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韓国にとっての百済?
たまたま韓国からの旅行者と電車で話す機会があったのですが、そこで韓国で言う古代「百済」は巨大な海洋国家で百と書くのは百(たくさん)の国の連合をさすからだと聞きました。 韓国では普通に考えられていることでしょうか。それとも、お互い外国語が得意でないことによる私の完全な勘違いでしょうか。 もし、勘違いでなかったとすれば、そういう海洋国家はどのあたりに広がっていたとする説があるのでしょうか?
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中国の「三国志魏志東夷伝」と高麗の「三国史記」によろと、「百済」という単語の初めには「伯(一つの意味)済」より「十済」、次の「百済」に変えました 古代の「済」という漢字は「津」って意味でした。それから「百済は連合的な海洋国家だった」って思いもあまり無理ではありません 他の意見によると、「百済は百家済海だ」と記録がありました。 それでも、あくまで、そんなことは全て後世の解釈しかありません。百済の場合には残る資料が大変少ししかないから、研究の成果も少し、「古代日本は百済の植民地」ようなナショナリズムな百済観が生きています ちなみに、「百済は中国の山東半島を経営した」と話はこの根拠が軽いと思います その根拠ならただ中国の「旧唐書」や「宋書」などで書いてもらう、そんな内容がある1~2かの文章は色々な解釈ができることです。だが、「巨大海洋帝国」がくれるイメージのためにそんな意見が広く受け取られると だけど、百済の海洋交流が元気だったっては私も信じています
お礼
ありがとうございます。 知らなかった言葉「百家済海」をキーワードとして探すとこんなの見つかりました。 http://kankoku_manse.tripod.com/Tyousensi/Miscellany/sakoku.html もちろん、資料の少なさからくる誤解釈の可能性もあるのでしょうけど。少なくとも海上百済の存在があったかもしれないと思うだけで楽しくなります。