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中国と台湾の関係

両国の関係、位置づけがよくわかりません。 もとは、中国の専制政治の最後、溥儀(ラストエンペラー)に苦杯を舐めさせる原因が、孫文の 辛亥革命だったような・・孫文が台湾を拠点に活動していたのですか? 中国史に疎い私に愛の手を・・よろしくお願いします。

  • 381mk
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質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • sokrates
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回答No.7

台湾はもともと、南方越族系が山岳部を中心に生活していました。 ここに、主に明代(それ以前からも行き来や定住はあったが)に福建省(記憶では)からの移住者が大量に台湾に渡来して、彼らは平野部に定住、農業・本土中国との交易を行います。 後に、日本領となり、日本の支配におかれます。 中国では、孫文の革命で、過渡的軍閥政権を経て、国民党支配の中華民国が設立されます。(蒋介石が首班) 蒋介石は頑固な反共産主義者で、孫文が居た頃は孫文の仲介で、共産党とも協力していましたが、孫文の死を境に共産党撲滅に動き出します。 この内乱をついて、日本の中国侵略が本格化します。 中国共産党は二派に別れ、主力は周恩来・鄧小平などが、ソ連の協力のもと都市部での共産革命を目指しますが、蒋介石に撲滅されて、毛沢東が農村部で作っていた組織に逃げ込みます。 これに、止めを刺そおと、蒋介石は軍を派遣しますが、毛沢東は大長征で中国西部に逃れます。 中華民国の有力将軍張学良は蒋介石の命令で、主力軍を率いて共産党討伐に向かっていました。 この時期がちょうど、日本軍が南京占領など、侵略に全力を投じた時機で、張学良はシーアンで督戦に来た蒋介石を軟禁して、国共合作(共産党と和解して、共同で日本に立ち向かうことを実現させた)を実現させました。 日本に勝利した後に、すぐにこの野合は崩れ、再度国民党と共産党の内乱に突入します。 台湾では中国系住民は中国復帰に国民を上げて喜び、後に、国民党への反政府活動に身を投じた人もこのときは中華民国国旗を旗屋で購入した際に、お釣りを受け取るのを拒んで『祖国の旗をそのような安い値段で買えない』といっています。 台湾の情勢が一変するのは、国民党の行政官が台湾に入ってきたとき、彼らはすでに、長い蒋介石の独裁の影響と軍閥化で粗暴になっていました。 彼らの出鱈目な行政と粗暴な統治で、先住中国人は最初は蒋介石の指導に期待したのですが、逆に蒋介石が軍閥指導者を支持したので、夢が破れます。 (闇タバコを売っていた老婦人が警察の摘発で暴行を受けて死亡し、民衆が激怒して暴動になり、それを武力鎮圧した) 蒋介石は予想に反して共産党軍に敗退し、台湾に逃げ込み、台湾の軍事独裁統治を強化します。 これで、台湾の正式名称が『中華民国』、中国が『中華人民共和国』になっているのです。 孫文は基本的に南京を活動拠点にした非台湾系です。

381mk
質問者

お礼

理解できました。 ありがとうございます。

その他の回答 (7)

  • sokrates
  • ベストアンサー率41% (13/31)
回答No.8

最近、日本で台湾で独立派が進民党を結成して、独立へ向かっている。彼らの日本統治以前の明代の移住者は非中国人意識をもっている。と、よく保守系メディアで発信されていますが、誇張です。 中国は一党独裁・共産主義 台湾は軍事独裁・資本主義 これがちょうど、中国で改革開放政策が出た頃に、台湾の民主化が完成します。 つまり、中国が独裁・資本主義になれば、この二つの勢力が分裂していることによるメリットが民衆にとって無くなるのです。 台湾が民主化したので、台湾の中国人にとっては中国との統一は自分の自由と権利をつぶすことになります。 つまり、分裂状態を維持することによる利権構造があるのです。 例えば李登輝は日本占領下で京大農学部を卒業しています。更に、キリスト教(蒋介石)。また、大学でマルクス関係の本を読んでいた。(中国共産党)完全に反日です。 当時の日本の植民地教育政策では『反日的エリートは農学部へ。そして、帰郷して農業指導者に』『親日エリートは政治学部へ。そして、植民地統治のためのテクノクラートに』です。 農学部の李登輝は反日だったのです。 彼が現在親日を装っているのは台湾の利益のためのロビー活動です。

  • get2moon
  • ベストアンサー率42% (82/192)
回答No.6

[太平洋戦争時には、国民党と共産党は一時休戦して協力して日本と戦った]というより お互いが利用していたのですよね。 国民党が政権をとっていた時代の台湾は [一つの中国]を主張していました。 70年代に 台湾にいましたが 選挙運動は 「中国の(中の)台湾省から立候補したxxです。」と言っていました。 台湾人と外生人(中国大陸からきた人)という言い分けされていました。 多くの政治家は外生人でした。 その後 台湾人が台湾独立運動を始めたのです。 80年代に中国でアメリカ大使を務めたJames Lilleyはレーガンと共に 二つの中国を支持していましたが CIAは 反対方向に進んでいました。Lilley氏と夫が個人的な知り合いで 色々な裏話を聞いています。

381mk
質問者

お礼

興味深いお話をありがとうございます。

  • yaksa
  • ベストアンサー率42% (84/197)
回答No.5

>台湾は国民党が支配している。 これは間違いですね。すいません。現在の台湾は、複数政党制を採用していて、与党は国民党ではなく民進党です。 といっても、国号は中華民国のままですし資本主義ということでは国民党の一党独裁時代と同様です。

  • yaksa
  • ベストアンサー率42% (84/197)
回答No.4

辛亥革命後の孫文は、もちろん中国本土を拠点に活動しています。台湾は当時は日本領で中国とは関係ありませんね。 孫文の死後、蒋介石が中華民国(辛亥革命の結果できた政府)と国民党(その与党)の実権をにぎりますが、都市の比較的裕福な市民層(ブルジョワ)を支持基盤とする国民党(当然、資本主義)は、農民・労働者の利益を代表する共産党と激しく対立して、国民党は共産党に武力攻撃をしかけ内戦になります。 日中戦争・太平洋戦争時には、国民党と共産党は一時休戦して協力して日本と戦ったのですが、日本の敗北後再び内戦がはじまります。その結果、共産党が勝利し、蒋介石と国民党支持の多数の人が、日本の敗北の結果、中国領に戻っていた台湾に逃げ込みました。 そして現在も、そのまま、中国本土は共産党、台湾は国民党が支配しているわけです。 したがって、共産党(中国政府)・国民党(台湾)ともに、互いに相手を中国国内に居座る不法分子(反政府団体)とみなしており、中国本土と台湾をあわせて1つの中国という国だと主張しています。いわゆる「一つの中国」というやつです。 ただし、実質上は、互いに相手に対する影響力は持っていないですし、別の国と考えてよいです。 最近、台湾では現実を見据えて、「中国本土も国の一部であり、共産党は国内に不法に居座る反政府団体である」、という原則を捨てて、中国本土は台湾とは異なる別の国であるとする考えが強くなってきました。 一方で共産党は、いまだに「一つの中国」の原則を捨てておらず、「中国国内の反政府団体である台湾政府を、機会をみて武力討伐する」と宣言しています。 で、そのまま今にいたるって感じです。

381mk
質問者

お礼

ありがとうございます。 すっきりしました。先日中国の旅客機の台湾への 合法乗り入れで話題になってました。半世紀ぶり・・ これは、どちらの譲歩と言うことでしょうか

  • demio
  • ベストアンサー率13% (200/1473)
回答No.3

共産主義と資本主義の対立です、 今は分裂しているのは朝鮮半島と中国のようですが 過去はドイツとベトナムも分裂していました 共産主義のソ連側と資本主義のアメリカ側で 対立していたのが、分裂国家です 中国について混乱しているようですが清国の次が 中華民国で日本の明治の終わりごろに中華民国が 成立して共産党の中華人民共和国の成立は戦後の昭和25 年ごろです。(正式な年号は調べてください)

  • get2moon
  • ベストアンサー率42% (82/192)
回答No.2

此処に簡単な説明が書かれています。 http://www.nhk.or.jp/kdns/_wakaran/00/0319.html 中国近代化革命の父 孫文については ここで・・・ http://www.c20.jp/p/sonbun.html

  • rmz1002
  • ベストアンサー率26% (1206/4531)
回答No.1

簡単に説明すると、 太平洋戦争後、「蒋介石」率いる国民党が「中華民国」を立ち上げましたが、その後、共産党に敗北して台湾へ逃走し、そこで独自政府を樹立、これが今の台湾政府。 一方共産党はあらたに「中華人民共和国」を立ち上げ、これが今のいわゆる「中国」です。

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