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戦時中の敵性言語について

今日付の日経新聞に「戦線文庫」という幻の雑誌の記事が出ていたのでネットで調べたところ創刊号の表紙と目次が載っていました。 そこで疑問に思ったのですが、当時は敵性言語として英語の使用を禁じられていたという話をよく耳にするのですが、その目次にはユーモア、コント、モダン、ニュース、あげくにはカラーセクションという、明らかな英語がたくさん掲載されているのです。 この雑誌は海軍が民間に作らせて外地の兵士に配布していたわりには検閲がさほど厳しくなかったらしいのですが、この「敵性言語の規制」というのがいったいどれほどのものだったのか知りたくなりました。 どの程度の言葉ならOKで、どの程度ならダメだったのか、あるいはどういった状況、場所では厳しかったのかなど、ご存じの方(ご存命の方?)がいらっしゃいましたらお教えください。 ちなみに私は昭和30年生まれの若輩者です。

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  • ベストアンサー
  • yuhkoh
  • ベストアンサー率48% (350/723)
回答No.5

『軍事板常見問題』より http://mltr.e-city.tv/index02.html 第2次世界大戦常見問題「アジア・太平洋方面FAQ」から http://mltr.e-city.tv/faq08c.html 【珍説】当時の日本は英語を禁止されていた. http://mltr.e-city.tv/faq08j.html#english 【事実】間違いです。  海軍兵学校などは、最後まで入試に英語を残していました(略)後に英語教育は消えましたが、要するに戦況の悪化や学徒動員などで英語を含む全ての学業が吹っ飛んだというだけの話。  基本的に英語の規制というのは民間などでの話です。  今も昔も、民間の過剰な自主規制という日本人の性癖にさしたる差はなかったわけで。(引用終了)  つまり「敵性言語」は自主規制であって、法律に基づいたものではありません。

参考URL:
http://mltr.e-city.tv/faq08j.html#english
penguin929
質問者

お礼

素晴らしいサイトをご紹介いただいてありがとうございました。他にも色々知りたくても叶わなかった当時の細かな日常とかがわかりそうで、あとでじっくり読ませていただきます。 やはり陸軍は英語排除の方向だったようですが、敵国の言葉がわからないと戦いそのものが不利になるとの海軍の見解もあるし、国家を任されている、天皇を除いて最高権力の位置にあるものが、いくら何でもそんな子供じみた愚行を国の指揮下でやるわけはないですよね。 ただ、英語を「理解する」のと「日常で使用する」というアプローチの違いは別問題なのかなとも思いますが。 民間の行き過ぎた自己規制、納得です。 すると、「非国民」「売国奴」などといった個人に対する過剰なバッシングも特高警察や憲兵よりも過激な民間人によるものが多かったんでしょうか? あらためて、恐ろしい時代ですね。 回答、どうもありがとうございました。

その他の回答 (7)

  • 867fleet
  • ベストアンサー率24% (19/78)
回答No.8

海軍はイギリスを模範としているために英語よく使ったのではないでしょうか? 陸軍では発動機、海軍ではエンジンなどと使っていましたね。 あとカレーは海軍では「海軍カレー」からも分かるように、敵性なんてもんではなかったのではないでしょうか。 陸軍では「辛味入汁掛飯」だったと思います。 しかし国民への憲兵の監視は凄かったと祖母から聞きました。

penguin929
質問者

お礼

回答、ありがとうございました。 「海軍はイギリスを模範としているため」というのはよく解るのですが、戦時中はそのイギリスとて連合軍ですので敵には違いないですよね。当時の海軍兵たちの敵国に対する(個人的な)心情はどうだったのでしょう?とても複雑な思いがします。 陸軍の「敵性言語」に関しては「戦略とは何の関係もないのに、陸軍、馬鹿だね」って思ってたんでしょうね。もちろん口には出せないでしょうけど。憲兵が見てるし、即スパイ扱いされるし。 ここら辺になるとどうもよく解らないんですが、憲兵って陸軍所属の組織だったんでしょうか?それとも軍とは関係のない独立した組織ですか? 憲兵と特高警察のことが良くわかりません。 何か、どんどん最初の質問から離れていってる気がしますが、申し訳ありません。 このボックスを借りてお詫びいたします。

penguin929
質問者

補足

皆様、回答どうもありがとうございました。 この補足ボックスを借りて感謝し、この質問を打ち切りたいと思います。 憲兵のこともNo5の方にお教えいただいたページにて知ることができました。 ポイントは全員に差し上げたいのですがそうも行かないので、すばらしいページを紹介していただいたNo5の方と私の早とちりをご指摘いただき、質問に的確にお答えいただいたNo2の方に差し上げたいと思います。他の皆様の回答も大変参考になりましたが悪しからずご了承ください。 どうもありがとうございました。

回答No.7

まず私の伯父ですが、大戦中は英文学科におりました。また、英語が出来た者は優先的に通信隊に配属されたそうです。 次に海軍に関してです。penguin929さんは零戦の正式名称をご存知でしょうか?A6Mです。九九艦爆はD3Aなど航空機の正式名称はアルファベットを使用しています。空母『赤城』のコードはA1、加賀はA2です。連合艦隊司令長官はGF長官と呼ばれました。

penguin929
質問者

お礼

回答、ありがとうございました。 やはり海軍は国際的な視野で戦争を捉えていたんだということが、再確認できました。 国としては「陸軍ありき」で体制を作っていたので、逆に民間人の勝手な暴走も陸軍の命令みたいな印象になったんでしょうか? 現在では戦争責任は陸軍の暴走のせいという見方が強いですね。それは総理大臣が陸軍大将だったせいで、東条英機ばかりが悪者にされ、山本五十六をはじめ海軍はえらかったとよく言われますが、あまり累計的に単純にそうだと考えるのもどうかなとは思っています。 日本は当時帝国主義ではありましたが、国会は議会制で独裁国家などではありませんから、小泉総理一人で国政が動かせないのと同じで、東条英機一人では戦争は起こせないですよね。 何にしても海軍がリベラルだったというのはよく解りました。 ちなみに私は「零式艦上戦闘機」が零戦の正式名だと思っていました。

  • yatuki
  • ベストアンサー率6% (1/16)
回答No.6

ご質問とは少しずれてしまうかもしれませんが・・・。 戦時中は方言も禁止されていたそうです。といっても、すべてではないと思いますが、南方の島々では方言ではなく標準語を使うことを強いられていました。南方の島になると方言もとても独特で本土から来た兵士にはわからないため、スパイだと厳しく罰せられたとか。そのためそのような教育を受けた世代以降は使う習慣がない、もしくは使うことができないという話を聞いたことがあります。

penguin929
質問者

お礼

貴重な情報、ありがとうございます。 南方というのは奄美とか沖縄などのことでしょうか?それとも当時の領土だった台湾とか南太平洋の島々まで含まれているのでしょうか? 我々の世代は正しく教育を受けていないせいもあり、事実誤認が多いので私の書き込みも間違いがあるかも知れませんが、それらの国に対しても日本語を強制したり日本名への改名を義務づけたりしたと聞きました。 方言はもとより、言葉は豊かな文化の証です。 戦争が人命だけでなく、人類の文化も滅ぼしてしまうのは古代ローマの時代から同じですね。 韓国や台湾のお年寄りが流ちょうに日本語を話されているのを聞くにつけ、どこか後ろめたい、申し訳ない思いがします。

  • papaX
  • ベストアンサー率28% (28/99)
回答No.4

戦争経験のない者ですがw 確かに英語は敵性言語ですから、一般的に知られるように野球のアウト・セーフも変えられるという風にほぼ全部駄目だったと思いますが、唯一の例外が海軍だったと記憶してます。 戦争突入時、当時海軍兵学校長だった井上成美が、敵性言語である英語教育を廃止しようという声に強硬に反対し、海軍だけは英語教育を続行した経緯があります。一説によれば、敗戦時に海軍士官が解任された後も、食うに困らない様教養の一環として身につけさせたかったという思いがあったようですが、実際のところはわかりません。 従って、海軍およびその関係だけは英語は黙認されていたのではないでしょうか?

penguin929
質問者

お礼

丁寧なご回答、ありがとうございます。 私の質問自体に不備があり、雑誌創刊当時は米英は敵国ではなく、したがって規制自体無かったというのが正しいようです。 しかし、これを機に「敵性言語の規制」について回答を得ることができました。 ありがとうございました。 ところで、海軍と陸軍の違いはわかったのですが、民間への規制はどんなものだったのでしょうか? 内閣を陸軍か牛耳っていたようなので、やはり厳しかったのでしょうか? いわゆる条例とか通告みたいな形が取られてたのか、「非国民」レベルの圧力だったのか、どうなんでしょう?

noname#131426
noname#131426
回答No.3

陸軍は躍起になって敵性語として横文字を排除しましたが、海軍は元から遠征などで外国へ行く機会が多かったので、割と横文字は使っていたそうです。

penguin929
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 やはり陸軍と海軍の違いが大きいみたいですね。 もっとも今回の私の質問は私の早とちりで、No.2の方のご指摘のようにこの雑誌の創刊当時はアメリカもイギリスも敵国ではなかったので規制自体ありませんでした。 申し訳ありませんでした。

  • beam-
  • ベストアンサー率25% (447/1721)
回答No.2

単純な話です。  創刊の昭和13年は敵性英語では無かった。ということです。(^^;  敗戦が濃くなった18年ごろ、敵の言葉を使うことを忌み嫌って敵性英語の使用が禁じられました。  だから、それ以前、まして創刊号となると英語使いほーだい(^^;

penguin929
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 そうでした。うっかりしてました。この創刊号は日中戦争の時のものです。 やはり敗戦近い号になると英語はなくなってたんでしょうか? 海軍は規制しなかったと言うことらしいのでずっとOKだったかも、ですね。 陸軍は厳しかったらしいですが、昭和の19~20年頃で英語禁止って、随分書いたり話したりに支障が多かったでしょうね。

  • onara931
  • ベストアンサー率25% (141/545)
回答No.1

日経新聞ですね?後で買いに行かなくちゃ。 わたしもそう詳しい方ではないのですが、「敵性言語の言い換え」に神経質だったのは主に陸軍で、海軍はゆるやかだったそうです。 陸軍ではカレーライスを「黄色辛汁掛け飯」なんて言ってらしい。確かにそうだが。(^^; 海軍の実例を思い出せませんけども、元々、諸外国を行き来する海軍は、オープンだったのかと推測出来ます。 妹尾河童氏の「少年H」を読むと、セーターにHというイニシャルをつけているのを敵性語だと指摘されても、「同盟国のドイツでも使っている。ヒットラーのHだ」と言ったら許されたというエピソードもあり、たぶんに曖昧なものだったのではないでしょうか?

penguin929
質問者

お礼

早速のご回答、ありがとうございました。 陸軍と海軍で違ったのですね。たしかにこの雑誌は海軍のものです。 >陸軍ではカレーライスを「黄色辛汁掛け飯」なんて言ってらしい。 そんな風に言い換えるぐらいなら食べなきゃいいのに。 ギャグでなく大まじめにこんなことを言っていた陸軍って、ある意味カルト集団のような気がします。 少年Hのエピソードも多分に子供じみた発想ですよね。

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