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オスマントルコは、ピョートル大帝の大軍を包囲した?
オスマントルコは、ピョートル大帝の大軍を包囲したことがあるんですか?
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補足を拝見しました。 >う〜ん、それってスゴい出来事のような気がしますが、歴史教科書ではマイナー扱いじゃないですか?なんでだろう…? ⇒そうですね。おっしゃるとおりだと思います。 おそらく、当時は、ヨーロッパのハプスブルグ、スチュアート、ブルボンなどの各王朝が続々絶対王朝化した時で、その中にあってロマノフ朝そのものが軽視され、辺境の弱小王朝ぐらいにしか見られていなかったのかも知れませんね。 そもそも、当時は中世末から近代世界が展開してゆく過程中にあって、ルネサンス、宗教改革、新世界の開拓と拡散(→市民革命)などの大事件が続発し、ヨーロッパ全体がその渦中にありましたので、歴史教科書は絶対王朝そのものをあまり大きく取り扱っていませんね。 版図・領土の上でも、前者が「ヨーロッパ、中南米、インド、アジア」まで巻き込んだのに対し、後者すなわち、ロシア対オスマントルコの争いは、(ヨーロッパ列強諸国の目には)たかだか「東ヨーロッパと南アジア」という狭い範囲での騒ぎぐらいにしか見なされていなかったに違いありません。
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- Nakay702
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>オスマントルコは、ピョートル大帝の大軍を包囲したことがあるんですか? ⇒はい、あります。 1711年7月、プルト川河畔で、ピョートル大帝の率いるロシア軍がオスマン軍に包囲されて、敗北しました。これを「プルート川の戦い」と言います。この敗北で、ロシアは1696年にトルコから奪った領土(アゾフなど)の返還を承認させられました(プルト条約)。 詳しくは、以下をご参照ください。 https://ja.wikipedia.org/wiki/
補足
う〜ん、それってスゴい出来事のような気がしますが、歴史教科書ではマイナー扱いじゃないですか?なんでだろう…?
お礼