• 締切済み

良いほめ方、良い叱り方又は教育効果について

最近、こんな本を目にしました。 「子どものほめ方・叱り方」についてです。 私は、これを読んで親に責任があるのかなって思いました。 だけど、学校では先生も生徒に対して、良いほめ方、良い叱り方をしないと、 登校拒否をしたり、授業の妨害をすると思うんです。 そこで、他の人の意見も聞きたくて書き込みしました。 学校現場でも、家庭内でもいいのですが、良いほめ方、良い叱り方は、 どんな方法があるのか聞かせてください。 また、教育効果(人間形成上の効果)というのは、どのようなものでしょうか? 漠然とした感じのことで、すいません。

みんなの回答

回答No.5

子供を褒めるにしても、叱るにしても、子供を親や教師の思い通りにコントロールしてやろうという動機からであれば、それは一人の人間として向き合っているのではないように思います。 褒めるのでもなく、叱るのでもなく、もっといい方法もあるのではないでしょうか? 【比較してみましょう】 (叱責)・どうしてそんなにグズなの! ( ? )・両手を先にシャツに通したら早く着れると思うよ。 (賞賛)・上手に料理ができたね。偉いぞ。 ( ? )・この料理、とってもおいしかったよ。 ごく一例ですが、褒めるのでもなく、叱るのでもない違う方法もありそうです。

回答No.4

僕は結婚もしていないので、あくまでこう思うとしか言えませんが、自分がして欲しくないことは子どもにもしません。正しいことは褒め、間違ったことは叱る。他人と比べてでなく、その子どもの特性を見抜き、その能力を伸ばしてあげることこそ、本当の教育だと思います。 やはり、大人が自分の人生から学びえた知恵こそが、教育として受け継がれるのだと思うのです。人間として大切なこと、集団社会でやっていいことと、悪いこと。危険なこと、危ないこと。教えることはたくさんあります。そして、教えるからこそ、そこから学ぶこともたくさんあると思うのです。 こういうのも失礼ですが、学校の教師に必要以上に期待すべきではないと思います。 学校とは、学問と集団社会の上での身の振り方などを学ぶところです。人間として育てるためには、無償の愛が必要だと思います。やはり親子関係で学ぶのが一番自然だと思います。 学校で悪いことがあったのなら、ならば、親子でその問題を乗り越えることによって、またその子も、親も成長することができると思います。 良いと思ったことは思いっきり褒める、悪いと思ったことはしっかりと叱る。それは子どもと共有する意識です。子どもが理解できるように、決して子ども扱いするのでなく、一緒にその問題を乗り越えていく、そういう関係だと、ともに成長していく教育ができると思います。

  • sophie_h
  • ベストアンサー率12% (14/109)
回答No.3

子供を育てる責任は、大抵の場合、今の日本でも、親にあると思うのです。 地域社会や学校も親の役割を果たせたら、もっと親も楽になれるでしょうが、現実には親が中心となって考えるしかないと思います。 子供を育てる上で一番大事なことは、「子どものほめ方・叱り方」にもあると思います。 世の中の親を観察していればよくわかるのですが、意味もなく子供を叱りつける親もけっこう多いですね。 小さい時から訳もわからず怒鳴りつけられていたら、子供は自分の長所をなかなか伸ばせなくなるのではないでしょうか。 日常のことなのでいらいらして、つい、やつあたりしたくなる気持はわかりますが、個々の子供の性格を判断して、『この子供にこう言ったらどう思うか、どう行動するか』を考えて、子供に対するべきだと思うのです。 子供への過大な期待を裏切られたからといって、子供を怒鳴っても叩いても子供は良くなりません。権力の前に卑屈に媚を売るような、弱いものいじめをうっぷん晴らしにやるような人間を育てるだけだと思います。 親の期待を裏切ったからといって、叱らないことです。 素振りにも出したらいけないと思います。親が不満に思っている気持が子供に伝われば、子供は叱られたのと同じ思いを抱くかもしれません。 『自分の子なんだから、これで当たり前、むしろ自分よりはましかも』と思ったほうがいいのではないでしょうか。 しかし、子供が捨てておけないような悪いこと、暴力を振るってよその子をいじめるとか、物を盗むとかしたときは、その子供を導く必要があると思います。 まずは、親はあなたの味方で、あなたのことを心配しているということを穏やかに分からせた上で、何故そういうことをしたのか、そうするとどういうことになるのかを、じゅんじゅんと分からせてあげる必要があると思います。 そして、あなたにはできるはずだよ、親も一緒になって手伝うよ、と言ってあげたらと思うのです。自分の命に換えても子供を育てるという気概は必要だと思います。 子供の少しでも伸びそうな長所を見つけたら、それとなく、しっかり誉めるといいのではないでしょうか。 具体的に誰それより優秀だとかそういう誉め方でなくて、あなたはこのことではとても素晴らしいね、普通はなかなかできないことだよ、とか言って誉めてあげたらどうでしょうか、ただし、だから努力しなさいとかは言わないことですよ。 子供に考えさせて、子供が自発的に行動を起こすようにさせることが大事だと思うのですが。 親が自分のことをよく見ていてくれると思ったら、子供はけっこう伸びるのではないでしょうか。 ほかにも、もっといろいろ言いたいことはあって、何だか言い足りませんが、とりあえず思い出すままに、こんなことも、私は経験的に、とても大切なことだったと思いました。

  • hanpty
  • ベストアンサー率13% (12/88)
回答No.2

 叱る事と褒める事の意味をよく理解した上で子供の事を思ってすれば、子供の方で親のやり方に合わせるものだ、と元子供の意見としてとりあえず。  悪い例として、「忙しい時に子供が騒ぐとつい怒ってしまう」等と言っている親の話を聞きました。そんな八つ当たりで叱ったり、何故駄目なのか理解させるのではなく駄目と言った事をしないよう服従させる事を目的としなければ大丈夫だと思います。  褒めるほうは良く分かりませんが、人と比べて褒めるばかりでは人を蹴落とさないと喜べなくなる、とかそんな話を聞きました。

  • victrian
  • ベストアンサー率16% (4/24)
回答No.1

よい褒め方、よい怒り方っていうのは、すべてにおいて一つではないと思います。なぜなら学校でもお子さんでも多くの人がいて、それぞれ個であると同じに人間だからです。ある人間には、いいとか好きなものでも、他の人には好きではない、嫌いということが十分に考えられるから、いい方法はその子にあわせた褒め方、怒り方です。そのわけ方を話します。 (1)自分から何でもやろう、まけづ嫌いの好奇心の多い子は こういう子は、周りのようすを良く見て、自分がどうしたら認められるかなど自分なりに考えています。だから、できるだけ幼いときに悪いことは、しっかり言ったり、良いことは、すごく褒めてあげることが大事だと思います。そうすれば、その後、しっかり言うことを聞いたり親を悲しませないようにするにはどうしたらいいか考えますから。 (2)自分から物事をやらない、興味関心が薄い子 こういう子は、自分が何が好きか何をやればいいのか分からない状態にいます。そのため、何が悪いのか、何が良いか判断もするのも乏しく、ただ、怒っていてもダメです。貴方ができるだけ多くのコミュニケーションや行動を観察して、その子が学校で何をしてきて、何がすきか興味があるかを見つけ、まずその一つをやらせ、小さなことからほめてあげて言ってあげて興味を膨らましていけばいいと思います。そうすることによって親への信頼が生まれ、親に対して怒られたら聞くとか怒られないようにするなどの判断が生まれてくるからです。  今回、極端な例を書きましたが、大きく分けて好奇心のある子、ない子に分かれると思います。子供もそうですが、人間だれしも怒られるのが嫌いです。なのでいいことは大きく褒める、悪いことは褒めるより弱く怒ることが大切だと思います。ですが、それ以前に信頼や尊敬していない人からの忠告や助言は子供たちは無視です。なので少しずつ信頼関係を作ってから、そのこにあう怒り方や褒め方を考えていってください

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