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第2次ポエニ戦争について
ハンニバルは根拠地のイベリア半島からアルプスを越えてイタリア本国に侵入、確か進軍は秋口で侵入と同時にアルプス峠は雪に閉ざされ通行途絶になる。ローマ軍を各地で殲滅し結果15年間も転戦しました。常識的に補給もなく敵地に15年も大軍を維持することは不可能(地中海の制海権もローマが握っていたはず)だと思うのですが、ハンニバルはイタリア半島に国を作ったのですか?
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1.ハンニバル軍は、イタリア北部のガリア人部族と同盟を締結しています。そのため、ガリア人部族から直接に食料などの物資と、補充兵の補給を受けることができました。さらに、直接ではなく、ガリア人が中継して、各地方からの物資を得ることもしていました。 2.ハンニバル軍は(当時としては当たり前のこととして)略奪を行いました。ハンニバルは情報を得て軍には必要はないが、交易に使えるものも略奪し、交易に利用したりもしていたようです。さらに家畜なども略奪したうえで繁殖に用いたりもしていました。 3.ハンニバル軍は、各地で資源の採掘も行っていました。 ハンニバルはイタリア半島内での地方支配や政権の確立には焦点を当てませんでした。
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- eroero4649
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スペインを出たハンニバル軍がどのようなルートを通ってアルプスを越えて北イタリアに至ったのか、現在も分かっていません。基本的には現地調達という名の略奪行為によって軍を維持したと思われますが、4万の兵士と30頭の象は26000人と3頭に減ったといいますから、相当に困難な道のりだったと思われます。 その後ローマ軍と戦いながら南下しますが、そこはローマの領地ですので遠慮なく略奪をしながらの進撃となります。 よく「なぜカンナエの戦いの後にローマを直接攻略しなかったのか」といわれるのですが、都市の周辺というのは略奪できる物資があまりありません。つまり事前に十分な準備がないと攻城戦というのはできないんですね。 ハンニバル軍というのは寄せ集めの集団なので、集まってきたヨソの軍勢に「略奪品」というメリットを与えないと彼らは「それじゃつまんないから帰りまーす」といわれてしまう弱みがありました。 でも軍隊が自前で補給をしながら進軍するのが前提になってくるのは、本当に日清戦争とかそのくらいのここ百年か二百年以内くらいの話です。 それこそ太平洋戦争が終わる1年前である1944(昭和19)年にとある極東の帝国軍が行ったインパール作戦という軍事作戦は、味方の補給の確保がおぼつかないことが最初から予想されたので「侵攻してその先のイギリス軍の補給物資を奪い取ってなんとかしろ」という方針が立てられたほどです。敵国からの略奪を前提にしている昔の軍隊と大して変わりません。
- oska2
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>補給もなく敵地に15年も大軍を維持することは不可能(地中海の制海権もローマが握っていたはず)だと思うのです 華々しい戦果も、補給がなければ不可能ですよね。 先ず、勝利の一因は「ローマ政府に対する抵抗勢力」が存在した事です。 有名な勢力としては、「ガリア部隊?」が合流した事です。 ガリヤ舞台から、食料武器などを補給する事が出来ます。 土井様に、実話か否か不明ですが伝説が残っています。 ハンニバルは、「異国語を話す人は、家畜と同様に看做した」様です。 つまり「人肉」です。 秀吉の鳥取城攻めでは、城内で人を食べた!との資料が残っています。 島原の乱でも、原城内で人を食べた!との資料もあります。 倫理が薄い古代の戦いですから、ハンニバルでも???
お礼