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「牢」の起源などについて

  • 質問No.9701061
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「殺人だとか、泥棒だとか、いわゆる悪いことをした奴を捕まえて牢に入れる」というのは、いつ頃始まったのだろうか???という疑問が湧き、とりあえず「牢・起源」で検索してみたのですが、はっきりわかりません。

伝馬町牢屋敷とか、出てくるし、テレビドラマなんかでも大岡越前などが登場するので、遅くとも江戸時代には、「悪いことをした奴を捕まえて牢に入れる」という体制はできていたのだろうなぁ???という気がしたのですが、「伝馬町牢屋敷」の解説では、

「江戸時代の刑法には現在の懲役や禁固に類する処罰が原則として存在せず、伝馬町牢屋敷は現代における刑務所というより、未決囚を収監し死刑囚を処断する拘置所に近い性質を持った施設である。

と記述されています。

質問は3点です。
1 「牢」というと黒田孝高を思い出してしまうのですが、あなたが知っている「牢」について、一番古いと思われるものを教えてください。「これも「牢」に該当するのではないか???」というものでも構いません。
2 「江戸時代の刑法には現在の懲役や禁固に類する処罰が原則として存在せず」とあるのですが、ということは、「悪いことをした奴を捕まえて罰を与えるための牢」というのは、明治になってからということなのでしょうか??? それとも江戸時代以前にも、「悪いことをした奴を捕まえて罰を与えるための牢」というのはあったのでしょうか???
3 「悪いことをした奴を捕まえて罰を与えるための牢」がなかった時代は、いわゆる「強い者勝ち、悪い者勝ち」の世界だったと理解してもよいのでしょうか???

質問者が選んだベストアンサー

  • 回答No.2
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ベストアンサー率 86% (91/105)

中世には牢があったようです。
網野善彦他編『中世の罪と罰』(東京大学出版会)を読んだとき、私は、わずか2行ですが次のようにメモっています。

領主屋敷に「籠」はあったか。籠は人屋、囚獄のことで牢とも。平治物語絵詞信西巻に首を懸けた獄門の背後に獄舎があり内から多くの顔がのぞいている。

これを頼りに平治物語絵詞信西巻を調べました。

国立国会図書館デジタルコレクション
平治物語[絵巻]. 第2軸 信西巻
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11299475

これを開いて21/22、19/22を見てください。
21/22は、「首を懸けた獄門の背後に獄舎があり内から多くの顔がのぞいている」場面です。
拡大すると、画面中央の、獄門の屋根の右端に生首が晒されているのがよく見えます。
そして、画面右上、垣根か大きな棚のように見えますが、これが獄舎で、すきまから顔の一部が見えます。

19/22の画面中央には、兵列の先頭に信西の生首を高らかに掲げている武士が見えます。
さらに「牢屋」で検索すると、奈良時代には牢屋があったことが分かりました。

コトバンク「牢屋」
https://kotobank.jp/word/%E7%89%A2%E5%B1%8B-152554

(一部抜粋)
日本の律令制においては獄と称し,「比度屋」「人屋」 (ひとや) と訓じた。これを監督する官庁は刑部省囚獄司であった。奈良時代の記録には,『江談抄』が長岡獄に関し,それが荒れほうだいで脱獄がきわめて多かったと記すなど,すでにこの頃には獄舎が整えられていたことが知られる。
お礼コメント
ahondarades

お礼率 96% (106/110)

ありがとうございました。よくわかりました。ただ、律令が犯罪に対する刑罰という観点から、どのくらい機能していたのか、本当に機能していたのかというところが私の知識でレベルではわかりませんでした。???

絵巻を見て気づいたのですが、平安時代の当時は、槍ではなくて、なぎなただったんですね。今まで、なぎなたというのは女性の武器かと思っていました。  
投稿日時:2020/01/13 15:20

その他の回答 (全2件)

  • 回答No.3

ベストアンサー率 47% (14165/30053)

学問・教育 カテゴリマスター
 #1です。補足です。

>>国家の行政や司法の仕組みとして、いつごろから、「牢」が形成されたのだろうか???という疑問です。護良親王の例は質問の趣旨ではありません。

 失礼しました。

2。それとも江戸時代以前にも、「悪いことをした奴を捕まえて罰を与えるための牢」というのはあったのでしょうか???

 奈良時代の律令制度にありますから、あったと思われます。下記の「牢名主」という言葉があることからも、江戸時代にはすでに腐敗した例が伺えます。
 https://kotobank.jp/word/%E7%89%A2%E5%90%8D%E4%B8%BB-152521

 もともと働ける者の自由を拘束してタダ飯を食わせるのはコスパが悪く、農耕で定住するまではなかったものが、中国の制度の真似をして入ってきたのでしょう。
お礼コメント
ahondarades

お礼率 96% (106/110)

ありがとうございました。

新しい入牢者から金子を受取るしきたりになっており,金子を持参しなかったり,気に入らぬ者には折檻 (せっかん) を加え殺害することもあった。……すごい世界ですね。しかし、牢に金子を持ってはいれたのですね。こちらも不思議ですね。笑
投稿日時:2020/01/13 15:13
  • 回答No.1

ベストアンサー率 47% (14165/30053)

学問・教育 カテゴリマスター
1。「牢」という漢字には「窂」と「穴かんむり」の異体字もあり、文字通り牛を入れておく穴、すなわち神様に生贄として捧げる家畜を入れておく場所という意味です。
 https://kanji.jitenon.jp/kanjig/3015.html
 
 甲骨文字は下記にあります。
 http://sf.zdic.net/sf/ks/0509/39ad92516498b5247a52e3d7892ffee2.html

2。 「江戸時代の刑法には現在の懲役や禁固に類する処罰が原則として存在せず」とあるのですが、ということは、「悪いことをした奴を捕まえて罰を与えるための牢」というのは、明治になってからということなのでしょうか???

 いえ、その前からあります。下記をどうぞ。
 https://namukashi.com/temple-and-shrines-kamakura/kamakuragu/

3。「悪いことをした奴を捕まえて罰を与えるための牢」がなかった時代は、いわゆる「強い者勝ち、悪い者勝ち」の世界だったと理解してもよいのでしょうか???

 そういう可能性もあると思います。
お礼コメント
ahondarades

お礼率 96% (106/110)

ありがとうございました。

質問の仕方が悪かったかと思いますが、文字としての「牢」の起源ではなく、実態としての「牢」のにほんにおける起源が知りたかったのです。


2の質問については、政治犯や思想犯といったたぐいのものではなく、「殺人や泥棒など悪いことをした奴を捕まえて罰を与えるための牢」という趣旨で、国家の行政や司法の仕組みとして、いつごろから、「牢」が形成されたのだろうか???という疑問です。護良親王の例は質問の趣旨ではありません。
投稿日時:2020/01/13 09:51
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