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この世おばわがよとぞ思う望月の 歌の解釈 

「この世おば我が世とぞ思う望月の欠けたることもなしとおもえば」 この歌はたしか学生時代(小学校か中学校で)に習いましたが、 教師に教わった解釈は 満月のようになにも欠けた所がない、栄華を極めたワタシであることよ』というような自慢っぽいものでした。 しかし、ふと思ったのですが 『月が欠けることが無ければ、この世は自分のものだと思えるのに・・・』 という意味、とれるように思うのです。 満月を見て詠んだのではなく、ほんの少し欠けはじめた月をみて詠んだのではないかと。 作者の藤原道長は源氏物語のモデルと言われている人物でしたよね。 たしか光源氏は晩年、さみいしいというか、落ちぶれていくという結末ではなかったでしょうか。 栄華のなかにあって、ふと自分で何かを予感するような、そんな歌のような気がしたんですが・・。 今の国語の解釈ではどうなっていますか?宜しく御願いします。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.4

わたしも数年前に授業でならった時の解釈は、 「栄華を極めてこの世はわたしの世である まさに満月にかけた所がないように」 でした。 おそらく、現在の学校でも同じ様な解釈を教えていると思います。 ただ、わたしが調べた範囲では、こんなことがわかりました。 1)藤原道長は、30代くらいから病気を繰り返している。 2)「望月の歌」も晩年の病気と病気ので詠まれている。 3)「望月の歌」は、娘の威子が天皇の夫人となった時に読まれていて、   同年に太政大臣を辞し、その前年に摂政を辞している。 4)「望月の歌」を詠んだ翌年には、出家している。 No3のkogotokaubeweさんの情報と以上の事を踏まえて、 質問者usiodonさんの解釈を敢えて採用するようにしてみるとこんな感じになります。 ○病気が多くてそれは道長の悩みだったようで、  病気がちの道長は晩年「糖尿病」だったそうです。  自分個人の自信は失いかけていたかも知れません。  また、「望月の歌」の前後で、役職を辞したり、出家してますから、  自分の人生の事後処理モードに入っていた=欠けはじめた月の状態にあったとも  取れます。  「望月の歌」はそんな中で読まれているので、  そんな本心の裏返し=強がりとして、酒の酔いにまかせて  「いままさに栄華の絶頂にある」と詠んだ可能性はあると思います。  それでも、出家後8年ほど生きていますので、役職は辞していても外戚政治で  まだ権勢を奮っていたかも知れません。 質問者usiodonさんの解釈には共感できる点もありましたので ちょっと余計な事まで回答してしまいました。 参考URLは、 「藤原道長の悩み」 http://www2.ttcn.ne.jp/~kazumatsu/sub202.htm です。

参考URL:
http://www2.ttcn.ne.jp/~kazumatsu/sub202.htm
usiodon
質問者

お礼

御回答いただき、ありがとうございます! 道長は病気持ちだったのですね。 参考URLを拝見しました。 当時の貴族は食生活も偏りがちで、けっこう不健康な生活を送っていたようですね。とても興味深いです。後でじっくり読みたいと思います。 道長は当時の貴族社会の中でも最有力の藤原家のトップにいた訳で、 いくら身分が物を言う時代とはいえ、トップなるには頭の良い人物じゃないと無理じゃないかと。 そんな人が読んだ歌にしては単純すぎないかな~と思っていました。 しかし皆様の御回答を読み、やはり栄華を誇るという意味の詩かなと 思えてきました。 娘が皇后になった祝いの席で読まれた歌ということは、 かなり公に近いというか、歌というのは自分のプレゼンの役目もあると思うので、そんな席で弱気な歌なんか読まないですよね。 しかし!dennou2000 様のご意見でハッと致しました。 『そんな本心の裏返し=強がりとして、酒の酔いにまかせて  「いままさに栄華の絶頂にある」と詠んだ可能性はあると思います。』 なるほど、そうかもしれませんよね! そのままの意味ではなくて、その裏にある心理を想像すると面白いですね。

その他の回答 (6)

  • orkney
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回答No.7

>その当時の人々に、「満たされちゃって、そのうえこんな自慢の歌詠んじゃったよ、ちょっと調子に乗ってるよねえ、やな感じ」ととられていたのでは 実際そうなのです。 実はこの歌の初出は歌集ではなく、「小右記(『しょうゆうき』とも『おうき』とも読みます)」という文章です。 この「小右記」、小野宮右大臣の異名を持つ藤原実資という人の日記です(当時の男性が書いたものですから、地の文は当然漢文)。 実資は道長のはとこですが、道長には批判的で、この歌に対しても、唱和を要求した道長に対し、「御歌優美なり。酬答に方なし。満座只だ此の御歌を誦すべし」と辞退しつつ、唱和を拒否しています。道長も唱和を無理強いせず、実資の言葉に従い各自詠誦するだけで善しとしたのですが、 ・実際満月の日に詠んだ歌であること ・「一家に三后」と言われる絶頂期であること ・公卿の書いた漢文の日記は「日記」というより「日誌」として公的な色彩が強く、あまり事実を曲げた記事を書けないこと などからしても、「思へば」でしょうね。

usiodon
質問者

お礼

御回答ありがとうございます! なるほど、歌集ではなく日記にでてくるのですね。 そういえば、ひらがなとういのは当時は女性のものだったのですよね。 平安時代といえばひらがなと思っていたので・・・、漢字で書かれた和歌ってどんな感じでしょう。 いろいろ勝手に想像してしまいましたが、 やっぱりみな様の仰るとおり、「思へば」ですね。 ところで、道長が光源氏のモデルというのは「ガセ」ですか!?

回答No.6

道長は源氏物語のモデルではないと思うのですが・・・。紫式部のパトロンであったのは間違いないでしょうが。

回答No.5

道長は現時のモデルではないと思うのですが・・・。紫式部のパトロンであったのは間違いないでしょうが。

usiodon
質問者

お礼

御回答ありがとうございます。 アレレ? 道長が光源氏のモデルというのは有名な話だと 思っていたのですが・・・ もしや、トリビアの泉でいうところの『ガセ』!? みなさん、ガセかどうか教えてください~。

回答No.3

 もしかして質問者さんは、最後の「思へば」を現代語と同じように「もし思ったとしたならば」と仮定条件として解釈なさっているのではないでしょうか。  この歌は古語(文語)で詠まれていますので、古典文法に従って解釈しなければなりません。古語では、「思へば」は、「思へ」(=「思ふ」の已然形)+接続助詞「ば」で、「~なので」という確定条件を表します。  ちなみに、古語では「思はば」(=「思ふ」の未然形+接続助詞「ば」)という言い方で「もし思ったならば」という仮定条件を表します。だから歌の最後が「思はば」ならば、質問者さんのおっしゃるような解釈も可能かと思います。  しかし道長の歌は「思へば」なので、歌の大意は「今、私は満月が欠けていることがないような(すべて満たされた)状態にいる『ので』、この世を私のための世だと思う。」ということになります。  また、この歌は道長の三女威子が後一条天皇の皇后になったことを祝う宴の夜に詠んだものだということです。長女・次女に続いて三女も皇后(中宮)になった(天皇はそれぞれ別の人です)という得意の絶頂にある気持ちを宴の酒の酔いに任せて詠んだようです。  まあ、上り詰めたら後は下るしかない訳で、藤原氏の栄華はこの道長が頂点で、やがて貴族の凋落・武士の台頭と世の中は動いていくわけですが、それは後の世に昔を振り返っての話で、この夜の道長は得意満面で、没落の予感はまったくなかったと思います。 

参考URL:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E9%81%93%E9%95%B7
usiodon
質問者

お礼

御回答いただき、ありがとうございます。 本当に古典苦手人間の私などの質問に、こんなにたくさんの御回答いただいて、感激です。 なるほど、已然形、習ったような・・。 古典の知識の無さがよくわかりますね・・・お恥ずかしいです。 苦しい反論をするならば、 当時、和歌集に編纂する場合、本人が必ず立ち会うわけではないのではないかと。その当時の人々に、「満たされちゃって、そのうえこんな自慢の歌詠んじゃったよ、ちょっと調子に乗ってるよねえ、やな感じ」ととられていたのでは。 編纂する人が、道長が「思はば」と詠んだところをを「思へば」にしちゃったのかも・・・。わざとか、つい思いこみでか書き間違えた、とは考えられませんか。かなり苦しいですが。

  • a375
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回答No.2

usiodon 様の解釈大変ユニークで面白い解釈だ思います。重ねて申し上げますとusiodon 様の解釈の方が哥が複雑で深みがあります。仰せのとうり原文は単純ですよね。ただこの哥の解釈は治定されていますのでこの解釈の変更難しいことです。しかし万葉集の有馬皇子の「家にあればけ笥に盛るいい飯を草枕旅にしあればしい椎の葉に盛る (家にいたならば、茶碗に盛るご飯であるが、旅の途中であるので、椎の葉に盛る)が治定されていましたが某銀座の女性が此れに違う解釈ー此れは自分が食べるという事でなくでなく深い信仰の対象の仏様に盛って差し上げるのにこんな粗末椎葉で悲しいことだ。囚われの身でなければ…)との異論が出されかなり有力な支持も得ているようで、usiodon 様の解釈はどんな評価がでるのか楽しみでね。お答えにならずすみません。

usiodon
質問者

お礼

御回答いただきありがとうございます。 古典は学生時代すごく苦手科目というか、下ナントカ活用が憶えられず 大変でした。 万葉集の歌のことなど教えていただきありがとうございます。覆ったらとても面白いですね。

回答No.1

「この世をば我が世とぞ思ふ 望月のかけたることのなしと思へば」ですね。 この歌について、仏教的な無常観を感じられる質問者のセンスは素晴らしいと思います。また、この歌が詠まれたのは、寛仁二年十月十六日だそうですから、まさにかけ始めた月であったようにも思われます。ちょっと目からウロコでした。 ただし、同時代の人がすでに通説どおりに受け取ったようなので、鼻持ちならない自慢げな歌だという解釈はゆるがないようにも思います。 ところで、藤原道長は源氏物語のモデルと言われてはいません。

usiodon
質問者

お礼

御回答ありがとうございます。 歌が誤字だらけでしたね。すみませんでした。 道長が光源氏のモデルというのはどこかで聞いたことがあります。 検索してみました。↓↓↓ http://nekonami-jpclassic.seesaa.net/article/2987566.html

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