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建国記念の日に反対した皇族について

今日は、建国記念の日ですが、なぜ故三笠宮崇仁親王殿下は、この日の制定に反対したのですか?根拠がない日だからですか?

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  • kzr260v2
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回答No.2

学問としての日本の歴史が、そこなわれてしまうことを心配されていたようです。 以下、崇仁親王殿下「紀元節についての私の信念」『文藝春秋』昭和三十四年一月号からの抜粋です。 ========== 歴史の研究は年代の枠を土台として進められる。もしこの土台に少しでもゆるぎがあったならば、いかにみごとな歴史を組み立てても、それは砂上の楼閣にすぎない。私は重ねて歴史研究者として、架空の年代を国の権威をもって国民におしつけるような企てに対しあくまで反対するとともに、科学的根拠、いいかえれば今まで考古学者や文献学者が刻苦精励、心身をすりへらしてまでも積みあげてきた学術的成果の上に立って、改めて日本古代の神話継承の研究をさらに押し進めるような感情論から、学問研究の百年の計を一瞬にして誤るおそれのある建国記念日の設置案に対して深い反省を求めてやまない ========== ようは、 国が「この日を建国記念日とする」と権威付けしてしまうと、神話という科学的根拠がない内容と、科学的根拠を積み重ねてきた歴史学がまぜこぜとなり、歴史学の研究成果が正しく評価されなくなるかもしれません みたいなことを言いたいように私は読み取りました。 ※ 明治政府ができた当時は、神話を取り入れすぎないよう注意していたとされます。しかし、米国との戦争を選んだ当時の日本政府は、神話を過剰に取り入れて、国民の感情を戦争に向けさせたと考えられています。 崇仁親王殿下は、そんな「戦争を選んだ日本政府」にほんろうされた人ですから、当時のようなことにつながりそうな「科学的根拠のない建国記念日」は、苦言を呈するしかなかったのではないでしょうか。 ※ 現実は、学問としての歴史学がそこまでそこなわれることはありませんでした。 ただ、「勝てない戦争を『やってみたら勝てるかもよ?』で始めたり」や「特攻という無謀な体当たり攻撃をさせたり」や「日本の軍人軍属の死者230万人の内、半数は餓死だったり」などなど、これらとんでもないことをしてしまったのに、原因究明はされなかったせいか、日本政府の体質は変わっていないようです。 例えば、インフレを抑制する消費税をインフレからデフレになっても続けていて、さらにはデフレ中に消費税増税までしていて、さらにさらに不景気中なのにインボイス導入で実質増税などしています。残念ながら、我が国の政府は、ずっとこんなレベルなのです。 以上、参考にならなかったらごめんなさい。

kiyurohi88
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。大変勉強になりました。目からウロコが落ちました。

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その他の回答 (1)

  • f272
  • ベストアンサー率46% (8535/18273)
回答No.1

神話と歴史は区別されるべきだという考えから来ています。つまりその日に建国されたという根拠が明確なものではないということです。

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