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龍馬、土佐閥
坂本龍馬が明治以後に生き残って 政界入りしていたら土佐閥の首領として 長州の木戸、薩摩の西郷、大久保と 政府の主導権を巡ってしのぎを削って争うという 展開もあったんでしょうか?
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それはなかったと思います。龍馬自身は土佐藩と連携して土佐藩の利益のために働いたということはしていません。 良くいえば彼は自分のことを「日本国の人間」と思っていて「土佐のために働く」という自覚はなかったと思います。悪くいえば、自分の利益しか考えていなかったといえるでしょう。 「龍馬が本当は何をしたかったのか」というのは今となってはもう誰にも分かりませんが、残された彼の言葉と彼が実際にやっていた行動を考えると、彼が目指したのは「政治家」ではなく「商人」だったと思います。 「坂本龍馬の身近にいて、その遺志を継いだ人」は、私は岩崎弥太郎だったのではないかなと思います。三菱財閥の創始者ですね。 だから龍馬が生きて天寿を全うしていたら、財閥の総帥になっていたんじゃないかなって思います。
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- もこ猫ミクにゃん(@miku-chi)
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中央で働くよりも北海道の開拓に携わっていたかも知れません。 高田屋嘉兵衛のようにロシア外交していたり。 もしくは高田屋嘉兵衛のライバルになっていたかも知れません。 札幌とか小樽に「旧坂本邸」とか邸宅残ってたりして。 元々龍馬は蝦夷地(北海道)開拓に興味を持っており、何度か蝦夷地行きをチャレンジしております。 ですが、池田屋事件や沈没事故などで頓挫しております。 ⋯呪われているのか????と思えるほど蝦夷地行き失敗しております。 暗殺される直前も蝦夷地行きを画策するも資金不足で船の購入を断念し、滅茶苦茶悔しがっている手紙が残っています。 龍馬の甥であり養子である坂本直は龍馬と共に蝦夷地開拓のために行動しており、龍馬の死後蝦夷地に渡り、箱館裁判所の権判事になりますが、旧幕府軍の襲来され箱館を占領されます。が、直は新政府軍の一員となり戦功をあげ、箱館を取り戻します。 しかし、直は叔父龍馬と同じく官僚として働くのには向いていなかったそうで、罷免されてしまいます。 直の弟らも北海道に渡っており、直の死後、直の家族も北海道へ。 浦臼町に坂本家の墓があります。
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- oska2
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>坂本龍馬が明治以後に生き残って政界入りしていたら 歴史に「もし」は、ありませんが・・・。 生き残って明治維新を迎えていれば、政商として莫大な力を発揮したでしようね。 幕末から、イギリス政府の密命を受けた政商「グラバー」から多くの指示・資金援助を受けた活動家でしたから。 船中八策も、グラバーが龍馬に教えた内容(グラバーの日誌に記載)ですしね。 今、多くの龍馬ファンが思っている龍馬像は「司馬遼太郎・龍馬が行く」物語がベースです。 >政府の主導権を巡ってしのぎを削って争うという展開もあったんでしょうか? 自らは手を汚さないで、裏方・影のドンとしてイギリスとの関係を強化しながら政治に加わっていたでしようね。 実際、龍馬の史実に残っている行動は「裏方に徹する」事が多いですよね。 土佐郷士株を購入した豪商「才谷屋」の分家筋が、坂本家です。 スポンサー・パトロンが存在した事は、間違いないでしよう。 ですから、司馬遼太郎が興味を持つまで地元民でも知っている方は少なかったのです。
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