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平安時代の飲水

清少納言の枕草子の翻訳本を読んでいると、水を注ぐときに踊る光、という部分があり、その時、ふと思ったのですが、平安以前の人達は飲水はどうして確保していたんだろう、という事です。宮中と庶民では違うでしょうが、いったい、どのようにしてかくほしていたんでしょうか?

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  • oska2
  • ベストアンサー率44% (2310/5141)
回答No.2

>宮中と庶民では違うでしょうが、いったい、どのようにしてかくほしていたんでしょうか? 宮中では、川の湧き水です。 今でも地形を見ればわかりますが、湧き水が豊富な土地なのです。 例えば、松尾大社は有名な湧き水があり「酒造発祥地」なんです。 今でも、全国各地から酒造会社の杜氏・社長が参拝に訪れます。 上級貴族・公家の為に、下っ端役人は湧き水を汲みに行った訳ですね。 庶民は、河川からの水です。 有名なところでは、「堀川」「鴨川」です。

tahhzan
質問者

お礼

湧水と川の水ですか。なるほど。納得しました^^ ありがとうございました😊

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その他の回答 (1)

  • Reynella
  • ベストアンサー率51% (552/1073)
回答No.1

基本は、川の水や湧き水ですね。 井戸は唐でその技術を学んだ人達が日本に伝えたと考えられるので、遣唐使以後は井戸も使われたと思います。 50年くらい前に祖母の実家に行ったことがあり、その四国の山間部の村では、ごく当たり前のように湧き水を使って炊事をしていました。川の部分によって「していいこと」と「いけないこと」が決められいたのを思い出します。大阪北部でも、サントリーの工場があるあたりは綺麗な湧き水が出ていて、飲食店の人達が良く汲みにきていました。

tahhzan
質問者

お礼

湧水ですか。それと井戸…なるほど。それなら、飲めるでしょうね。参考になりました。ありがとうございました😊

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