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杉原千畝がユダヤ人にビザを発行した目的は?

杉原千畝が無制限にピザを発給したのは1940年7月~9月なのですが、 この当時はまだホロコーストの大量虐殺が行われておらず、ワルシャワゲットーも封鎖されていませんでした。強制収容所への移送は1942年7月です。 結果的には多くの命を救った事になりましたが、ピザを発給している時にはこれが命を救う事になるとは杉原は予想できなかったはずです。 とすると、杉原がユダヤ人にビザを発行した目的は何なのでしょうか。

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  • sqwe-ir
  • ベストアンサー率23% (79/332)
回答No.4

大使館の目の前に人垣が出来たからです。 全員がピザの発行を希望していました。 始めは自己判断せず、本国に報告し、汽車賃や、亡命後生きて行ける金額の所有者のみに発行していましたが、 人垣は、日を追うにつれ膨れ上がって行きました。 ピザを貰えない事が分かっている人も、毎日来ている事を知っていました。 日本大使館の前には、1万人以上の人垣ができました。 どんどんユダヤ人が膨れあがっている事は、ドイツ国内で何があったのかは想像出来ました。 遂にこれを見て見ぬ降りが出来なくなった杉原は、全員にピザの発給に踏み切ります。 1日に手書きで2000人のピザを発行します。 それでも、人垣は増える一方でした。 ソ連から、ユダヤ人が歩いて移動している報告を受けた日本政府は、ピザの発給停止を促しますが、杉原はやめませんでした。 手が動かなくなりました。ハンカチで手を縛ってもらって直、ピザを発給し続けました。 9月、遂に政府は杉原を更迭(大使解任)本国への帰国を命令します。 汽車の出る寸前までピザを発給しました。 杉原の救った命は数万人とも言われています。 元々、大学卒業のキャリア組みでなく、 外国語が出来る。 これだけの実務で外務省に入った杉原を解雇するのはたやすい事で、 解雇後の杉原は相等苦労して生活していたようです。 その後、イスラエルから国賓として招待を受ける事になります。 その時杉原が助けた人間は、生きてイスラエルに到着していました。 数十年後、大臣になる人や、重要な官職、会社を設立した人々も、決して杉原を忘れる事はありませんでした。 お金を持たない人にも、平等にピザを発行してくれた杉原は、イスラエルの国民栄誉賞を受賞します。

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  • ZeroFight
  • ベストアンサー率15% (30/189)
回答No.3

直接の答えにならないかもしれませんが、第二次大戦のはじまる直前、セントルイス号事件という有名な事件がありました。 僕は『さすらいの航海』という映画で知ったのですが、ドイツのユダヤ人が迫害から逃げるために、セントルイス号という客船でハバナに向かうのですが、入国を拒否され、アメリカからも武力で追い払われ、ヨーロッパに戻らざるを得なくなります。ドイツに戻ると強制収容所送りなので、イギリスやフランス、スペインに入国を求めますが、どの国もドイツとの対立を恐れて、ユダヤ人の入国を拒否し、船は大西洋をさまようことになります。映画では、この航海は、ユダヤ人が孤立していることを世界中に知らせるために、ナチスが仕組んだことになっていました。それが事実かどうかは分かりませんが、当時、大ニュースになっていたことは事実です。 映画では、最後にオランダが救いの手を差し伸べ、ハッピーエンドでしたが、そのオランダも、あっという間にナチスに占領されてしまいます。 杉原は情報収集の任務を担当していましたから、セントルイス号事件を知っていたはずです。 なお、回答2の〈自らの危険を感じてのものであった可能性〉はありません。なぜなら、在外公館の安全を守るのは、その国の義務だからです。領事館が現地当局に保護を依頼したなら、警察でも、軍隊でも動員して、暴徒を鎮圧しなければなりません。先日の中国の反日デモでは、その当然の義務を怠ったので、中国は世界中から批判されています。

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  • ex_hmmt
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回答No.2

当然ユダヤ人への圧力は、1日にして高まったものではないからでしょう。 ナチスの台頭と共にユダヤ人への迫害は徐々に増してゆき、40年当時は既にナチスドイツ影響下にユダヤ人が居ることが死活問題と直結しかねないという共通認識が、ユダヤ人の中に存在したとしてまったく過言ではないと思われます。 すくなくとも、ユダヤ人という「概念」は1935年11月14日付けで規定した条例が出されているようです。 まぁWikipediaが全て正しいとは限りませんが以下のような資料もあり ホロコースト http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%AD%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88 >1939年9月のポーランド侵攻直後から、「ユダヤ人問題」の直接的解決が >実行され、まず占領地域在住ユダヤ人のゲットーへの囲い込みが始まった。 少なくともユダヤ人に対する圧力が高まり、ユダヤ人が「極めて強い」危機を感じていたというのは事実だと思います。 ちなみに私は、杉原千畝のビザ発給の当初の目的が、自らの危険を感じてのものであった可能性を常々考えています。あんだけ難民に詰め寄られたら怖いって。だからといって彼の行った事の価値はまったく変わるものではありませんが。

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回答No.1

「1940年夏、ナチス占領下のポーランドからリトアニアに逃亡してきた多くのユダヤ人が各国の領事館・大使館からビザを取得しようとしていた。」からではないかな。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E5%8E%9F%E5%8D%83%E7%95%9D

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