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プロ患者?

あるサイトで、「プロ患者」という言葉を知りました。 「転移」について調べていました。 私は、もうかれこれ、20年近く精神科医やカウンセラーを渡り歩いています。(かからない時期もあります。)、いろんな書物も読みましたし、専門家向けの本はそれほど読んでいるわけでもありませんが、興味もあり少しずつ知識が増えていきました。 医師やカウンセラーにも、よく知っているね、などと言われる事もあります。 例えば「離人症」。これを知ったのは、18、9くらいの頃だったでしょうか。その言葉を医師に告げると、「離人症も知っているの?」といわれました。 それほど、珍しい病気とも思いませんでした。おおよその病気についてはつかんでいるつもりですが、特別専門的に勉強したのでもありません。 私はプロ患者ですか? プロ患者とはどういう意味ですか。

みんなの回答

回答No.5

#3さんと同じ意見ですが(従ってあなたがプロ患者かどうかはわかりませんし、あまり問題にされないほうがいいです)、このような方は治療という面ではちょっとつらいときがあると思います。 例を挙げると。治療法をあなたがA,B,Cと3パターン知っていたとします。 で、ドクターがあなたが知らない治療法Dをやったとします。その場合、あなたには受け入れるか、受け入れないかの2択が登場すると思います(大抵はとりあえず受け入れるの一択なんですけれど、知識があると天秤にかけてしまったりするんです)。 また、あなたが知識をつけるときにぼろくそに書かれていた治療法をドクターがやったとします。その場合、あなたは受け入れない確率の方が高いでしょう。実際、あなたは投薬中心の治療はお嫌いだと以前いわれてましたよね? こういったところでちょっとドクターとの関係、又は治療の有効性(結構プラセボってあるんですよ)を左右するファクターが意味もなく登場してしまうんです(逆にプラスに働く事もあるかもしれないけれど、今度は転移の可能性が・・・ものすごく信頼しているにずれるといいんですけれどね)。 確かに知識をつけることはいいと思います。でも、その場合は、中途半端にしておかない事(例えば、メリット、デメリット両方を知っておくとか・・・)も大切だと思いますよ。 一番のデメリットはお薬や治療法に対してドクターに口を出しすぎたりするという事でしょうか(投薬については別の病気の方ですけれど)? 大抵のドクターは患者さんに指図されるのを好みません。また、患者さんも自分の言う事が絶対だと信じているから他の治療法の可能性を全否定しやすい状態になってしまいます。 これが関係悪化の原因にもなるし、治療にも影響がでてきてしまいます。 逆にメリットといえば、自分の状況に対して適切に説明しやすくなるということでしょうか?メリット、結構少ないな・・・後は、良くも悪くもプラセボですね。 デメリットの方をつい強調してしまいましたが、とりあえず、ドクターのような考え方もあるんだと受け入れてみるとか、納得行かないところはそのドクターと話し合ってみる(これ重要)というようなことができれば、デメリットはなくなってきますよ。生かすも殺すもあなた次第です。 PS:ふと思ったんですけれど、割り切ったり、流したりする事はこうして考えて見れば難しいですね。う~ん、やり方は様々でしょうけれど、私は最初はイライラしながらそれを打ち消していくような事を考えていくという方法を採用していますけれど・・・あるいは、危険を感じたら相手にしないという手もあり(感覚的にはこういう感じだけれど、ちょっと違う。これをどう表現しようか・・・簡単な方法としては、ヤバイと思ったら、夕食の事を考えるとか、何か他の事を考えるというのが流す時に簡単な方法かな?いきなりもっていかれちゃったらしょうがないですけれど)。 でも、ある程度は感情的なほうが人間らしくって好きですよ。

alessandra
質問者

お礼

何も知らない患者は、素直なのでしょうね。 私は、知っているからといって、それを医師に告げるということはしないけれど、「この医師は使えない。馬鹿医者。」と心の中で思っているだけ。だから、そう感じたら、医師を替えます。 流す、というのは、一種の防衛かとも思う。 流す、という技も最近できつつある。 例えば、この掲示版サイトでも、辛らつなアドバイスと思えることでも数をこなしていくうちに、そんなもの、と言う風に捉え方も変化していく。辛らつなアドバイスを真に受けていたら、ズタズタになるから、一般化?して、回避する術を身につけていった結果、流すことができるようになる、という感じ。 現実の世界で、このことが実践できるかどうかは怪しいけれど。 治療法まで勉強しているわけじゃないけれどね。 でも、明らかにコイツはわかっていない、と思われる医師はカット。 それから、医師と何人か合うと、あ、この人は、教科書通りのことしか知らないんだ、とかわかったりする。 だから、プロ患者のメリットってけっこうあると思うんだけど。 投薬については、投薬中心の方法が嫌い、というよりは、「違う」んです。私の場合。それじゃあ、治らないのです。

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noname#10940
noname#10940
回答No.4

こんばんは    「プロ患者」であるかどうか?があなたにどれだけ 重要か?という切り口で見てみたら?  多分ご存知でしょうけど、ネガティブに「レッテル 貼り」してもあまり良いことはないですよ。  なんとなくネガティブな予感がしているから、 気になっているのでは?まぁ、僕も性格はそうだから 人のことは言えないけれど(笑)  僕がカウンセラーに言われた言葉。「あなたは非常 に感じる力が強い(アンテナが高い)から、時に 過敏になってつかれますよね。流し上手になりましょ う」といわれました。ためしにやってみたけれど、 結構楽になりますよ。以前より、1割ぐらい気楽に なれた感じです。  ポイントは「気付く自分はそのままにしておく」 「気付いてもすぐに動かない」「どうしても必要だと 思ったら動いてみる」です。良かったら参考にされて 下さい。

参考URL:
http://plaza.rakuten.co.jp/daiyamato/
alessandra
質問者

お礼

重要かどうか?と問われれば、そうではない、でしょう。 まあ、ふと、私ってプロ患者なの?と感じたものですから、、、それほど、ネガティブにとらえているつもりはありません。 アンテナ、については私も精神科医に言われましたね。 流し下手です。かといって、流し上手になれ、と言われても、簡単になれるか!と思ってしまいます。 気づいたとしても、動きようがありません。 そのままにしておく、というところでしょうか。 詩的な文章ですね。 ありがとうございます。

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noname#15040
noname#15040
回答No.3

こんばんわ。 よく、わかりませんが、余りにも「知りすぎている患者」くらいの意味でしょう。医者にとっては、大変恐縮ながら、扱いにくい患者のようです。私が思いますに、直したい一心で色々とお勉強されたと存じますが、逆にそれがあだとなって、知識先行になってしまわれたのではないでしょうか。只、まったくの私見ですが、知ってることと直ることは別で、また、どの世界でも、本当のプロとセミプロとでは、やはり、大きな差があると存じます。人格障害理論もそれを否定するお医者様もいるようですし。メンタルの世界のみならず、内蔵疾患の人も勉強しまくって、逆にそれがこだわりになる人と、仕方ないと割り切って生活する人とでは後者の方が直りやすいみたいです。職場でも、弁護士をめざしていて受からず、仕方なく、就職した人は、法律にはめっぽう強く、セミプロですが、やはり、プロの弁護士にはかないません。質問者様がプロ患者であるかどうか、誰も判断できませんが、知識があって快方に向かわないより、知らなくても良くなるほうがよろしいのではと、失礼ながら、思う次第です。

alessandra
質問者

お礼

確か、前にもご回答をいただいたかと思います。 そうですね。「知りすぎている患者」かもしれません。もともと、勉強が好きなのです。オタク? 好きな分野について、それが心理学や医学でなくてもそうです。例えば、小学生の頃なんかは、ファンシーグッズがスキで、サンリオ博士←自称。でした。今でも、そのような傾向があります。 それで、それほど、勉強しているつもりはなくても、少しずつ知識が増えていったのです。 私は、逆にまわりの患者さんたちを「知らなすぎる患者」のように感じるのです。なぜ、自分の病気について知ろうとしないのか、とさえ思います。 確かに、プロといっても、私は治療者ではありませんから、セミプロであっても、プロであるわけではありません。私が明日から治療者になれるかといえば、それはありえないわけですから。 細かいお気遣い、いつもありがとうございます。 参考にさせていただきます。

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回答No.2

もうちょっと分かり易く言うと、プロ患者とは、表面的には病気や薬のことに関して かなり詳しく知っており、ただし、「良い患者」とは対極にある人のことだと思います。 「良い患者」とは病気を治そうとする意思がある人ですが、プロ患者はその気がありません。 知識がありますから、医者を馬鹿にして治療をないがしろにしたり、 抑鬱症状があることを逆手にとって自分は鬱病であることを宣言し、 鬱病の患者には「がんばれ」などど言うことは禁句であってやさしく接しなくてはいけない などと、他人を自由にコントロールしようとする人が典型例だと思います。

alessandra
質問者

お礼

やはり、私は、プロ患者かもしれません。 ただ、病気について知りたい=治りたい、という発想から来ています。ですから、自分の病気以外のことにはそれほど関心が深いわけではありません。 しかし、うつ病患者にがんばれと言ってはいけない、という程度の、誰でも知っていることくらいは知っていますが、もし、それを医師がしたとして、(たぶん、それはないが)この医師は除外、という風に判断すると思います。医師の良し悪しを判断する手がかりにもなり、悪いことばかりとも言えないような気もしますが、、いかがなものでしょう。 ご回答、ありがとうございます。

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回答No.1

プロ患者とは、病気じゃないけど、病気であるとしたほうが 有利になることを本能的に知って、本当に病気のような症状になる人でしょう。 たいていの場合は人格障害の一種だと思います。

alessandra
質問者

お礼

病気であるとしたほうが有利になる、、、とは? 仮病?みたいなもの? ちなみに、私も人格障害と診断されたのですが、、。 ちょっと私の考える「プロ患者」とは違うようですね。 ご回答、ありがとうございます。

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