• ベストアンサー

日本史女名の姫、比売、子の違い

1、日本史の女名で姫や子と末尾につけたのは違いは何ですか?例えば家康の娘は全員姫ですが、北条政子、日野富子は子で姫ではないので、姫は名前ではないのですか? 2、古代に比売と書いた場合がありますが姫と どう違うのですか?売ると言う字は高貴に見えません 3、皇族の娘の名前がヒメから子(内親王)に変わったのはなぜですか?

  • 歴史
  • 回答数3
  • ありがとう数0

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • D-Gabacho
  • ベストアンサー率62% (952/1524)
回答No.3

3.について 皇女の名前が~子(内親王)となったのは平安初期の嵯峨天皇の皇女(業子内親王ら)からで、皇子の名前が良い意味の漢字二文字の組み合わせで○△親王となったのも同じく嵯峨天皇の皇子(正良親王ら)から始まっています。女性名の~子や、男性名を良い意味の漢字二文字とすることは、奈良時代末期から臣下の貴族の間で先行して広まっており、やや遅れて皇室が伝統的な命名法を捨て時代の変化に合わせた形です。たとえば、嵯峨天皇の父である桓武天皇の後宮の女性は、藤原旅子(淳和天皇の母)、藤原吉子、橘常子、紀若子、坂上春子など、皇族を除けば~子の名前が大半を占めています。 701年の大宝令によって内親王・女王という称号が制定されてからは、基本的に皇女の名前に姫がつくことはなくなっていますが、嵯峨天皇の皇女のうち源朝臣の姓を賜って臣籍降下した人は、潔姫、貞姫など全員に姫がつきます。源姓となった皇女が~子でなく~姫となったのは、おそらく、諱を1文字とすることにこだわったせいではないかと思います。源信、源明など、源姓を賜った嵯峨天皇の皇子の諱は全員1文字であり、皇女の名づけにも同じ方針を貫くため、諱が二文字となる~子を避けつつ、男女の区別がつかなくなるのはまずいので、称号の性格をもつ姫をつけることにしたではないでしょうか。 ただ、時代が下って姫という呼び名のもつ意味が変わってきたのか、関白藤原頼通の正室となった隆姫女王は、女王の称号に姫が重なっています。隆姫女王は史料によっては隆子女王、隆姫子女王とする表記もあり、皇族に~姫という呼び名を使うことが久しくなかったせいか、扱い方に混乱がみられます。 なお、『日本書紀』に出てくる飛鳥時代以前の皇女には~姫皇女という表記になっている人が多数あります。天皇の称号が使われる前には皇女という称号もなかったでしょうから、皇女の称号が生まれる前は~姫と呼ばれていたのではと推測できます。 読みは同じ「ヒメ」でも、欽明天皇の妃で蘇我氏の堅塩媛(きたしひめ)や仁徳天皇の皇后で葛城氏の磐之媛(いわのひめ)のように、『日本書紀』では豪族の女性には姫ではなく媛の字を使って区別しています。『古事記』にはこうした用字の区別はみられませんから、本来、区別はなかったのかもしれません。

その他の回答 (2)

  • gunsin
  • ベストアンサー率32% (377/1167)
回答No.2

1:北条政子、日野富子は古文書に記載されている名前で、本当の   名前は解っていません、清原少納言の娘なので、清少納言と   呼ばれていた様に、女性の名前は隠す?習慣だった様です。   公家の娘は定子(ていし)、彰子(しょうし)などの様に   「子」を付けた名前が多く、武家では、本人の名前に「姫」を   付けて呼ぶ事が多いです。   公家の「子」は名前の一部で、「姫」は、名前に付けたので   ~~家の娘の意味合いに、なろうかと。 2:古事記や万葉集は中国人の発音から漢字の意味が解らないまま   和語に当てた萬葉仮名で記載してます。 3:皇族では姫を使用してません。

回答No.1

元々日本では身分が高い家の女子には「ヒメ」または「ヒミ」を付けて呼ばれていました。 名前ではありません。尊称です。 「王女」や「内親王」は名前ではないですよね?それらと同じようなものです。 「内親王」と呼ばれるのは律令制の時は皇女または天皇の姉妹だけでしたが、明治に入り皇室典範が成立して現代は天皇の孫や皇太子(皇嗣)の女子、天皇の姪も含まれます。 ちなみに結婚(降嫁)したら「内親王」ではなくなりますので、現在の内親王は愛子さまと佳子さまのお2人だけです。 天皇の姉妹以外の嫡男系嫡出で三親等以遠の女子(未婚)は「女王」となります。 「姫」は貴族や大名などでも使われます。 古い文書では「比売」や「卑売」、「比女」「媛」「日女」などと当て字されていました。 蔑字を使っているのは万葉漢字を使っていた当時は女性蔑視だったためという説があります。 古代中国にて女性の名前は名や字が先、姓が後ろの表記となり(例:妲己 妲は字、己が姓。蘇妲己という表記は間違い)、周王室をはじめ「姫(キ)姓」の諸国(周の他には魯・衛・呉・晋・魏など)の王女や公女は「〇姫」と表記されていたので、「姫」を尊称と勘違いして「姫」を「ヒメ」の当て字になりました。 ちなみに中国では「姫」に当たる尊称は「公主」です。 またの説では日本皇室は「姫」姓の太伯・虞仲の末裔である説があり、「姫氏国」であるということで「〇姫」と表記しているとのこと。 「子」は名前です。 商(殷)朝の姓が「子」だからという訳ではありません。 「子」「親」から生まれた者を指したり、「宝物」の意味があるものです。 また「孔子」など学者や賢者の尊称の「子」を使っていることもあります。 「小野妹子」など男性にも「子」を付けた名前があります。 「北条政子」などは実は本名(普段呼ばれている名前)ではなく、位に就く際に位記などの文書に記すための事務的な諱(天皇に対する時の名前)であり、普段は「大姫」と呼ばれていた可能性があるそうです。 また本名もまた別にありそうですね。 「阿衣」とか。で、「阿衣姫」と呼ばれていたかもしれません。 ↑「鎌倉殿の13人」で妹の阿波局が「実衣」だったので。 で、北条時子が「真衣」で3姉妹でアイマイミー……なんちゃって。

関連するQ&A

  • 歴史上の女性の苗字について

    質問が三つあります。 武家の娘というと北条政子や日野富子などがありますが これは当時もこのような呼称だったのでしょうか? それとも当時は単に政子とか富子というだけで、後の 人々によって苗字がつけられただけでしょうか? これに関連して、では貴族の娘に関しても苗字があったのでしょうか? 例えば藤原定子という感じで。 更に、何故、戦国時代からの武家の娘は苗字付きではなくなるのでしょうか? それとも当時はちゃんと織田市のような呼称だったんでしょうか?

  • 北条政子の名を「まさこ」と読むのは。

    平安時代の女性の名前は、例えば、藤原道長の娘、彰子は「しょうし」と音読みされています。 これは、当時の読み方(呼び方)が不明なので、音読みするという約束事があるからだそうです。 しかし、鎌倉時代の北条政子は、「まさこ」、室町時代の日野富子は「とみこ」と読んでいますが、これも約束事ですか。 「まさ」は、訓読みでしょうか。 よろしくお願いします。

  • 女性の名前

    女性の名前 平徳子とか北条政子とか日野富子といったように鎌倉時代や室町時代の 女性は姓を名乗っていましたが、江戸時代だとそういうことはありません。 これは女性の地位の低下ということでしょうか? また北条とか日野は生家の名ですが、これらの時代は結婚しても夫の家に 入るという考えではなかったのでしょうか?

  • 歴史上の女性の姓(または苗字)

    もちろん一部に限られるのかもしれませんが、平安時代には名家の女性は姓があったようです(平徳子、北条政子など)。 室町時代になってもそれは変わらなかったようです(赤橋登子、日野富子など)、 幕末になると、夫の姓を名乗るようになったようですが、これはいつからなのでしょうか。また、戦国時代の女性は名前が知られている、お市、浅井3姉妹、千(家康の孫で豊臣秀頼の妻)などはいずれも姓が出てきませんが、本名には有ったのでしょうか。

  • 武士の時代の武士の自己紹介と奥方の姓

    武士の社会には、氏と苗字(姓)があったようなのですが、どのように使い分けられていたのか分かりません。頓珍漢な質問になるかも知れませんが、例えば、戦国時代の織田信長、豊臣秀吉(この人物は名前が何度か変わったようですか……)、徳川家康は、自己紹介する時に、何と名乗っていたのでしょうか??? もちろん、3人とも、自己紹介など必要ない人物だったとは思いますが、仮に、氏や苗字(姓)までつけて、自己紹介しなければならないような場合、例えば、天皇の御前で名前を名乗るような場合、「信長じゃ」、「秀吉でござる」、「家康でございます」じゃなかったと思うのですが。 例えば、武士の妻で有名どころというと、「北条政子」、「日野富子」や上記3人の武将の妻たちは、結婚してから、どのような姓を名乗っていたのでしょうか???もちろん、「姓を名乗る」機会なんかなかったのかもしれませんが。

  • 女性中心で書かれた日本史教科書ってありますか?

    日本史っていうか歴史教科書って、ほとんど男性中心で書かれてますよね? まあ、昔は征夷大将軍とかが幕府の実権を握ってたし、天皇も女帝は過去8人のみ。 だけど、歴史を陰で動かしてきた女性もたくさんいます。 北条政子とか、日野富子とか…今大河でやってる「篤姫」だって。 奴国王に始まって麻生太郎で終わる日本史教科書より、 卑弥呼に始まって小池百合子さんor野田聖子さんで終わる教科書が欲しい! そんな教科書ってありますか?

  • 苗字

    古代から平安までは、 柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)や 藤原道長(ふじわらのみちなが) のように、苗字と名前のあいだに、のを入れる人がたくさんいましたよね。 しかし、鎌倉から、現代にかけては、 北条政子(ほうじょうまさこ)や 徳川家康(とくがわいえやす) のように、のを入れなくなったのはなぜですか。

  • 悪女の魅力

    こんにちは どうも男は悪い女に惹かれるようです 小悪魔的な魅力では 加賀まりこさんなどがそうでした それとはまた別に毒婦、あるいは悪女 実に 気合いの入った 悪い女も多いようでして 古くは中国の 楊貴妃、あるいは妲己! 妲己の名前を冠して日本では「妲己のお百」 日本最大の 悪女と言われてますが 私は会ったことがないので分かりませんが 相当なものであったようです? 古くは 日野富子、 北条政子 あるいは豊臣家を潰したと言われる淀殿 私は彼女を同情出来る面もあるのですが 皆さんが 悪い女と思うのは 誰でしょう? 過去現在は問いません お話しさせていただければと思います

  • 女性の名前

    現在大奥がやっていますが、 内山里名さん扮する主人公の名前が 「安子」ですよね? ドラマ自体が史実歪曲が多いので、 また検索してみると「安」の一文字の場合も あるので事実とは違うかもしれませんが、 例えば柳沢吉保の側室の飯塚染子などにしても そうなんですが、「~子」というのはもともと 公家の女性の名前であって、武家の女性である 安子や染子が「~子」と名乗るのは変ですよね? そういえば幕末の13代正室も、「敬子」や「篤子」 ですよね?近衛家の養女になってから「篤子」に 改名したのはわかるのですが、なぜ島津の分家時代 から「敬子」だったのは何故なんでしょう? 北条政子や日野富子は元々公家だったからわかるのですが、 江戸時代は武家の女性でも「~子」と名乗ることは 多かったのでしょうか? それとも「~子」が公家の女性特有の名前というのは 私の勘違い?

  • 「子」のつく名前

    小学校の歴史の授業で「小野妹子」が男性だということは必ず教えられる話ですが、「子」がつく名前が女性に用いられるようになったのは何時頃で、どういうきっかけからなのでしょうか。平安末期の建礼門院徳子や北条政子が女性であることからこの間に何か起きたのは事実なのでしょうけど。