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たったひとつのたからもの

「たったひとつのたからもの」という本を読みました。生後1ヶ月でダウン症と診断され、心臓疾患により、わずか1年の命と告げられた秋雪くんが、障害を背負いながらも、純粋無垢な笑顔で、周囲に笑顔と優しさを与えた秋雪君の存在にとても感動しました。それと同時に、ただなんとなく生きている自分が悔しくて、恥ずかしくて…。 今、ダウン症児の保育について勉強したいと思っています。そこでお聞きしたいことがあります。ダウン症の子どもへの保育として、こんなことをされて助かっている。こういうところが不安だ。これからダウン症児の保育をもっとよくしていくためにはこうしてほしいと言う意見を聞きたいのです。 学校で勉強しているだけでは、生身の意見を聞けません。この場をお借りして、少しでも理解を深めていければと思い、投稿させていただきました。 よろしくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.2

アメリカに37年住んでいる者です。 私なりに書かせてくださいね。 大人としての人生を殆ど迎えることの出来ない病気の子供たちへの微力ながらも自分を出せるだけ出させてもらっている一人のものとして書いてみますね。 まず、毎日を自分なりにがんばって生きているのが彼らなんです。 同情は要らない、ただ普通の人間として接してもらいたい、それだけなんです、彼らのほしいのは。 その為にも彼らに接しない限り彼らのためにしてあげる事は決して分からないでしょう。 そして、普通に接するだけで良いのです。  怪我をした友達が歩きにくかったらあなたはどうしますか、 同情しますか。 (するでしょうね) でも、手助けすることもないでしょうね。 歩測を落として歩いて話は足の傷の事ではなく普通の会話をしますね。 それで良いのですよね。 ですから、それをやれば良いのです。 同情を基にした行動はいらないのです。 友情を感じれば良いのです。 同情は自分の中に入れて置いてください。 このサイトにも時々いるようですが、人の間違いを指摘したり、批判したりするだけでえらそうな事を言う事が質問者にまた閲覧者には認められないのと同じように、平べったい同情、つまり、自分で作り上げた虚像では相手には結局「思いやり」が感じないということとなってしまうわけですね。 そして、長続きはしないでしょう。  なぜでしょうか。 それは、あくまでも、対象となる人のためへの行動ではなく、結局、自分を満足するだけのものだからなんです。 人のために自分の一部を与えると言う事の自然の行いがゆがんでいるように見えるわけです。 身体・精神障害者へのボランティアは大変難しいと私は考えます。 でも、一人でも良いから親身になって、損得を考えずに接し、話し相手になり、遊び相手になり、普通の子供へのようにお説教もしたり、一日でも彼らの24時間が普通の子供と、同じ扱いをしてあげるのではなく、同じ扱いをする、と言う事が私ができることと信じています。 また、彼らのがんばりは並大抵のことではありません。 彼らが出来るならなぜ私たちはしようとしないのでしょうか。 生きると言う事の意味を普通の人は分からないからだと思います。 仕事上目の前で一瞬にして殺されたりする経験を持ち、、また、トレーニングの一つとして一撃で「人間の命をとる」ことも教えていますので、その分だけ人の命の大切さ、また、もろさを知っているつもりです。 しかし一瞬にして死ぬ人は人生の終わりを感じませんね。  彼らは知っているのです。 また、子供としてその生活に「慣れてしまった」子供ならまだしも、すべてを知っている親御さんの気持ちは普通の人には分からないでしょう。 「苦」をより感じるのは子供ではなく親御さんなんだと言う事も忘れないでください。 今生きている子供がいつか目の前で死んでいくのです。お分かりでしょうか。 筋ジスの子供たちや親御さんを長年見てきて、また、あと一秒の余裕があれば助ける事ができた同僚の警官が銃によって殺されるのを見たり、自分を守るすべを教えていて一向に効果が上がらなかった時分の自分を知っている私には同情だけでは「一人の人間として生きている事がもったいない」と感じるのです。 これでいかがでしょうか。 分かりにくい点がありましたら、補足質問してください。   

noname#21434
質問者

お礼

同情を基にした行動はいらないのです。 友情を感じれば良いのです。 同情は自分の中に入れて置いてください。 また、彼らのがんばりは並大抵のことではありません。 彼らが出来るならなぜ私たちはしようとしないのでしょうか。 生きると言う事の意味を普通の人は分からないからだと思います。 こころに響きました。 彼らは精一杯頑張っているのですよね。 精一杯にいきているんですよね。 彼らとかかわって、教えられることはたくさんあります。 私も彼らと向き合って、恥ずかしい自分にならぬよう、努力しなければと思いました。 ありがとうございました。

その他の回答 (2)

  • overtone
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回答No.3

ダウンではありません。 「様子を診ましょう」が一番 きつかったです。 こどもの相手はできても、大人(保護者)の対応が十分にできない保育者では困るでしょう。 生身の意見は、生身の人間からしか聞けません。 (本や掲示板を否定するわけではありません。それは きっかけですから・・。) =============== 親である自分よりも 先にこどもに死なれるほど悲しいことは無いでしょうが、諸事情で 親のほうが こどもよりも後に死にたいと思うほど 悲しいことも無いでしょう・・・。

noname#21434
質問者

お礼

そうですね。掲示板で軽々しく聞けるものではないです。 保護者の方の気持ちを考えることが足りませんでした。 ほんとうに申し訳ありませんでした。 私も保育者として、前向きなかかわりができるよう努力したいと思います。ありがとうございました。

回答No.1

ダウン症についてのアドバイスではありません。 長年ボランティアに携わってきたものの一意見として聞いてください。 掲示板で聞ける事は学校で学ぶ事よりも良いかもしれません。 でも、生身の子供たちに接してもらいたいのです。 生の親御さんに接してもらいたいのです。 掲示板で親御さんや保育士さんからも様々な意見を伺えるとは思います。 ですが、掲示板では書けない事も多いですし、何よりも自分の目や耳、体で受け止める事ができません。 志は応援したいと思います。 ぜひ、身近の施設などを訪問してみてください。 施設等に心当たりが無ければ、お近くの社会福祉協議会に相談してみてください。

noname#21434
質問者

お礼

自分の目や耳、体で受け止める事が重要ですよね。 それで初めて分かるんですよね。 ボランティアをさせて いただける機会があるので、自分の目で身体で、心で感じてこようと思います。 ありがとうございました。

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