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幼少期に叱られたことがないからナヨナヨ

「叱られた経験がないから大人になって社会に出てうまくいかないとメンタルがやられる」というような意見がありますが 幼少期から叱られていると、自分で考えるというか、「この野郎!いつか見てろよ!」みたいな負けない気持ちになる そういうものなのでしょうか? 生まれ持ったメンタルの弱さなら幼少期に叱られても弱々しい大人になりそうなものですが。

みんなの回答

  • karawane
  • ベストアンサー率19% (209/1089)
回答No.5

私は、 ブレーズ・パスカルの 〈考える葦〉 が、好みなので、 一概には、そのようには 思いませんけどね。 《いつか見てろよ!》等は、 古い日本の Negative - Criticism の時代を 想わせますな。 Ciao.

  • kairibaka
  • ベストアンサー率26% (141/529)
回答No.4

「幼少期に叱られた経験」と言いますが 実際には 「幼少期に悪さをして、全てを観念して謝った経験」 ではないでしょうか。 (謝ったあとでなお叱り飛ばされたか、それとも意外にも怒られなかったか、は別) 大事なのは 「観念して覚悟を決める」 というステップだと思います。 腹をくくってしまうからこそ、「今に見てろよ」という気持ちも生まれます。 (単に屈辱感などでは反骨心って生まれません。いじける一方です。) 親に人格を全否定されて打たれ弱く育ってしまった大人って、 一見鍛えられているようで、実は鍛えられていない。 それは、「観念して覚悟を決めた」という経験が意外にないから、 だと思います。 ネチネチとプレッシャーをかけられた、長年に渡って自分を全否定された、 確かに精神的にきつい経験ではありますが その中に「覚悟を決めた」というステップって、実は意外にない、ですよね。 「もう覚悟を決めた、さあ殺すなら殺せ」と腹を決めるシーンからは、 実は怖くて逃げ回っていますよね。そして、大人になっても、逃げ回っている。 たまに「一見メンタルが弱そうで、実は弱くない」という人っていますよね。 別に殴られなくたって、メンタルは強くなれます。 内心ブルブルでも、膝ガクガクでも、 「観念して腹を決めて前に進んだ」という経験を積むことで、人は意外に強くなれます。 だから、幼少期の親の行動は、言い訳にはならない 私はそう思います。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率31% (10479/32954)
回答No.3

子供の頃に今なら虐待に該当する「教育」を受けていました。肉体的DVも嫌だったけど、精神的DVのほうがずっと嫌でした。体の痛みはいずれなくなりますが、心の痛みはずっと残りますから。 当時、世間じゃ戸塚ヨットスクールが社会問題になっていました。戸塚ヨットスクールの様子をルポするテレビ番組を見て「こっちのほうがずっと楽じゃないか」と子供心に思ったので、そのくらいキツかったと思います。 なんていうのかな、骨折の痛みを経験したら打撲はたいしたことがない。そんな感じかな。 大人になって人格を否定されるようなことをいわれたことも何度もありましたが、私としては「またいわれた」程度のことなのでそれほどのショックではありませんでした。人間は慣れの生き物なのでね。

  • kyokoma
  • ベストアンサー率39% (204/516)
回答No.2

子供の性格を見極めた上で、 しかり方やフォローの仕方が適正であればいいですが、 叱ればいいというものではないと思います。 ただ、 𠮟るべきことを叱らずに放置すれば、 いずれ社会に出た時に、 しつけや常識を疑われて、 摩擦が生じてしまうということはあると思います。 よく、 言いますが、 感情的に怒るのではなく、 何が悪いかきちんと説明し納得させるようなしかり方ができれば、 子供さんは心が安定して、 メンタル面でも、 我慢強くなるのではないでしょうか。

  • JP002086
  • ベストアンサー率35% (1461/4161)
回答No.1

>叱られた経験がないから大人になって社会に出てうまくいかないとメンタルがやられる 私が思うに、「叱った親が幼い時、同じ様に叱られた経験と親のフォローの仕方(家庭環境)および、子供の成長具合による」と思います。

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