• ベストアンサー

江戸時代の牢慣習について

江戸時代に牢に入ったらウンチを食べさせられるって牢に入る全員ですか?それとも牢名主などに目をつけられる一部の者ですか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • 6dou_rinne
  • ベストアンサー率25% (1361/5264)
回答No.1

すべての牢でそういうことがあったわけでもありません。またすべての入牢者がそういう目にあったわけでもありません。 地獄の沙汰も金次第ということで、牢名主に金品を贈れるようなものであればお目こぼしはありましたし、人柄などによって牢名主のおめがねにかなえば手加減されたり優遇されることもありました。 また逆に目明し(役人の手先)のように権力の手先になっていたものが何らかの拍子に入牢したりすると、ウンチを食べさせられる程度ではすまず、まもなく病死(実際は殺された)したりすることもよくありました。

mersess
質問者

お礼

そうですか、全員でなくほっとしました。ありがとうございます。

その他の回答 (2)

noname#113260
noname#113260
回答No.3

江戸期の牢という物は身分によって入れる場所や待遇が違ってました。 有名な小伝馬町の牢は、揚座敷(御目見以上直参の武士)、揚屋(御目見以下の直参、陪臣、およびこれらに準ずる僧侶、神職)、大牢・二間牢・百姓牢(一般庶民)、女牢(女性)があり、大牢・二間牢では時代に依っては1畳に数人という過密状態でした。 大牢以下では一定の条件で自治が行われ、罪人の中から「牢名主」を1名選び、囚人の取り締まりに当たらせたが、後には、囚人の間に添役(そえやく)、角役(かどやく)、三番役、四番役、五番役、本番、助番などという名目の幹部が発生した。 新入りは「蔓」と呼ばれるお金を出すのが決まりで、これの多寡により牢内の処遇が決まり、出さないと「決め板」という板で打ち据えられたり意地悪をされます。 牢内の病死者は安政の大獄までは大体30~100人/年で推移してますが、安政の大獄では入牢者が激増し、1000人以上が死んでますから、過密化によるストレスで苛めがエスカレートしてやったかも知れません。 時代劇では、目明しなど権力側の人間が入ると、間引きとして殺されますから。 http://homepage2.nifty.com/makibuchi-2/kyodoshi/79kai.html

mersess
質問者

お礼

牢内の役割も複雑なんですね、ありがとうございます。

  • takuranke
  • ベストアンサー率31% (3923/12455)
回答No.2

糞食は一回二回ではなく数日間続けられることもあったようです、 その場合は確実に死んだそうです。 No.1の回答にもあるように目明し(岡引)、その下の情報屋のような人たちが入るとやられたそうです。 まあ喰え、といわれ、喰わなければその場でリンチ、完食すれば、お替りだなといってもう一杯出たそうです。(3杯までと何かの本で読んだ) ちなみに、糞食(牢内でのリンチでは無く薬として)の歴史は古く万病に効くと思われていました。 スカトロジー大全という本があります。

参考URL:
http://www.seikyusha.co.jp/books/ISBN4-7872-3111-1.html
mersess
質問者

お礼

マルチで食わされ数日ですか、ありがとうございます。

関連するQ&A