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音楽心理学とは? 心理的効果音の作り方や効果について
- 音楽心理学とは、音楽や音の心理的な効果や作用について研究する学問です。
- 特定の音楽や効果音が感情や感覚を引き起こす理由やメカニズムについて解明しています。
- 放送や映画などの映像表現に音を付け加えることで、さまざまな感情や雰囲気を演出することができます。
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こんにちは。 #1です。回答をお読み頂きありがとうございます。 (この回答はたいへん長いので、暇なときにお読み下さい)。 >url拝見しました。ただ、ちょっとしんどくて。 そうですよね。あんな代物を参考にしろなど、気安く書いてしまい、たいへん申し訳ないことです。 実は、私も以前、質問者さんと同じ疑問を持って色々調べたことがあるんです。そのときに見付けたのがこのHPでした。内容的には、音が人間の感覚にどのように作用するのかということに就いて理論的に書かれていることは間違いありません。ですけど、相当にうっとうしいですよね。 >どこの見出しをみれば一番手っ取り早いでしょう。 手っ取り早い方法があれば、私も教えて欲しいです(涙、うぇ~ん)。 それと残念ながら、今回追加で頂いたご質問に就いては、特に該当するものは書かれていなかったと思います。 >なんでデミニッシュが「不安」でテンションが「粋」で、ホールトーンが次元を跳躍するような感情を超えた世界なのか なるほどですね! たいへん興味深い解釈だと思います。 この辺りまで来ますと、ジャズ理論に踏み込まなければなりませんから、更に高度な音楽の知識が必要になると思います。とはいえ、私にはとてもそこまでの知識がありませんし、また、「粋」とか「次元超越」といった感覚が、決して万人に共通するものであり、尚且つ論理的に証明できるというわけではありませんから、間違っても学問的事実を述べるまでには遠く至りません。ですから、ここは質問者さんと同じ疑問を持つ者からのアドバイスといった程度で受け取って頂けたらあり難く思います。 それと、質問者さんが音楽に関してどの程度の知識を持っておられるのか私には分りませんので、必要と思われる説明は付加しますが、そこに間違いや失礼がありましたら平にご容赦下さい。 まず、メジャー、ディミニッシュ、テンション、ホールトーン、この四つにその特徴を示すインターヴァルの周波数比から得られるであろうそれぞれの感覚を宛がうならば、このようなものになるのではないかと思います。 メジャー:安心感 ディミニッシュ:不安感 テンション:緊張感 ホールトーン:意味不明 先の回答で申し上げました通り、インターヴァル、即ちふたつの音による音程の周波数比が単純であるならば人間は安心感を覚え、複雑になると不安を感じます。そして、更に複雑になりますと緊張感を感じます。 ただ、ここで単に緊張感と言ってしまいますと、やや誤解を招きますよね。誰もジャズを聴いて警戒心を抱くひとはいませんものね。あとで纏めますが、取り敢えず、緊張感というのはひとの心に与える「刺激」ぐらいに考えておいて下さい。 メジャー・コードは長3度というインターバルを持っており、その周波数比は数値的に単純ですが、マイナー・コードのインターヴァルは短3度とやや複雑になります。ディミニッシュは全てのインターヴァルが短3度であり、マイナーと非常に良く似た感覚、あるいはそれ以上のものが得られます。そしてテンションは、7度、9度、11度などのインターヴァルが意図的に演奏されるもので、その周波数比はたいへん複雑なものになります。ということですから、それぞれのインターヴァルが持つ周波数比の複雑さが、それによって得られる人間の感覚と比例しているのが分ると思います。 では、ホールトーンの「意味不明」とはいったい何なのでしょうか。ホールトーンというのは、次元を超越しなければいけないんですよね。 昔、テレビ放映されたアニメ番組「鉄腕アトム」の主題歌のイントロにホールトーン・スケールが使われていました。劇場アニメ「となりのトトロ」のサブ・テーマ「歩こう」のエンディングにも何気に使われていたような記憶があります(アニメ・ソングばかりで済みません)。 質問者さんがお若い方ならばご存知ないかも知れませんが、「鉄腕アトム」のあのイントロは、昭和30年代の子供たちに21世紀の未来を忽然とイメージさせました。それを考えますと、ホールトーンというのは正に次元を超越したサウンドであると言うことができるかも知れませんね。 このように、ホールトーンが人間の心にもたらす感情とは、私は「不思議感覚」ではないかと思います。何が不思議かと言いますと、ホールトーンというのはメジャーやマイナーとは違い、それを聴くひとがどちらの方向に感情を動かしたら良いのかをきちんと明示してくれなからです。 ホールトーンというのは和音ではなく、全てが長2度という等間隔で配列された音階です。これで和音を作りますと、ディミニッシュとは逆に、全てが長3度のインターバルを持つオギュメントになります。長3度のインターヴァルそのものはたいへん安定したものなのですが、増5度が入りますので、全部鳴らすとかなりの不協和音になります。つまり、ホールトーンというのは安定と不安定を併せ持っていることになりますよね。 何よりも、ホールトーンは全てが等間隔に並べられたスケールですから、その音のどれでもが主音になり得ます。これがどういうことかと言いますと、何処から弾いても、何処で終ってもみんな同じで、何の抑揚もなければ、はっきりとした終了感も得られないということになんです。つまり、ホールトーンというのは、聴くひとに明確なイメージというものを与えてくれないんです。逆に言えば、調性に捕らわれない自由なサウンドということになるのかも知れませんが、捕らえ所のないというのが、ホールトーンの不思議感覚なのではないかと私は思います。 さて、ここいら辺りまでは、人間が動物として持っている「本能」の領域であると言って良いのではないかと思います。 突然、いきなり本能ですが、つまり、インターヴァルの周波数比や音質の倍音構成の複雑さなどが感情の動きに作用するというのであるならば、それは単に人間の本能的な反応でしかないということです。どうしてそう言い切れるのかと言いますと、メジャーやマイナーには周波数という構造上の違いがありますが、我々がそれに対して「楽しい」「悲しい」などという感情を抱くことに関して、一切の理性的な判断が下されていないからです。ですから、メジャーやマイナー、ホールトーンなどのサウンドであるならば、人間は無理に大脳の助けを借りなくても、それを受け入れることができるということになります。 もちろん、音楽鑑賞というのは人間の知的行動です。ですが、元々音楽なんていうのは音に対する人間の本能的な反応を理論的に応用したものですよね。動物の音に対する反応とは、その多くが予め遺伝子に組み込まれているものです。それが無かったならば、人間の社会に音楽などという文化が生まれてくるわけがありません。 そして、ここでこのような線を敷きますと、テンションというのは、その構造上、他の3つとは少々異なる特殊な事情を持っていることになります。 先ほど、「テンションの緊張感とは刺激である」と申し上げました。テンションというのはコードそのものの性質ではありません。基本的には、元のコードを損ねずにその効果を高める目的で使われます。ですから、元のコードがメジャーであればその機能を、マイナーであるならばその効果を強調します。つまり、テンションとは緊張感を高め、刺激をより強くするための手続であるわけです。 音楽のもたらす高揚感というのは、音の時間的変化によって産み出されるものです。従って、演奏は順を追ってその緊張感を高めてゆくのが押し並べて常識的な手法ということになります。そして、最も緊張の高まったところで弛緩させ、解決します。つまり、一気に安定感のある領域へ引き戻すことによって、曲の「終了感」というものが産み出されるわけです。 山と谷によって抑揚を作り出すのですから、盛り上がるにしても、終了するにしても、落差の大きい方が効果がありますよね。テンションというのは、その緊張感を上乗せする演奏技術です。ですから、それによって、ひとの心により強く訴え掛けることができるようになります。 では、テンションというのはどうして「粋」なんでしょうか。 今年も家の近くにカッコーがやって来ました。今度はいきなりカッコーです。 このカッコー、自分の縄張りで「カッコー、カッコー」と鳴いているのですが、突然「ギャッ! ギャッ! ギャッ!」と言って飛び立ってゆきます。私にはカッコーの言葉を理解することはできませんが、これが危険を察知した「アラーム・コール」であることは疑いもありません。ならば、先ほどまでの「カッコー、カッコー」は、メスを呼ぶための「求愛コール」ということになります。そして、そのどちらの周波数構成が複雑であるのかは一目瞭然と言いますか、一耳瞭然ですよね。 人間の耳にとって、インターヴァルの周波数比は単純である方が好ましいというのは、音楽心理学なるものが生まれる前からも広く受け入れられていた事実です。そして、音の周波数に対する判断の基準が他の動物にも共通であるということは、それが遺伝子に司られた本能の領域であることの証です。 ですが、テンションというのはその周波数比を敢えて複雑にしようとするものです。そして人間の脳は、それを好奇心や刺激として受け入れようとします。音の周波数に対する本能の反応は遺伝子によって定められているものですから、それは絶対に変更することはできません。ですから、本能にとって受け入れ難いものを受け入れようとするならば、それにはどうしても大脳の助けが必要になります。つまり、本能の反応というのは決して変更することができないのですから、大脳の方が「好奇心や刺激の傍受」といった人間の複雑な欲求を判断の基準として、その結果をプラスの方向に引き上げているということになります。 単に最初は、音と本能の対話にしか過ぎなかったものを、現在のような音楽に作り変えてしまったのが人間の「知的好奇心」であることは間違いありません。音楽はより複雑に進化し、人間は大脳を使ってそれを楽しむようになりました。従ってここで、「より大脳を刺激する音楽がより知的な音楽である」という極めて単純な構図が成立します。そしてテンションというのは、人間の好奇心や注意力をバシバシと狙い撃ちすようなものです。従って、そのような演奏が多用されるモダン・ジャズなどは、正にインテリジェンスで高度な音楽ということになります。 但しここで、その「知的」という点に幾つかの問題が発生します。 ひとつは、音楽の「複雑さ」というのは、決して周波数のみで決まるものではなく、飽くまでもその情報量で決まるということです。如何にテンションの効いたモダン・ジャズであったとしても、相手がクラッシクの交響曲一曲であるならば、それに携わる大脳の仕事量はどうやっても比べ物なりませんよね。ならば、情報量が多ければ知的なのかということになりますが、そんなこともありません。それではインテリジェンスというよりは、単に大脳を疲れさせるだけにしかなりませんよね。 このように、何が知的かと言われても、そこには明確な基準というものがありません。そして基準と言うならば、それにはどうしても個人の価値観というものが作用することになります。 メジャーやマイナーのように、それが本能的な反応であるならば、そこに個人の価値観が介入する余地は全くありません。ですが、音楽の知的解釈には明らかに大脳の働きが関わっています。ならば、そこから個人的価値観というものを排除してしまうことはどうしてもできないということになります。 先ほど私は、何故テンションを「粋」と感じるのかに就いて、「それが知的であるから」と結論付けました。ですが、それを「粋」と感じること事態に、個人の好みや、その時代に暮す我々の文化的価値観による擦り込みがあることを否定する手段がありません。それは、テンションを受け入れているのが他ならぬ大脳であるからです。テンションを粋と感じるよりも、「演歌」や「どどいつ」を粋と感じるひとは、恐らくこの国にもたくさんいることだろうと思います。そして、それに就いて決着を付けることは、私にはちょっとできません。悪しからず。 長くなってたいへん申し訳ありません。刳り返し申し上げますが、以上の説明は私の個人的な意見であり、決して一般的に取り扱われているものではありません。認識や論証の欠落による瑕疵があることは十分に配慮の上、できましたら、何かの参考にして頂ければあり難く思います。
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- ruehas
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こんにちは。 >音楽心理学って言葉は聞いたことがあるのですが、それはどういう学問なのでしょう。 URLを参考にして下さい。 http://www.design.kyushu-u.ac.jp/~ynhome/JPN/Auditory/Book/Onshin/onshin1/onshintitle.html >これは音楽の分野なのか心理学の分野なのか、私にはわかりませんでした。 心理学というよりは、音楽理論・楽典の方には入ると思います。 >そもそもなぜ、どういう音が、特定の感覚感情を呼び起こす事ができるのか、どういうメカニズムが働いているのか、そういう解説ってどこかにあるでしょうか。 URLに様々な事例が専門的に解説されています。でも、読むのしんどいですよね。 音楽がひとの心を動かすメカニズムは極めて単純なものです。 音楽とは「高揚感をもたらす奏音」と定義することができます。 「奏音」とは、演奏された音、つまり、自然界の音ではなく、上記の目的で人間の意思によってコントロールされた音という意味です。 目的とは「高揚感」をもたらすことです。高揚感とはひとの心の動きであり、楽しい曲を聴いて盛り上がるのも、悲しい曲を聴いて盛り下がるのも、共に心の動きです。 美しい音には心が和みます。様々な音がありますが、周波数構成の単純なものは澄んだ音に聞こえ、複雑なものはふくよかな音に聞こえます。フルートの音は澄んでいますし、バイオリンの音はふくよかです。周波数が更に複雑になると、ひとは緊張感を感じます。そして、どんどん複雑になると、終いには耳障りな雑音になってしまいます。このような周波数の混ぜ合わせによってひとの感じ方が変わります。 また、音楽ですから、高揚感とは音の時間的変化によって産み出されます。 小さな音から大きな音へ。 低い音から高い音へ。 単純な和音から複雑な和音へ。 ゆっくりしたリズムから速いリズムへ。 このような音の変化の組み合わせがひとの心を興奮させます。また、逆に使えば安定させることができます。 メジャーな曲というのは、和音を作っている音の周波数比が単純ですので、明るい感じ、安定感、安心感を与えます。それに対して、マイナーな曲を構成する和音はやや複雑になります。この不安感が悲しみを表現します。更に複雑になると緊張感が増してきます。 ジャズなどではテンション・コードと言い、わざと複雑な和音が多用されます。大変スリリングなサウンドになりますが、人間の脳は、適度な緊張感を味わい、興奮したり、高揚感を高めたりすることができます。ジャズが知的な音楽だと言われるのは、このようなことですね。 このような、人間の脳の音に対するの感じ方は人類ほぼ共通です。ですから、作曲家や演奏家は、この約束事を使うことによって、聴くひとに自分の意思を伝えることができるわけです。というわけで、このようなことを研究する音楽心理学とは、良い音楽、良い演奏とはどういうものかということを追求する学問ということになります。
補足
url拝見しました。ただ、ちょっとしんどくて。 どこの見出しをみれば一番手っ取り早いでしょう。 もちろん全編読まなければ十分理解できないでしょうが。 ただ、音の物理的基礎知識は持っています。で、なんでデミニッシュが「不安」でテンションが「粋」で、ホールトーンが次元を跳躍するような感情を超えた世界なのか、知りたいんですが。無理な注文してますよね。
お礼
ありがとうございます。 今度時間があるときゆっくりお礼したいです。 が、今感じることです。 やっぱりあのurlはちょっと違いますよね。 せっかくご紹介していただいたのですが。 ご回答の内容、たいへん納得します。 特にホールトーン私が漠然と思ったことを解説してくださっていました。 しかし、なぜ本能がそう感じるのか、尋ねる意味がなくなってしまいますよね。「本能」なら仕方ないと。 それから、「短調」のサンバは熱帯の熱気を伴った、ややヒートアップがどろどろした方に傾いたやつですね。ふと思いました。 また補足でコメントします。
補足
要は「感情を科学する」というような趣旨にあこがれるのです。そして、BGMの世界というのは、これほどに普遍的な地位を保っているのだから、理論的な裏づけがあるのではと思いました。 で、昨日コメントを書いた後、ふと思いついたのですが、こりゃ視覚印象の問題と一緒なんじゃないかと。光の周波数と色の見え方という点だけなんですが、その色によって喚起される印象と、音の振動比でもって喚起される印象(音学和声は相対的存在という点で違いますが)が、似た議論になるのではと。つきつめればそれが「本能」といえないものかと。音楽を論じるのに、この2つの音の関係で想起される感覚を論じれば、どんな音楽がもつ印象というものも、規定できる気がします。 短三度は暗くさびしい=スペクトルの真ん中変は黄色 完全五度は安定感=スペクトルの端は紫 ということと大差ないのではないかと。 サティの「犬のための」とかいう作品は、こういう考えがよぎったのではないかと思えます。犬に快いとは?どういう音楽だろうか。 でももしかすると周波数比率によって、数学的な感情表というのに移すことが出来るのではと妄想します。 テンションについて、非常になっとくさせられました。そういうことだと、思うのが一番いい気がします。 しかし、テンションノートが伝統音楽トーン?とかなり袂を分けている世界だというのは、う~ん、どうなんでしょうか。ちょっと不連続がきつすぎませんか。そういうことなのかもしれないですが。 しかし、テンションのない曲を聴く苦痛は、文化的なにおいがします。