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歴史上の方言について

幕末時代を漫画で読む際一つ疑問に思いました。坂本竜馬は土佐弁。西郷隆盛は薩摩言葉(鹿児島弁)では桂小五郎は??長州は何故か標準語に訂正されてる場合が多いのですが何故でしょうか??それと長州は何弁になるのでしょうか??勝手に隣の広島弁で脳内処理されてます。歴史と方言に詳しい方教えてください

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回答No.6

こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 ★方々の意見(回答)を拝見すると、kitunetonekoさんの回答が最も高いような気がしますが・・・? ★そう・・・「?」も残ると言うことです。 ★明治半ば~昭和の初期にかけて、約30~40年近くかけて東京の山の手の言葉が「聞いていて綺麗だ」と言う理由で、これを日本の「標準語」にしようと政府は動き始めました。 ★しかし、前述のように明治中期~昭和初期という長い年月がかかっているように、中々、庶民に行き渡ることが困難だったようですね。 ★この間は、国会議員にしろ、地方から東京に集まった人々でさえ「お国なまり」が当たり前だったのでしょうね。 ★13代将軍家定の継々室となった薩摩島津家出身の天璋院篤姫は、大奥に入ってからも「お国なまり」(薩摩弁)丸出しだったと聞きます。 ★そのため、大奥の上級お女中は、篤姫の言っている意味が分からず、わざわざ薩摩藩邸からお女中を実費で雇って通訳させた・・・などと言うエピソードもあります。 ★三井越後屋(現:三越)は元々は伊勢商人が日本橋に出店をして、一躍財を成したことはご存じのことと思いますが、厳しい掟(おきて)がありました。 ★まずは、三井越後屋の番頭から店員にいたるまで全て伊勢の本店での採用でした。 ★江戸での採用は一切ありませんでした。 ★14~15歳で本店(伊勢)で採用されると、丁稚で採用されるわけですが、2~3年の間に商売のノウハウを徹底的に教え込まれます。 ★そして、その中の数人が江戸(日本橋)への出向となりますが、その者たちは「出世コース」と皆に羨ましがられました。 ★そして、江戸に出て来ても、店では「お伊勢言葉」丸出しで商売をした、と言われています。 ★ただ、「お伊勢言葉」なるものが、どのような「方言」だったかは、申し訳ないのですが、私にも分かりません。 ★もっとも、前述のように「標準語」というものがありませんでしたので、当然と言えば当然のことと考えます。 ★例えば、東北の人が東京に出て来ても「標準語」という「取り決め」(?)がなければ、東北のいわゆる「ズーズー弁」がまかり通ったのでしょうね。 ★昨今のTVのバラエティー番組でも、「ズーズー弁」を売りにしているタレントもいますからね。 ★明治~昭和にかけての「標準語」制定?にいたるには、いわゆる当時の「歴史作家」たちも賛同して、歴史小説でさえ「標準語」を使用し始めました。 ★従って、北は北海道~東北地方、南は沖縄~九州、四国、中国地方にかけての「方言」を全て「標準語」で表記し始めたのです。 ★数年前NHKで放映された「天璋院篤姫」でさえ、いわゆる「標準語」で放映されたのです。 ★もっとも、私は越後の出身ですが、もし、篤姫のドラマが「薩摩弁」で放映されていたら「意味不明」・・・になっていたかも知れませんね。 ★あなたへのお答になるかどうかは分かりませんが、歴史作家もこぞって「標準語」に統一しようとしたのですから、かなりの「特徴」ある方言でない限り、消えてしまったのではないでしょうか。 ★また、その土地の方言を小説にしているような方もおられますが、これは言い過ぎかも知れませんが「うけ」を狙った・・・とでも考えられなくもない。 ★そして、長州(山口県)の方言がどのようなものだったかは、その土地の古老にでも聞いてみなくては分からないのかも知れませんね。 ★あまり特徴がなければ、いわゆる「標準語」に同化されてしまったのかも知れませんね。 ★九州地方には「薩摩弁」や「長崎弁」などもあるとは聞きます。 ★同じ地方に分類してもそれぞれの「お国言葉」は存在したとは思いますが、まあ、私の個人的意見としては、広島県と陸続きでもあったことを考えると、「広島弁」が存在するのであれば、「広島弁」とほぼ同じだったのではないかと考えます。 答になってなくて、ごめんなさい・・・。

回答No.5

語尾に「ほ」や「そ」が付きます。最初に聞くとすごく違和感がありますw 語尾というか句読点のところに付く感じです。←この文だと『語尾というかほ、句読点のところにほ、付く感じほ。』みたいな。 なので、ドラマとかでは付けないのでしょう。 発音やアクセントは標準語に近いようです。 ちなみに広島弁は「~じゃけん」より「~じゃけ」のほうが多いと聞いたことがあります。

回答No.4

桂小五郎(木戸孝允)氏は,もともとは,藩医の和田氏出身者ですが,長州(藩)毛利氏の縁戚筋の桂氏の人間(養子)ですし,いわゆる当時の長州藩内の上士格の武士ですから,大河ドラマなどでも,演じられる俳優さんが,いわゆる厳格な侍言葉や,標準的な日本語や,アクセントの場合が,多いように思います(例;『龍馬伝』の谷原章介さん,『花燃ゆ』の東山紀之さんなどの桂小五郎氏)..一方,『八重の桜』での,桂小五郎役の及川光博さんなどは,長州方言のあるセリフでしたね‥‥山口弁(長門弁?)は,広島弁に近いようです..多分,実際にも,当時の上士格の侍の方などでも,土地の言葉遣いや,訛りなどは,あったと思いますが,桂小五郎氏などは,当時の京の長州藩邸での生活や,江戸の長州藩邸での勤番なども有り,確か,江戸の剣術道場でも,講師などをしていたようですので,日本各地に縁が有り,大河ドラマなどでも,標準的な日本語のセリフが多いのかもしれません..一方,坂本龍馬氏や,西郷隆盛氏などは,いわゆる地元の下級武士(藩士)ですので,出身地の土地の言葉や,方言などを使ったセリフや,言い回しなどが,多いのかもしれません..坂本龍馬氏や西郷隆盛氏などの,地元の下級武士出身などの,幕末や明治維新期などの英雄達には,いわゆる郷土愛や,家族愛などに溢れた人物像の方が多いようで,自身の方言を交えたエピソードや,家族への手紙なども,有るため,現在の地元の英雄的な人物などですので,やはり,大河ドラマなどでも,それぞれの生まれ育った,出身地の言葉や,方言などを使ったセリフで,俳優さんが,演じられているのだと思います..関西に住む私には,特に,東北地方の方言や,鹿児島の方言などは,よくわからない時もありますが,桂小五郎氏などは,岩倉具視遣欧使節団に随行したり,明治維新期の政治家として,スマートなイメージも有り,坂本龍馬氏や,西郷隆盛氏の言葉などとは,確かに,ちょっと違うイメージもありますね‥‥

  • meido2010
  • ベストアンサー率15% (68/448)
回答No.3

坂本龍馬は江戸の北辰一刀流の道場に入門しましたから、江戸弁は達者 でした。京での活動が主になりましたが、そこでも巧みに京都弁を喋って いたようです。 長州藩は京にずっと藩邸を構えていて、京都弁も堪能でした。 薩摩藩邸は京の少し北に位置していましたが、薩摩藩の重臣たちはみな 京都弁を話していました。 とすると共通するのは京都弁、京言葉になりますね。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率31% (10498/33021)
回答No.2

#1さんもおっしゃられていますが、旧陸軍の「自分は~であります」という喋り方は、長州弁の名残りだそうですよ。

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15295/33014)
回答No.1

 僕の母は、山口県西部ですから「長州」すなわち長門(ながと)の国の言葉でした。山口県東部(周防すおう)の言葉とは違うことをよく口にしていました。  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E5%BC%81  ただ一般的に言って標準語との違いが、土佐弁や薩摩弁に比べて小さい、これには元警察に薩摩藩の言葉が入ったように、元陸軍に長州の言葉が入ったという経緯もあります。  で、「です」の代わりに「であります」、朝の挨拶に「おはようあります」などという用法はありますが、そう差がないために芝居や漫画では、誇張しないのだと思います。

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