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世界恐慌でのブロック経済について
はじめて質問させていただきます。 1929年に発生した世界恐慌では、アメリカ、フランス、イギリスなどがブロック経済をしいて、恐慌の影響が自国に及ばないようにしました。 なぜ、ブロック経済をしいて関税障壁をしくことが、世界恐慌をくい止めることになるのか、教えてください。 なお、僕は経済については高校の政治経済レベルの知識しか持っていませんので、専門的な経済的事項については分かりやすく解説してもらうと幸いです。 どなたか、よろしくお願いしますm(_ _)m
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「恐慌」とは、どんなものかはご存知でしょうか? 不況で物が売れなくなる現象が、さらにひどくなった状況です。 物が売れないため、会社は倒産し、失業者が街にあふれ、失業しなかった人でも、大幅に給料が下がることになります。 そのため、企業は、ダンピンクをしてでも販売しようとします。 そうなると、ますますその国の企業の製品が売れなくなってしまいます。 そのため、市場を持っている国では、他国から物が入らないようにして、自国の利益を守ることをします。 それが、ブロック経済です。 勘違いされているのは、ブロック経済は、世界恐慌をくい止めるのではなく、自国への影響を、最小限度にする事です。 当然、ブロック経済から外れたところでは、より深刻な事態となります。 それが、第2次大戦への一歩となりました。
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- Bird1979
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#1さんの回答に、別の表現で付け加えさせてください。 恐慌による激しい不況から、経済をどうやって立て直すか? そのためには、生産と消費の拡大を図る必要があります。 消費の拡大とは、すなわち需要の拡大=消費者(お客さん)の拡大・確保になります。 したがって、恐慌に苦しむ各国は、需要=お客さんを確保するためにライバルを排除します。 例えれば、ある村で4人の油売りがいたが、景気が悪くなって皆の利益が激減しました。そこでその村に住むただ一人の油売りが、「よそ者のお前たち(他の3人)は、明日からこの村に来て油を売ることは許さん。どうしても、というなら俺に税金を払え」ということです。 この「税金」が関税障壁にあたります。 まあ、このようにしてイギリスやフランス、アメリカ、日本などがそれぞれ自国や植民地を経済ブロック=塊、として他の国の製品を排除することで、自国商品の需要および生産を守ろうとしたわけです。 しかしながら、ブロックごとの不況回復の早さや規模は、ブロック相互の繋がりが弱いため、バラつきが生じます。またドイツやイタリアは海外市場を殆ど持たないため、回復は困難でした。イギリスや日本は、比較的早く回復します。(日本の場合は満州事変など、強引な市場=円ブロック拡大を図ります) このような「帝国主義的」手法や、回復の非同時性によって、各国の対立や「富の不公平感」が高まりが第二次世界大戦の背景となります。
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こんにちは。 ご回答ありがとうございました。 確かにこうした手法を使うためには、本国と植民地だけであらゆる物品の供給を行える必要がありますから、ブロック化が可能だったのは米仏英などの、広大な領土または植民地を持つ国だったと言えそうですね。 満州事変が円ブロック形成のための政策だったということも、大変参考になりました。 何かまた質問があったら、ご回答よろしくお願いします。
お礼
こんにちは。 分かりやすいご回答、ありがとうございました。 つまり、ブロック経済をしくことで、恐慌が発生した国の不当に安い製品が流入することを防ぐわけですね。 また何かありましたら、ご回答よろしくお願いします。