いますが。

  • may-may-jp
  • ベストアンサー率26% (324/1203)
回答No.6

「母国語以上に外国語はうまくならない」という前提は、学校教育がかなり整備されている国(国語が国民の大部分に浸透している国)にしか通用しないと思います。つまり母国語による初等教育が存在し国民の大部分がそれを享受できる、そしてその上に外国語を含む中等・高等教育が存在しているような国です。 アフリカなどでは独立後50年近く経っている今でも、いまだに「国語」が存在しない国もごろごろしています。そういう国では「母語による初等教育」は存在せず、最初から旧宗主国の言語等による教育が行われているのが現状です。おそらく彼らはフランス語を母国語同様に使えるのだと思います。 でも学ぶ言語が何であろうと、概念を知ることには違いはないわけです。習った概念を使って自分の理論を展開・発表するときに、たまたまそれが母国語ではないというだけの話だと思います。議論するときにどの言語を使うのが便利かというだけのことではないでしょうか。 また、国語が整備されていないからといって、その地域に高度な概念が存在しないことにはならないと思います。

kyuhka
質問者

お礼

答えてくれてありがとうございます。 シンガポールも初代首相であるリー・クワンユーは母語が英語でしてシンガポール自体も英語で教育が行われています。多民族国家であるということもあるのでしょうし商売上の利便性が高いと言う事もあるのでしょうが、やはり近代言語が近代化に必要であるとの考えではないでしょうか?と思っています。言語の重要性が軽く見られているのでは?と感じているわけです。

noname#20688
noname#20688
回答No.5

不完全な言語とは語弊がありますが、言語によって 近代文明における汎用度には段階がありますね。 A すべての場合において使える:英語、フランス語、スペイン語、ロシア語、アラビア語、 B 殆どすべての場合において使えるが、専門・特殊な一部の分野におけるごく限られた場合には使えない時がある:日本語、韓国語など・・・私が思いつくので使えない場合というのは 航空管制用語があります。自衛隊などで日本人同士でも英語で会話するんですよ。 C 文字を持ち、新聞の言語でも使えるが、高等教育の言語では不備がある:ヒンディー語、フィリピノ語など D 文字を持たない言語 kyuhkaさんが言うのは母国語がDランクで AランクかBランクの言語で教育を受けた場合ですよね。でも、母国語がCランク以上でもバイリンガルの環境では似たような現象がおきます。例えば 家では韓国語を使っているが学校は普通の日本語の学校に通って、大学まで進学した場合です。そうすると、日常会話は韓国語の方がラクですが、難しい話となると 母国語では語彙が不足して歯痒さを感じるでしょうね。ただし、母国語と教育を受けた言語が非常に似通っている場合には「混成」という現象がおきます。これは ベラルーシ人やウクライナの人、ガリシア地方のスペイン人などに多く見られます。これは母国語をベースに学校で習った高級語彙などを織り交ぜて話す現象です。これは 日本でも標準語とはかなり違う方言を話している地域に住んでいる人なんかは なんとなく実感できると思います。でも 両者の言語がかけ離れている場合は「混成」は難しいので、私も感覚が掴みにくいですね。

kyuhka
質問者

お礼

答えてくれてありがとうございます。汎用度ほどの差がある話をしてるわけではありません。つまり文化度が高いと言われてる国々の中で近代化された言語と発展途上の国々の本当に微妙、紙一重ぐらいの差ではあるが根本的に隔たりがある認識の差があるのでは?と言う疑問です。

noname#111031
noname#111031
回答No.4

No.1の言われるように、あなたの前提がおかしいのではないでしょうか? 近代言語(?)の定義は? 不完全な言語(?)もしあなたがそうな存在を信じて居られるのなら、それこそ嘗ての植民地主義の思想に近いものなのはないでしょうか?古典ギリシャ語(ホーマーなどを生んだ言語)や古典ラテン語などは”近代/現代の言語ではありませんね、しかし誰も”分完全な言語”とは呼ばないでしょう、例え、”その言語で書かれた物の中に”原子力”や”コンピューター”などの現代の産物が存在しないとからと言って。アラビア語が不完全だから、英語で近代化してやる(?)余計なお節介でしょう?アラビア語で”古典ギリシャの哲学や数学”などが残っていなかったと仮定すれば”近代のヨーロッパ文明は”古典ギリシャ文化を全く知らずに”どのような姿”になったでしょうか? 文化(言語も文化でしょう?)に優劣で考えるのは間違いでしょうね。

kyuhka
質問者

お礼

前提がおかしい場合は議論になりませんのでご容赦。 >>近代のヨーロッパ文明は”古典ギリシャ文化を全く知らずに”どのような姿”になったでしょうか?  wy1さんのおっしゃるとおりなのですが古代ギリシャ文明の後継者を名乗るヨーロッパが土台とし発達してきたのだと思います。言語も科学と同じように進歩するものです。進歩途上にあるものと先端を走ってるものとの比較論です。決して優劣を問題にしているわけではないです。

回答No.3

「母国語以上には外国語は上手くならないという前提」というのはないと思います。既存の言葉によって人間の頭は制限されないでしょう。むしろ、人間の頭が言葉を変えていく。 理解できないものがあれば、人間の脳なら分析し、新しい概念として理解していけます。赤ちゃん、子供がまさにそうですよね、現実の世界にぶつかりながら、この世に概念を発見し、切り出していく。ヘレンケラーだってそうですよね。人間の脳はすごい。 もちろん、母国語に最初からその概念があれば、そんな作業をしなくとも、自然と楽に理解できるということ。したがって、概念がないということは、不利なのは確かです。

kyuhka
質問者

お礼

答えてくれてありがとうございます。この辺の議論は別の方向に行ってしまうのですが・・・。確かに幼少時にはそのような事はあるのでしょうが頭が固まってしまってからどうなのかな?というのが質問の趣意です。

  • chimbocau
  • ベストアンサー率40% (6/15)
回答No.2

言語学のことは全くわかりませんが、日常生活で外国語をはなす者の意見です。 言語学では抽象度、具体度の高い言語を近代言語というのでしょうか? そして、抽象・具体の度合いの低い言語を「不完全な」と形容するのでしょうか? また、Nsuikaさんのおっしゃるように、分野によって,ものによって、ある言語の発揮する 抽象度・具体度は変わってくるので、「ある分野で高度な」と表現を変えたらどうかと思います。 「母国語以上には外国語は上手くならないという前提があるのなら彼らの英語能力は 母国語である言語の限界に遮られ高度な議論などは出来ないのでしょうか?」 という疑問についてですが、 もしアメリカ英語によってのみ表現できる事柄が、ある議論中に頻繁に登場するなら、 その表現を知らず(理解できず)、なおかつ理由が、アメリカ英語を母語としないことにあるなら、 そういう人間にとって、その議論をすることは難しいのではないでしょうか。 そしてもし、アメリカ英語によってのみ表現できる事柄が、アメリカ合衆国で行われるあらゆる類の 議論を構成するというのなら、アメリカ英語を母語としない人間はアメリカ合衆国で行われる議論を 理解することが難しいのではないでしょうか。 たとえば神学などの分野では、英語(あるいは教会によっては「アメリカ英語」)を母国語と しないことによって生じる制約が多い気がします。しかし、サイエンスのような分野で 論理的に緻密な思考をする際に、英語の単語によってのみ表現されうる物質を思い浮かべたとしても、 英語によってのみ表現できる何かを使って何かをするというのはそこまでではないでしょうか。

kyuhka
質問者

お礼

答えてくれてありがとうございます。 >>アメリカ英語を母語としない人間はアメリカ合衆国で行われる議論を理解することが難しいのではないでしょうか。  これが自分の疑問でして・・例えば映画での字幕・吹き替えの場合原文に比べ情報が欠落する傾向にありますが、映画自体は楽しめます。つまり大枠で捉える事は出来るでしょうが細かな事(習慣などは除かなくてはならないので例として適切ではないのかもしれませんが)つまり思考形態が高レベルである(語弊を生む言葉ですが)日米でさえ捉えきれない齟齬がありますがこれが発展途上国だと?と思ってしまうのです。 >>論理的に緻密な思考をする際に、英語の単語によってのみ表現されうる物質を思い浮かべたとしても、 英語によってのみ表現できる何かを使って何かをするというのはそこまでではないでしょうか  ここが問題でして日本語は近代化され精緻な議論に耐えうる言語です。chimbocauさんはその言語がベースにありますから英語の論理性についていけるのでは?と思うわけです。