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浦島太郎の玉手箱
初めまして。 どこのカテゴリに質問すればよいか迷った挙句 こちらに投稿いたしました。 先日、ふと思ったのです。 浦島太郎のお話の結末って竜宮城の乙姫様が「絶対に 開けてはならない」といった玉手箱を 太郎が開けてしまったっていう感じですよね。 それでおじいさんになってしまった。 そこで、なんで乙姫様は開けてはいけないものを 浦島太郎に渡したんだろう、と不思議になりました。 そもそも、あけちゃいけないものを何故渡すの? なんで開けたらおじいさんになってしまったの? 本当の箱の中身は何だったの?本当に年をとって しまうだけであとは空だったの? といった感じです。 浦島太郎は子どもの頃、誰もが必ず耳にしていると 思いますし、だからこそ絵本になるわけでそこで 幼児用に、というか分かりやすいようにいらない 部分を削ったり書き加えたりしているのかなぁ と色々な考えが頭に浮かんできて…。 どなたか教えてください!よろしくおねがいします。
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以前にも、このサイトで浦島太郎の伝説について疑問をいくつも呈されていた方がいらっしゃいました。項目が多岐にわたっていたのでその時は素通りでしたが、今回は疑問の内容が絞られていることと少し興味を覚えたので書かせていただくことにします。とはいえ、本で調べたわけではなく、あくまで私見ですけどね。 * 玉手箱というのは、私は竜宮城の象徴だと思います。 つまり、「助けた亀に乗せられて」竜宮城に着いた浦島は、その時知らずに玉手箱の中に入っていったのです。そこはおとぎの国でした。つらいことも、悲しいことも、汗して働くことも無く、夢のように楽しい時間をすごすことが出来ました。ですが、そこは楽しいことだけの夢の世界ですから、「時間」というものが有りません。というより、「陽」だけで「陰」の無い世界ですから、時間を計ることが出来ないのです。かつていた現実の世界は置き去りにされていますから、現実の世界では現実の時間が月日を刻んでいても、それは浦島にとって完全に忘却された消えた世界だったのです。ここに現実に過ぎてゆく月日と、竜宮城での無時間の世界との乖離がまず構図として設定されています。そのまま太郎が竜宮城に居続ければ、それはそれで済んだのかもしれませんが、そうは行かない構図もここにすでに描かれています。なぜなら、竜宮城は時間の無い世界ですから、そこに居続ける限り太郎は永遠に歳を取ることも無いのです。永久に老いることの無い生ほど退屈なものは有りません。こうして、太郎はやがて竜宮城に飽き、故郷へ、つまり現実の世界へ帰っていくことを決心します。ここまで物語の中に用意されたすべて必然の流れなのです。 竜宮を出るときに乙姫が太郎に渡した玉手箱は、彼がそこを離れることを選んだがゆえに生まれたものです。なぜなら、それは外から見た竜宮城そのものだからです。中にいる間はそれを見ることはできません。また、それは乙姫が預かり続けるということも出来ません。なぜなら、玉手箱を手渡すということが、竜宮城を出るということの意味そのものだからです。儀式的な行為というより、同義なのです。また、玉手箱は太郎自らが竜宮を出る以上持っていかなければなりません。なぜなら、玉手箱は太郎が抱えていかなければならない現実そのものだからです。その人の現実はその人にしかもって行くことが出来ませんから。 つまり、玉手箱というのは、現実の世界と竜宮という夢の世界との境界であり、結界なのです。その境界を越えることで竜宮に入りましたが、そこにはせき止められ忘却されている現実の時間というものが押しとどめられています。結界の力によって。竜宮から現実の世界に戻ることによって、せき止められた現実の時間の圧力はいやがおうにも高まりますが、それをせき止めているのが結界としての玉手箱です。ですから、それを守り続けるあいだは、現実の世界に戻っても、太郎は歳を取らなかったかもしれない。そのような非現実な存在として現実の中で生きていくことも出来たかもしれない。つまり、竜宮の形見を守ることによって。ですが、太郎は現実に出会うために帰って来たのだから、世界の変化から現実に経過していたらしい時間のことを知ります。そして、彼が現実に再会する唯一の手段である玉手箱を開けることになります。そうして、また、必然の流れに従って、彼は乙姫によって禁じられていた結界を破ります(ですが、竜宮を出ること自体が結界を越えていくことだったので、玉手箱によってせき止められていた現実の時間は、封印を破られ彼の身に戻らざるを得ないことを乙姫は知っていたのです。竜宮を出ることで結界を越えて行く彼に、結界を閉じ込めた玉手箱を渡して破られざるを得ない約束をさせたのは、自分を離れていく男の時間を不可能とわかっていながら自分の元にとどめ置こうとした乙姫の悲しい愛だったのです)。つまり、玉手箱は、やはり、浦島を竜宮の無時間にとどめ続けるという非現実の力によって、浦島を守ろうとするものだったのです。ですが無時間が、現実の世界で永久に守られうるものではないことも乙姫は知っていました。だから泣いたのです。裏切られることを完全に予測していた悲しい愛が玉手箱でした。そして、現実に過ぎ去っていた時間を封じ込めていた玉手箱をもし乙姫から手渡されなければ、太郎は、地上に着いた時点ですでに老人の姿に戻っていたものと思われます。これは物語の完璧な構造から言って間違いないものと思います。 >本当の箱の中身は何だったの? 封じ込められていた太郎の現実の時間です。 >本当に年をとって しまうだけであとは空だったの? 空です。なぜなら、箱の中身というより、箱という結界の働きに意味があったからです。それは破られる宿命にありました。なぜなら、この世界に戻ってくるということが、すでにその結界を越えてくるということだったからです。その現実の時間に抗したのが乙姫からの玉手箱という小さな贈り物でした。箱は開けられ、結界は破れ、せき止められた現実の時間が戻ってきたために彼は本来の年齢に戻ったのです。 以下は余談ですが、以前赤瀬川源平さんが「世界の缶詰」というものを作っておられました。その作り方は、缶詰のふたを特殊な工具ではがし、中身を食べてしまいます。中をきれいに洗って乾かし、外側のラベルをはがします。そして新しいラベルを缶の内側に丁寧に貼り、缶のふたを元通りに接着します。これで出来上がりです。内側にラベルを持ったことで、缶の外にあるすべての世界が仕切り一枚で缶詰にされたわけです。 竜宮の話はこれに似ています。竜宮に入っていく時、それは缶の中に入っていくことでした。そして、缶の外に出て、現実の世界に帰って来ることで、夢のような竜宮の世界は小さな一つの缶(玉手箱)になるのです。缶詰の暗喩は、その向こう側とこちら側の時間の経過の仕方の乖離ということにもあらわれています。
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偶然、新聞で、浦島の伝説について触れている記事を見かけました。その記事によると、万葉集・巻九に「水江(みずのえ)の浦嶋の子」を詠んだ長歌一首とそれに附された短歌一首が収録されているということです。その歌では、この世に残してきた「父母にいっぺん会いに戻りたい」(記事より)という浦島に、また宮殿に「帰って来て今のように暮らしたいのなら、ゆめ開いてはならぬ」(記事より)と言って、海神(わたつみ)の神の女は櫛笥(くしげ)を持たせるのだそうです。浦島は、住みなれた家も消えてしまったふるさとを見て、「この箱を開けたらあるいは元に戻るかも」(記事より)と戒めを忘れて櫛笥を開けてしまったのだそうです。 以下のサイトでその歌を読むことが出来ます。 http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/ 左の「初めての方に」から入り、「万葉テキスト」をクリック。「万葉集検索(データベース形式)」をクリックし、条件入力欄の項目に「題詞」を選択。その右欄に「水江」を入力して検索すれば、二首とも見ることが出来ます。
- merci_la_vie
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はじめまして。 ご質問の回答にはならないと思うのですが、以前、学校の授業で聞いた浦島太郎のお話で、こんなのがありました。 竜宮城は時間のない、永遠の場所という意味で、人間の憧れる理想郷なのだそうです。 それにもかかわらず、その理想郷にいるはずの亀は、子供達に苛められると分かっていながら何度も懲りずに人間界にやってくるのは何故か。また、浦島は自分から人間の世界に戻るのは、どうしてか。そして何故、「開けてはいけない」という玉手箱を自ら開けてしまのか。 それは時間の存在しない、永遠というものが、必ずしも良いものではないからだ。「永遠に続く」ということは、幸せではないのではないか。 と言った浦島太郎論が、あるのだそうです。そう考えるとNO.2の方の仰るとおり、玉手箱の中には「封じ込められていた太郎の現実の時間」が入っていたのではと、私も思いました。 ちなみに、先生曰く「太郎マザコン説」もあるそうです。かなりの年になっても、老いた母親の面倒を見ている稀に見る孝行息子の太郎は、今で言えば、超マザコンで、やはり「異種」なのだそうです。 昔話や童話って、大人になってみると「??」と思うことが多いですよね。でも、こうしてその意味を知るのは、とっても面白いなと思います。小さい頃には思いも付かなかったことが分かって、妙に感動してしまいます。 bianca500さんの疑問を、バッサリと(?)解決してくれる名回答が寄せられると良いですね♪
- kankasouro
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あくまで私見ですが……。 世界中で共通して昔話にあらわれる特徴として「見るなの禁」というものがあります。見てはいけないといわれたものを見てびっくりしてしまった結果、それまであったものがなくなったり、壊れてしまう、というものです。 日本の場合では「鶴の恩返し」や「海幸山幸」(竜宮から追ってきたお姫様が出産をするところ)、「こぶとり爺さん」(こぶをとるところ)、「舌切り雀」(家に帰るまであけてはならない)などで特徴的ですが、「見るなの禁」は、「人間ならざるふしぎな力を持つものが、その神秘的な力をふるっている最中のものを見てはならない。なぜなら、神秘的な力をふるうためには、そのものの本来の姿に戻らなければならないからで、その異様な姿を見ればきっとあなたはおどろくだろう」という構造があるように思います。 つまり、玉手箱は乙姫さまの不思議な力を象徴する道具であることが重要であって(だから見てはいけない)、その中身がなんであるかはとくに重要ではないのではないのでしょうか。もしかしたらあれをあけずに置いておいたらすばらしくいいことが訪れたかもしれない。しかし男は約束を破ってしまった。それに対して不思議なちからが罰を与える、ということです。「つるの恩返し」も、男が覗き見をしなければすばらしい織物ができて裕福になってゆくわけですから、玉手箱もそうであった可能性が高いのではないのか。 これにはもうひとつ有力な証拠があります。折口信夫の説によれば、むかしの日本人は海のかなたに先祖の住む理想郷があり、そこから年に一度先祖が帰ってきて子孫に幸いをもたらす、という信仰があったといいます(これがくずれたかたちがお盆)。幸い、とは抽象的なものでもいいのですが、たとえば先祖が持ってくる魔法の力(その力は善にも悪にもはたらく。先祖を怒らせると疫病がはやったりする)を秘めた道具であるととらえてもいい。それをおみやげにして、ご先祖さまがわれわれのところに帰ってくるわけです。 この信仰がくずれたものが浦島太郎の玉手箱なのではないでしょうか。たとえば浦島太郎のひとつの原型であろうと考えられる「海幸山幸」では山幸彦がお兄さんの釣り針のほかに「潮満つ玉、潮干る玉」をおみやげにもらいます。この玉は水を加減する不思議なちからを持っていて、山幸彦を幸福にする(田の収穫をよくする)だけではなく、いじわるをする兄に罰を与える(水害を起こす)能力をも持っています。この場合、幸を受ける人=山幸、罰を受ける人=海幸が別々に分離されていますが、これがもしひとつの人格にまとめられるとすれば、それが浦島太郎のような姿になるのではないでしょうか。 つまり玉手箱は彼に幸せを(も)もたらす魔法の箱であった。しかし浦島は幸を受取るまえに乙姫様との約束をやぶって彼女を怒らせてしまったから、玉手箱は罰を与えたのではないでしょうか。
- bonnokubo
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たしかに、意味がわからないですよね。 自分の知る限りのことを答えようと思いましたら、 詳しく説明してるとこがありました。 http://enkan.fc2web.com/minwa/urasima/column.html