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仏教の『慈悲』をほかの言語・宗教・表現に置き換えて下さい

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回答No.1

(3)について 初期の仏教では、仏陀とは梵語で"めざめた"という過去分詞で、"真理を悟ったもの"という意味のようです。つまり、仏とは人のことであり、キリスト教のような神ではなかったようです。これがチベット、中国を経て日本に来る間に仏は絶対神聖なものとなり一神教に変貌してしまったようです。こういった歴史があるため、浄土真宗に限らず、大乗系仏教は少なからず一神教と共通性があるように思います。 ということで、初期の仏教とキリスト教の間には、違いがありますが、現在日本に伝わっている仏教とキリスト教には大きな違いはないと思います。 ということで(2)についていえば、慈悲=(神学的な意味の)love(神の慈愛)だと思います。

nicodemo
質問者

お礼

素早い回答に感謝します。 >チベット、中国を経て日本に来る間に仏は絶対神聖なものとなり一神教に>変貌してしまったようです。こういった歴史があるため、浄土真宗に >限らず、大乗系仏教は少なからず一神教と共通性があるように思います。 >ということで、初期の仏教とキリスト教の間には、違いがありますが、 >現在日本に伝わっている仏教とキリスト教には大きな違いはないと思います。 ●仰るように現在伝わっている仏教は、日本においてさまざまな発展をして独特な形になりました。、一方、現代キリスト教について考えるとき、 カトリックは日本でもカトリックであり教義は共通しているわけですが、 日本独特の感性による捉え方というものが存在する気もします。  この辺は、今度はクリスチャン寄りの視点で考えてみたいと思います。 (2)やっぱり、Love(神の慈悲)になってしまうのですね。 Loveという言葉は、英訳された聖書では共通して使われていますし、 非常に広い意味を持っているので、正確なニュアンスを伝えるのは大変でしょうね。 ありがとうございました。

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