• 締切済み

なんで皆そんなに熱く生きられるの?

いま21大学生です。 高校の時から感じていましたが、どうして皆夢とか目標があるのか理解できません。 自分は性格的には明るい方の人間で誰とでも楽しく話しをできるのですが、夢の話題になったり、自分のこれからみたいな話になった時だけは違和感を感じざるを得ません。 僕には夢も目標もありません。俳優だとか、ボクサーだとか、一流企業だとか、なぜそうも熱く一途に目指せるのかわからないのです。 この年になると親戚や友人の家に訪問したときなどに父母の方々から「何をしてらっしゃる方?」とか「夢は何ですか?」、バイトの面接では「将来何になるおつもりですか?」などと聞かれます。そんな質問、困ってしまうのです。僕は最近まで正直に「夢はありません。」とか「将来は普通の暮らしができれば業種にはこだわりません」などと答えていました。でも怪訝な顔をされるので現在ははぐらかしています。 夢のない若者なんておかしい 人に出会うたびそんなことを思われている気がします。初対面の人に「夢が無い」ことを伝えるときまって皆さんガッカリとした表情になられるのです。「なんだつまんない」みたいな・・。 そんなこといったって、と思うのですがなんで皆そんなに熱く生きられるんですか?どこで目標を見つけられたんですか?

みんなの回答

  • toshipee
  • ベストアンサー率10% (725/7148)
回答No.14

 見ておられるでしょうか。再び書かせて頂きます。  年齢上、経験上、知人の葬儀に参列することが多くなりました。葬儀ってその人を通じて自分の存在位置を考えさせられるモノだと思うようになりました。びっくりするくらい多くの参列者が来たところから、ふしぎなくらいに寂しい葬儀までいろいろです。参列者が多いからすばらしい人とは限りませんが、自分が死んだ時、どれくらいの人がどう思って参列するんだろうと。私は、寂しい葬儀の時、その方が今の仕事を導いてくれた方だったので、寂しい葬儀で哀しいと言うより、悔しい気持ちになったことを覚えています。  私の高校の友人が数年前、新婚旅行中エジプトでテロ惨殺された時に、「遠いから行けないけど、参列したくて」大泣きしたことがあります。彼は本当に私の友人だったんだと再確認しました。ただの「知り合い」なら、あぁかわいそうにで終わっていたかも知れません。  妻や子供には、私が先に死ぬ予定ですが、笑ってありがとうを言ってから死にたいと考えています。順番が狂ってしまえば、絶対にそう言われたい。  なのに私の父は、既に亡き母の実家側の墓に「母も言っていたが、あそこはもう参らなくてもいい」と言います。ですが行きます。子供を連れて。私も父にそうされましたし、私が参られる側ならイヤなんです。死してそして無き者にされるのは。  熱く生きたいと考えます。でないと、周りに私を刻ませられない。身は滅んでも記憶は残ります。忘れられる方が私は怖いです。故に私はその時に「この人はこんな人生を送って、こんな父だったんだ」と我が子に語ってもらえるような人になりたいと思っています。

  • freeway55
  • ベストアンサー率34% (67/193)
回答No.13

夢も目標も無く生きているということですが、特に不思議とも思いません。 現代の日本は、夢や目標が持ちにくい社会だからです。 裏を返せば、日本が平和で豊かということですよね。 つまり、困っていることが無いから、求めるものが無いわけですから。 いつか、したいことができたら、そこから一生懸命に考え、行動すればよいと思うのです。 人によって、何が幸せかは意見の分かれるところですが、一生懸命に打ち込めるものを見つけられた人は幸せです。毎日が楽しいからです。

noname#30427
noname#30427
回答No.12

もう30代の大人ですが、今まで親戚などからそんな質問を受けたことありませんよ(苦笑)。やはり周りに熱い人が多かったのではないかと。 でも「普通の暮らしをしていく」ってことが一番簡単そうで一番難しいもんです。 私は小さい頃から漠然とした夢は色々とありましたが、一案強く願っていたのは「暖かい家庭を作りたい」ということでした。ごく平凡でいいので、旦那さんがいて、休日に家族でどこかに出かけて、子供は二人、小学生くらいになったら共働きをしながら小さなマイホーム購入を検討…なんて。 でもそれを行うことがどんなに難しいことか、今身をもって体験しています。 無事に結婚できないかもしれない、子供に恵まれないかも、リストラ、離婚、借金・・・・いろんな問題が出てくる可能性があります。 このご時世で「普通の暮らしを普通にしていく」って物凄い難しいと思います。夢としては一番叶えやすそうで難しい夢だと思います。 私も一番の夢は「ごくごく普通の生活をする」ことです。ちゃんとご飯を食べ、ちゃんと睡眠をとり、今日のように暖かい晴れた日は家族の洗濯物をバーンと干して、GWは何しようかな?と考えながらお茶を飲む…そんな簡単なことさえ出来ない私です。 他の人に語る「夢」は、それを実現させるための手段でしかありません。職種にこだわらないと言えるほど自分が器用ではないし、色んな制限もあるので…。 他の人に「つまんない」ような顔をされたら、普通に暮らすことがどんなに大変なことか伝えてみてはどうでしょうか。普通に暮らすことが当たり前に感じてる人にはその大事さが分からないかもしれませんが。

  • wa-wa-i
  • ベストアンサー率21% (7/33)
回答No.11

19歳 大学生です。 同じような疑問を高校生のころから持ってました。 小さなころから、いろんなものに興味を示さなかったせいか、昔から全く夢がありませんでした。 大学に入る時も普通科がないものか、と悩みました(笑) 今も夢はありませんが、勉強するためにむりやり方向性を作っている感じです。 私も周りには恵まれているのか、暑い人が多くあせらされる毎日です。 自分はこのままでいいのか?とよく考えます。 でも今はこのままでいいと思うんです。考えることってとっても大事じゃないですか? 私には質問者さんが熱く考えているように見えますよ^^ 今は目の前にあることをこなすだけですが、熱くこなしてみることだってできます。 将来だけじゃなくて目先のことに熱くなってみたら何か変わるかもしれませんよ。 一緒にがんばりましょう^^

  • toshipee
  • ベストアンサー率10% (725/7148)
回答No.10

 「夢」ってのは、夢と言っているうちは夢です。夢を「現実」に変えるには「事実」がいる、と生徒によく言います。事実とはその夢に対して自分が自分の責任で可能と判断し努力したことです。それにはまず実力的・金銭的・経験的に可能かどうか、(1)まず調べる(2)いけそうならしなければならないことを調べ、準備してみる(3)少しやってみていけそうなら突き進む、ってのが手順ですかね。例えば、絵の方向に行きたければ、小さい頃から上手くて、デッサンを習いに行ってもついていけて、親などの金銭的援助も可能である。ここまで現実を見ないとムリですよね。音楽の方向なら、高校生あたりで初めて楽器を触る程度の経験じゃ、余程の努力がないとムリじゃないですか?初めてギターにふれて感動して、と言っても小さい頃にエレクトーンやピアノ、バイオリンの下地があれば可能でしょうし、なければ、可能性はかなりの確率で低くなる。ここが実力的「現実」でしょうね。  「将来はふつうの暮らしをされて…」と言うことですが、ふつうの暮らしをする下地というか、方向性は出ていますでしょうか。業種はなんでもとおっしゃるのなら、汎用性に長けた能力をお持ちなのでしょうか。自分が内向的なら事務職が向いているとか外向的なら営業職とか言う考え方もあります。まず自分がどんな人間か、自分に責任を持って決めて頂かないと、今のままでは、「自分では自分がわからないから決まった会社の配属は向かなければ会社のせいにするぞ」といいたいような感じがします。

回答No.9

世の中には熱くない人も沢山居ますよ。 「やりたい」と言って口だけの人もいます。 逆にご友人に恵まれたのではないかと思いますよ^^ 友人の親にそんな質問をされた事もないです。 しっかりした家庭に育ってるのですね^^ 夢がないことに疑問をもてる、それだけで「熱い」と私は思います。 やりたいことを探しているのが今なんじゃないでしょうか? 頑張って下さい^^

回答No.8

こんにちは>jam_anju さん 結局は「カッコ良く生きたい!」「高収入を得たい!」「好きなことでメシを食いたい!」「いい生活をしたい!」というさまざまな欲が、夢や目標に駆り立てているんですよね。 自分のがんばり効果で達成感や充実感、遣り甲斐と繋がると思います。 でも、何事もなく、穏やかにつつましく平凡に暮らすというのもひとつの夢であり目標なんですよね。 ただ、夢はデカイほど人の心を打つし、やる気が漲って見えますから、企業側としてはいいように他人には映るのは確かで、期待してる所もあります。 やる気満々な人と、淡々と一見やる気なさそうな人とでは、一瞬を判断する面接などでは不利なことは確かですね。 でも業種によっては、そういう慎重で穏やかな人材を求めるところもあります。 私は運命だけでなく、自分から飛び込んで激動の人生を歩んでましたが、結婚して終止符を打ち、今の穏やかな日常に幸せを噛み締めています。 でもそれも夫の収入で賄われてるワケですから、生活の糧は本当に大切ですよね。 ですから人を蹴落としてでも出世をするという欲までいかなくても、ソレ相当の生活を維持できる賃金を得る為に、奮起するとか気持ちを演技したり誇張する場面も必要かと。。。 賢く人生を社会を乗り切ってこそ、平凡で穏やかな日々が保障されるような気もします。 社会についていけなくて、農業を始めたり、自身で事業やお店を始めたりという方もいらっしゃいます。 自分の人生なのだから、人と比較してどうこう思う前に自身を考えていくべきかと思います。

  • frau
  • ベストアンサー率28% (56/199)
回答No.7

今年も桜の咲く時期を迎えました。 もともと大きなビジョンを持って試験を受けた人や、とりあえず大学に入ってからやりたいことを決める、という新学生の入学の時期ですね。 ただその進学率と本人の希望がどの程度比例しているのかというのは興味もあり、また、疑問もあります。 進学率がほぼ90%以上である教育界の現状を知るとき、学問所を目的に上手く活用できているのかと思うと、それは疑問です。たとえば早く社会に出たい若者もいるのだとしたら、早く手に職などをつけて働きたければそうした方が今の時代確実に生きる糧になる。 高等教育をつけさせるという風潮ってなかなか変らないのが現状なのでしょうか。それが普通なこととしたり、また疑問を抱いてもとりあえず進学するというのであれば、確かに大学に入って目的や夢を探すのも仕方ないことでしょう。 また職業やそれに関する情報の多様化、流行廃りの速さ、生きる意義を考えにくい複雑な世の中などのせいでしょうか。 だから「今の若者は・・・」という気はありません。あなたの年代から見ると一代分年上なのですが、まだ老婆心と呼びたくないのでね(笑)。 今の若者は「自分探し」をしているだけ、という意見を聞いたことがありますが、本来人生とは「ゆりかごから墓場まで」、自分探しの旅です。目的がなければ、道を歩き続ければいい。「旅」と「旅行」とは違います。当てのない旅もあっていいじゃないですか。 悪いのは歩き出さないこと。懐疑しないこと。探さないこと。 私事ですが、私は小学生のときに明確な夢を持ちました(お金持ちになるとか、スターになるとかのどちらかとうと不可能に近い夢ではないですよ。職業的に)。でも色々、ほんとーに色々あって紆余曲折を経てこの歳になってまた夢を追うことを決めました。 さて、これは「熱い」のでしょうか? 自分の中では瞬間的に燃え尽きるたものではなく、ずっと微熱状態だったわけですが、その期間があったからこそそれが本当に好きなんだとわかりました。 でもこれも自然なこと。無理やり持った夢だったらこれほど「微熱」はもてません。 だからあなたも周囲の言葉に惑わされず、本当にやりたいことを見つけて欲しいと思います。 でも一度見つけたら途中で諦めてはいけません。諦めたらそれはニセモノの夢です。本当に好きなことは叶うとか叶わないとか関係ないですよ。「好き」ではなく「夢中」という状態なんです。過程も結果もすべて受け止められるんです。 そういうことを色々なことを体験する中から見つけて欲しいですね。 あなたはまだまだ若い。本当に羨ましいですよ。あと10年若かったら私も色々やり直せるなーなんて(笑)。言っても仕方ないことですが、ただ夢を見る時間というのは、皆平等に持たされているものだと思います。 たとえば今私は社会人学生なのですが、95歳という最高年齢で学士の資格を取って卒業したおじいちゃんがいます。その間ご病気をされながら、大学側の支援もあって無事に卒業しました。本人のやる気さえあればなんとでもなるものです。「青春」とは特定の年代や時代ではなく、自分の中にどれだけ燃焼させられるものを灰にできるか、なんて「熱い想い」を抱いているのですが、拾い世の中、そこらへんの若者には負けない、元気なお年寄りもいます。身体は老いても心は若い! 「>持ってて当然、持ってなきゃつまんない人、といったような風に思われることに戸惑うのです」 うん、私もそれはおかしいと思います。夢がないからと夢を求めることを進める人は「熱い」ではなく「暑っ苦しい人」ですよね(笑)。 夢があることも人としての自然なこと、ないのもこれもまた自然なことであると思います。 そういうときは相手に「あなたはあなたの夢を叶えたのですか?」と返してみればよいと思います(笑)。 人に言われて不本意にやリ続けることは長続きしません。妥協しても違和感があるし第一苦しい。人はなかなか現状に対し否定することが苦手ですからウソにウソを塗り重ねる。この際大義名分はいらないのです。「~のため」とか。 他人や偽りの自分を口実にして生きれば、失敗したときに必ず人のせいにできます。でも自分で選び取った人生なら自分が悪いということになる。もっと頑張れるし良い意味で「区切り」もつくかもしれない(あえて「諦め」とは言わない)。 本当に苦しむのならば、本当にやりたいことのためにやる。そのために私はどれだけのことを犠牲にしたか分かりません。逆にそのために他人に貢献もしてきました。 その果てにやっとわかったこと。夢だけは自分を裏切らないと。それがより力強く自分の中に根付いるのならばなおさらです。 そんな意味でその若さの中に夢や希望という「根」を深く下ろして欲しいと思います。やっぱり老婆心かな、これ。ただのひとり言なのですがまた「熱く」語ってしまいました(笑)。長文失礼。

  • -izayoi-
  • ベストアンサー率45% (48/105)
回答No.6

大学生とのことですが、専攻はどうやって決めたのですか? 自分の意思や希望は全く何も無くて、親御さんとか、自分以外の誰かに決めてもらいましたか? もしそうでないなら、これまでの人生の中で、あなた自身が何らかの好みや希望を持って、進む道を選んで来たのではないのでしょうか? 将来の夢や目標というものが、ハッキリとした形でみえていなくても、ぼんやりとした希望(方向性)みたいなものはあるんじゃないでしょうか? 「普通の暮らしができれば・・」というのも、目標(希望)の1つだと思います。 ただ、「業種にはこだわらない」と言いますが、本当にそうなのでしょうか? 例えば、3日おきに世界中を転々と移動し続ける仕事でも良いのでしょうか?(それが悪いという例えではないので、念のため。そういう職にこそ、就きたいと考える人もいるでしょうしね。) あなたが思い描く「普通の暮らし」には、最低限の条件がある筈です。何をもって「普通」と考えているのか? その条件に当てはまる職種なり、勤務地なり・・ が、あなたの希望なのです。 あなたの周りの人は皆、熱く夢を語るのでしょうか? ハッキリした夢を抱いて、それに向かって努力することは、もちろん素晴しいことだと思います。しかし、あなたの様に、ハッキリとした形がみえていない人が、他にもたくさんいるように思いますし、私はそれが取り立てて悪いこととは思いません。 でも、あなた自身が「自分には何も無い」と決めつけるのは、早計だと思います。 これから何か見つかるかも知れませんし、新しいものが出てこなくても、今現在、あなたにも何らかの“目標(希望)”がある筈です。前述したような観点でよく考えれば、何かある筈です。 そういう風に考えたことが無いだけだと思いますよ。一度よく考えて、おぼろげな“目標(希望)”を形(言葉)にしてみては如何ですか? そして、将来の希望を聞かれた時は、それを答えれば良いのです。 ちなみに、「どこで目標を見つけた?」なんて他人に問うてみても、あまり意味が無いと思いますよ。それは人それぞれですし、「ここで見つけた」なんてハッキリ答えられる人は少ないと思いますから。 仮に答えられる人がいて、その真似をしようとしても、自分が心底熱くなれるかというと・・ たぶん、そうなれないだろうと、あなた自身感じているんじゃないですか?

  • bantoh
  • ベストアンサー率50% (98/194)
回答No.5

 「将来の夢」は小中学生ならともかく,大学生ともなれば現実的な「目標」であるべきですが,夢や目標がない,ということは,向上心に欠けるということと通じています。  就職の場面では,夢はともかく,目標を持たない人は,向上心がないと見なされ,落とされる元になります。  別に,「熱くなる」必要はありませんが,目標のない人って,客観的に見て,つまらないどころか,社会人として「役に立たない」んです。与えられた仕事しかやらない,自分で仕事を見つけようとしない,自分の仕事に満足している…その人にとってはそれでよいのでしょうが,外から見れば「使えないやつ」であり,「給料泥棒」と見えてしまいます。  同じ種類の商品でも「とりあえず製品としてできあがっていればよい」という商品と「この製品はこうした方がよりよい製品になる」というコンセプトを持った商品では,どちらの方が魅力的でしょうか。  数あるMP3プレーヤの中で,iPodが圧倒的に売れているのは,iPodにしかない商品価値を皆が認めるからですよね。「かっこいい」「つかいやすい」などなど。 適当に作られた商品がこんな価値を認めてもらえるでしょうか。  社会に出ると,ある意味,自分自身も商品です。自分自身の商品価値を高めようとしなければ,その商品価値は非常に低いのではないでしょうか。  価値の低い商品は,その価値以上に買ってくれるところはありません。商品価値が高いように見せかける事はできますが,いつかメッキがはがれます。  この見方で見れば,「夢・目標がない」というのは,「自分には商品価値がない」と言っているようなものです。そりゃ,「自分は安もんだ」と言われたら,がっかりするのは当たり前だと思います。  それは,別に大それた目標である必要はありません。自分に不足しているスキルを磨く,知識や経験を増やす,という事で良いと思います。  収入を得る,という事は,その仕事に対して真剣に取り組み,自己のスキルを磨きつつ会社に貢献してくれた見返りに対価を支払う,という事です。つまり,その人の商品価値を認め,対価を払っているのです。  別に,具体的な職業とか,やりたいこと,ばかりが夢や目標ではありません。  自分が今やっていることを完成させる,自分が苦手とする分野を一つモノにする,という目標を言えればよいと思います。  「夢」というと非常に漠然としていますし,「職業は」と聞かれて困ってしまう場合は,例えば,  「まず大学をしっかり卒業しないと大人とは言えないと思いますし,今はまだどんな職業が自分に向いているか,どんな分野がやれるか良く分からないことも多いので,これから目標ができてくると思います」といった言い方をしても良いと思います。  実際に夢や目標が達成できるかどうかは,その人の能力と運も有りますから,挫折する事も多いと思います。  でも,自分の価値を高めるには,小さな事でも何かにチャレンジする事が必要ではないでしょうか?  赤ちゃんは,「目の前のモノに触れたい」という一心で少しずつ身体を動かし,いつかは寝返りをうてるようになり,立って歩く事ができるようになります。  それは,普通の人にとって見れば当たり前の事のようですが,赤ちゃんにとっては,満足に動かない身体を一生懸命動かして,体力を付け,身体の使い方を覚えるのですから,非常に重労働です。  それでも赤ちゃんは,一生懸命動きます。  何かに触れたい,何かを達成したい,という気持ちは,人間としての,いや,動物としての本能です。  あなたには「もっとこうしたい」「もっとこうなりたい」という理想はありませんか。その理想に向かっていく事が「目標を持つ」という事ではないでしょうか。  自分の価値を客観的に見つめ直してみてはどうでしょう?自分に価値が見いだせなければ,付加価値を付ける方法を探したり,努力をしますよね。それが夢であり目標だと思います。  そう考えれば,多くの人に,夢や目標があって,その目標に向かって熱くなっている人が多いのは理にかなっていると思います。

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