- ベストアンサー
城主の身分名称○○守についての疑問
6dou_rinneの回答
- 6dou_rinne
- ベストアンサー率25% (1361/5264)
江戸時代の「○○守」というのは律令時代の地方長官の官職名を使用していますが、単なる名前(名乗り)でした。 大名や高位の旗本の場合は従五位以上の官位をもらいましたが、そのときに「○○守」といった受領名を名乗ることが許されました。(そのほかに内匠頭のような律令時代の役所の長官の名前を名乗る場合もありました) それで同時期に同じ名前の「○○守」がたくさんいることも普通でした。 一部の○○守については特定の家柄のものが独占を許されているものや、老中が名乗っている○○守については他には同名の名乗りは許されないという場合もありました。 このように江戸時代の武家の名乗りは律令時代の朝廷の官職名は名乗っているものの、朝廷とはなんらの関係もないものでした。
関連するQ&A
- 国主、国持大名と城主、無城の違い
江戸時代の大名についてお教えください 1.国主=国持大名ということでよろしいのでしょうか? 2.国主と城主、無城とはなにがちがうのでしょうか? 伺候席との関連など、家格の違いがあるというのは分かる(?)ような気がするのですが、それ以外に具体的にどのような違いがあったのでしょうか? 3.wikipediaの大名のところを見ると「大名は国持ち大名レベルはともかく、10万石単位の大名は封土の一円領有が殆ど許されず、大抵は城下周辺とまだらに領土を持った。」とあるのですが、とすると城の周りでさえも、他藩や幕府・幕臣の領土が有った例も多々存在するというようにも読めます。 城の周辺でさえ他領が存在するなどしたら、実際の支配などに不便は無かったのでしょうか? 例えば、自分の城のすぐ近くで犯罪があった場合でさえ、関八州取り締まりや、その領主の手の者が来ないと取り締まりも出来なかったのでしょうか?
- ベストアンサー
- 歴史
- 土佐山内家の藩主名乗り
江戸時代、「国持大名」は代々将軍から偏緯を賜ることで他の大名と区別されていたようです。(島津斉彬、伊達綱宗など) 土佐藩主の山内家は、24万石で「従四位下、侍従」と国持大名の待遇ですが、将軍の偏緯を受けていません。代々「豊」を通字としています。 http://www.asahi-net.or.jp/~me4k-skri/han/shikoku/kochi.html 何かの理由があったと思われますが、ご存じの方はよろしくお願いいたします。
- 締切済み
- 歴史
- 山内一豊は大名の種類では親藩?それとも譜代?
ドラマも架橋に入った「功名が辻」。 その主人公でもある山内一豊は最終的に土佐の土地をいただく事になりますが、関が原の合戦開始前に徳川に見方をしている事を考えると大名の分類としては親藩に当たるのでしょうか? それとも以前は豊臣秀吉に味方していたと言う事で譜代または外様でしょうか? 土佐と言うと江戸(東京)から遠いので譜代か外様かと思うのですが、合戦前に徳川に付いていますしそうなると親藩に入るのかどちらなのかとふと思いました。 詳しい方、教えてください。
- ベストアンサー
- 歴史
- 山内一豊と長曾我部のこと。
こんにちは。 山内一豊と言う武将は司馬さんの「功名が辻」、 これでもお馴染みです・・・。 歴史好きの皆さんなら良くご存知でしょう。 不思議に思うことがあります。 関が原の功で掛川六万石から土佐二十万石の身代・・・ 随分な出世です。 その分家臣も必要でしょう。 少しの例外を除いて長曾我部の浪人を召抱えません。 召抱えるどころか随分乱暴なこともしています。 主のいない彼らですから説得すれば家臣になったろうに、 そう思うのですが、皆さんはどう思われますか? 私も胸に答えのある質問ではありません。 おそらく皆さんも推測になろうかと思います。 それで構いません、お話し聞けたらと思います。
- 締切済み
- 歴史
- 江戸時代初期の大名の財力とは。
諸大名は、二度の朝鮮出兵や関ヶ原合戦でも多額のカネを要したと思います。 関ヶ原合戦後は、天下普請に駆り出されながら、一方、領国では巨大な城郭を築いたり、城下の整備をしたりしていますので、これもまた多額の費用がかかったはずです。 こんなに財力を蓄えていたことに驚いています。 鉱山も貿易もすでに家康の管理下になっていたはずです。 なぜ、こんなに財力があったのでしょうか。 年貢収入だけだったと思うのですが、他に何か収入があったのでしょうか。 それとも、人件費も木材もタダ同然だから、築城という大工事であってもそれほど費用を要しなかったのでしょうか。 よろしくお願いします。 [参考] 江戸城大改修の第一期天下普請で石垣普請を請け負った豊臣恩顧の西国大名28家の内、大規模な城郭工事や城下町の整備をした有力大名を列記しておきます。 池田輝政 加藤清正 加藤嘉明 黒田長政 福島正則 細川忠興 山内一豊
- ベストアンサー
- 歴史
お礼
さっそくありがとうございました。 「○○守」というのは律令時代の地方長官の官職名だったのですね。 江戸時代の「○○守」がそういう実体のない肩書きとは驚きました。 権威主義の表れともいえるのですね。 感謝します。 このような質問に答えてくれる人が果たしているのだろうかと、半信半疑でしたが、感激しています。