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江戸時代の建物
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主に大工の棟梁が行なっていたはずです。 というか、間取りや意匠は施主が絵を描いて決めても、実際それを実物にしていくのは職人の仕事でした。 (平面計画や意匠も全てまかされる棟梁もいましたし) 木だけで建物の形を作って行くのですから、ものすごく高度な計算が必要です。 それを棟梁は曲尺(さしがね:L字がたの定規に尺寸の目盛りを刻んだ物)と裏尺(うらじゃく:表の一目盛りを√2倍したものが裏の一目盛り)だけを使って、加減乗除の計算から平方根・立方根などまで駆使して各部材のサイズを出して、組み方を決めていきました。 そのため大工は職人のなかでも、高給取りで名士の部類に入っていたと思います。 現代でも町場のお年寄りの大工さんや数奇屋大工や寺社大工などはコンピュータなどで計算したり、作図するのではなく、物差しだけで木の切り出し方を決めていかれます。
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- 6dou_rinne
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それほど大きくない建物なら建物を建てる大工がやっていましたが、御殿や天守閣のような大規模な建物で多くの大工がかかわるような場合は大工頭というような大工の棟梁がいちおうの設計図をつくって指図したようです。(御殿や天守閣の設計図が残っているところもあります。)
お礼
御回答ありがとうございます。 町場の建物は大工がやっていたのですね。
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御回答ありがとうございます。 まさに職人技ですね。 当時の大工は職人の中でも高給だったのですね。