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ホウロウの乱
北宋・南宋の時代に起こったホウロウの乱とは一体何なんですか?山川出版の用語集・資料集にも載っていませんでしたのでご存知の方はどんな内容の抗争か詳しく教えて下さい。
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宣和2年(1120)、浙江省睦州で、方臘という者が蜂起した乱。 この当時、政治は無軌道で役人の税の取り立てが厳しかった。そのため、この叛乱は多くの窮民を集めて、たちまち勢力を拡大した。 叛乱の首謀者である方臘は、元々漆園の経営者だったらしい。そして、この叛乱の母体は、喫菜事魔と呼ばれる異教の菜食主義者で、マニ教の一派の秘密結社だったと言われています。 方臘らは、取った州県では片っ端から役人を殺害。そのため、浙江省の多くの郡が被害をこうむった。しかし、最初はこの叛乱は報告もされなかったので、討伐もされず、そのうち大勢力となった。 方臘らの勢いがあまりにも強くなったので、ようやく報告されたらしく、都は大変な騒ぎとなった。そこで、将軍・童貫の遼征討軍を転用して、方臘らを討伐させた。方臘は、百日あまりで生け捕られた。
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- reny
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方臘の乱と書き、水滸伝の後半の話題でもあります。 水滸伝では梁山泊の英雄たちが鎮圧に赴き、その3分の2がこの反乱鎮圧で死んだことになっています(水滸伝の一番最後の方の話です。勿論物語ですけど)。 史実としては、北宋の末期におこったいくつかの反乱のひとつで、マニ教の影響が見られるとされています。 中国の大規模な反乱では宗教がコアとなることがよくありますので(後漢末の黄巾の乱や清末の太平天国の乱etc)、それらと比較すると分かり易いと思いますよ。
- myeyesonly
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こんにちは。 http://www.uraken.net/rekishi/reki-chu12.html こんなのが出てきましたが。 検索方法は、「北宋 南宋 乱」と窓に入れて検索しました。 結構出てくるようです。
お礼
ありがとうございます。また宜しくお願いします